世間は広いと思います。上も見ても下を見てもきりはないと思います。痛みや傷もポジティブに変換出来ればなと。私もまだまだなんですが。。私ムッツリスケベですけどね(^_^)
校正してみた。○ 5歳の頃に母が家を出ていった。父のDVが原因だった。貧乏で空き室ばかりが目立つボロアパートに住んでいたほどだったから、経済的に厳しかった母は私を連れていくことができなかった。父は小さな建設会社の平社員だった。母が出て行く少し前から保育園にも行かせてもらえなくなり、日中でも部屋に閉じ込めらてアパートから出ることをキツく禁じられた。母がいなくなってから父は、ますます苛立つようになり、毎晩酒を飲んでは私を横に正座させて、足が痺れて膝を崩そうとする私の乳首あたりをつねったり捻るように引っ張ったりして意味もなく私を虐めては憂さを晴らすようになった。その行為に私が泣けば風呂に沈められた。意識朦朧とするまで水責めにされ、そのまま放置されたこともある。この父とのふたり暮らしがどうなるものかと不安しかなかったが、母が蒸発したことを知っている近所のおばさんが子供の服やランドセルのお下がりをくれたりして、なんとか小学校に通うことだけはできた。他人面のいい父はおばさんには下手に出て感謝する振りをしていたが、私とふたりだけになると当て付けかと怒り、服を全部脱がされて全裸のまま家の中に立たされた。小心者で狡猾な父は怪我や痣になる暴力は時々しか振るわなかった。最小限の力で確実に痛めつけることだけを日々考えていたようにも思う。父が座れ、というと両手を後ろ手に組んで正座しなければならなかった。その状態で両乳首をつままれねじられることが多かった。激痛を伴うが声を出せば風呂場へ連れて行かれ地獄の水責めが待っていた。声を出すまいと必死に耐えていたが父は無意味な罰を与えたいがためにそのうち洗濯バサミで挟んでみたりライターでさっと炙ったりして、どうしても声を上げずにはいられない状況に追い込まれた。もっともいやだったのが「拳骨」と称する罰で、寝そべったところに片脚を掴まれ、もう片方の足も父に踏まれて股を閉じられない格好にされてから、中指だけを折り曲げて突き出す形にした拳を股間にグリグリと抉るように押しつけられるのが堪らなく苦痛でいやだった。父は自分の目の届かぬ場所で私のアザが発覚することをなによりも恐れた。だから、股間や乳首、それに尻など外からは発覚しづらい場所ばかりを虐待する場所に選んでいた。小学校高学年になり胸も膨らみかけてくると私への虐待も趣向が変わっていった。全裸で棒立ちは相変わらずだったが無意味な罰が減った。代わりに身体に触れてくる機会が段違いに増え、無意味な正座ではなく明確な目的を持って身体に触れてくるようになった。ある日、父は大きな手提げの紙袋を持って帰ってくると、ニヤニヤしながら言った。「お前は逃がさないからな」と。母の事を根に持って未だに恨んでいるのだと思った。だが、その頃の私は父よりも自分を置いて出て行った母を強く恨んだ。それだけ巧妙に父に洗脳されていたのだ。紙袋の中身は剥き出しのアダルトグッズだった。無意味な虐待はあからさまな性的なものへと変わっていった。いつのまにか、毎晩父のペニスをしゃぶるのが日課に加わっていた。いやだったが必死にやれば満足してすぐ寝てくれるので正直楽だった。辛かったのは膣に指を入れられることだ。初めて入れられた時は痛みに暴れてしまい、久しぶりに風呂に沈められた。もう逆らいませんと必死に訴えて、ガニ股のまま風呂場に立たされ、立てた人差し指で膣を乱暴に掻き回されて気を失いそうな痛みに必死に耐え、それでようやく許してもらえた。父は私の小さな膣を太い指でかき混ぜるのが好きで、もがく私の乳首を吸いながら自分で扱いたりしていた。射精したくなってくると勃起したペニスを私にしゃぶらせて私の口の中に出した。口に出すだけの行為はだんだんとエスカレートして、アダルトグッズも加わり、父は吸引器のようなもので私の乳首やクリトリスを引っ張り出すようになった。乳首やクリトリスが飛び出したまま、ちゃぶ台の上に大の字に縛り付けられてアソコに電マをあてたりされた。痛いだけで気持ち良くもなんともなかった。でも、私は痛みを訴えることはできなかった。ハンカチを口の中に詰められ、その上から猿轡をされていたから、くぐもった叫び声をあげることしかできなかった。そんな私を父は興奮を隠そうともせずニヤニヤした顔で見おろしていた。指を入れられるようになってしばらくすると、あまり痛みも感じなくなって私は泣かなくなった。そんな私を見て、父はねじ込む指を一本増やした。中指だけだったのが人差し指も加わるようになり、四つん這いになった私の後ろから二本の指を膣にねじ込み、乱暴に掻き回しながら、電マをクリトリスに当てたりした。痛みと強すぎる刺激に腰を振って逃げようとすると、強烈な平手打ちがお尻を襲った。どんなに痛かろうとも、私には我慢するだけの選択肢しかなかった。当然濡れたりもしなかったので、父は唾液を垂らしてローションの代わりにしていた。歯を食いしばりながら痛みに堪えていると、ようやく父が指を抜いた。あとは口の中に出されて終わるだけだと思っていた。でも、その日はそうはならなかった。指を引き抜いた父はペニスを露出させた。これを舐めれば終わるとなんとか痛みに軋む身体を起こして舐めようとしたとき、唐突に髪の毛を鷲掴みにされて床に引き倒された。なにをされるのかと恐怖していると、足首を掴まれ大きく左右に割開かれた。父が自分であてがい、そこに熱いものを感じたとき、おぼろげに人生が終わるのだと思った。性教育で習っていたから、父が何をしようとしているかはわかっていた。熱い塊が入口を割って入り、力任せに奥まで押し込まれたとき、なぜか思ったのは、これで怖がらなくて済むという不可思議な感情だった。てっきり未知の痛みに泣き叫ぶものとばかり思っていたが、喉を抜けていったのは、ひぇぇ、などという、か細い間抜けな声だけだった。濡れてもいない割れ目に父は唾液を手のひらに吐いて、自分のペニスを濡らしながら私のアソコに容赦なく突き立ていた。そのときのことは断片的にしか覚えていない。なぜか、アソコは痛いを通り越して熱かっただけといった印象しかな
...省略されました。