私が小学生の時に父は犯罪を犯して刑務所に入りました。
暫くは父の方から離婚を告げられて、母は父を支えたい、と離婚を承諾はしなかったのでしたが、父の懇願で離婚をしましたが、犯罪者の家族と暫くは後ろ指を指されましたが時が過ぎると噂話も静まりました。
母と私と弟の3人暮らしも貧しいながらも、そこそこ楽しい生活を送っていました。
弟もそんな父が原因で虐められたらしいけど、素直に育ってたと思います。
母もパートの掛け持ちで私達を育ててくれました。
私も弟も母の負担を減らそうと、家事など分担して母に少しでも楽をさせてあげたいと常日頃から頑張っていました。
私が中学生になり、父が刑期を終えて出所する日が近付いた事を母から告げられた。
事実上、父の方から離婚を求められ、母と父は離婚していたから私は父に会うことは無いと思っていました。
だがそんなに簡単な話ではなかった。
私が部活を終えて帰宅すると、そこには数年前に犯罪を犯し逮捕された時と余り替わらない風貌の父が居ました。
正直戸惑いと驚きは隠せませんでしたが、感動は微塵も有りませんでした。
母は弟には既に話してたらしく「お父さん、新しいアパートが見付かるまでの間一緒に暮らすことになったの」と言われて、その母の言葉を疑いました。
私達が小さい頃は、子煩悩な父親、とまわりからは見られて居ましたが、実際に、躾と称して私達が小さな失敗をしても激しく叱責されて頬を打たれたことも多々ありました。
そんな父が代わり始めたのが私が四年生なる頃からでした。
私が些細な失敗をして、母と弟が居る前で父に叱責されて頬を何度か打たれました。
母がその時には止めに入ってくれて、すぐに収まりました。
次の日、母は朝のパートに出掛けていて私と弟、そして父の3人で朝食を終えて、弟と二人で後片付けを終えて自分の部屋に戻り宿題を始めてました。
1時間位した頃に「勇人、お前外で遊んでこい昼まで帰ってくるな」と言われ、弟はまだ宿題の途中なのに書き取りを止めて、父を怒らせない様に渋々と部屋を出ていきました。
私は黙々と宿題を進めて居ると「昨日はごめんな、お父さんが悪かった」と謝ってきました。
私は「大丈夫だよ、気にしないで」と返すと父が私の横にきて「気にしないで、じゃないだろ」と烈火のごとく怒りはじめて椅子に座っていた私の身体は畳に投げ飛ばされてしまいました。
そのあとは頬を何度も叩かれて頬がじんじんとしてました。
正座させられ、散々罵倒されてて父の怒りの収まるのを待つしか有りませんでした。
父が我に返って、「麻里ごめんよ、お父さんは麻里が大切で可愛いから叱るんだよ」と正座をしてる私を胡座をかいた父の上に座らされた。
淡々と持論を私に話ながら、それが当たり前のかの様に私の身体を撫で始めました。
穿いていたズボンのホックとファスナーを下げると下着の中に手を入れてきました。
「お父さん、何するの」と聞くと「お父さんの好きにさせなさい」と言うと父の手のひらが私の股間を包む様に性器を隠す様になってた。
その手のひらの中指が割れ目の中をなぞる様に動いてた。
それだけでは満足できないのか、私のズボンと下着を脱がし始めたので、少し抵抗するふりをするとまた頬を叩かれた。
諦めた私は父に良い様に触られた。
そんな様子を携帯で写したり動画に残してた。
そんな事が母が留守中の時に父にされてた。
5年生のなると父に舐められたりして濡れてた膣口に硬くなった物を入れられそうになったけど、まだ小さかった私には父の大きく硬くなった物は挿入は無理でした。
そんな日々から解放される日が来ました。
朝早くに何人かの警察関係者が父を迎えにきてそのまま家には帰って来ることは有りませんでした。
そんな生活から解放されたと思ってましたが、犯罪者の家族とレッテルを貼られ辛い生活でしたが、やっと平穏な生活だったのに、と父を厄介者と恨みました。
父は一日の殆どが家にいて、アパートを本当に探しているのか怪しく思えてたしたし、あとで知るのですが、たまに居ないときには、父は母からパチンコなどのギャンブルの遊興費を巻き上げていたらしいです。
そして最悪な日が来ました。
数日が過ぎた頃、みんなで朝食を済ますと母はパートの出掛けて、弟と二人でいつもの様に後片付けを済ますと、弟は友達との約束が有るらしくてそそくさと家を出ていきました。
私は自分達の部屋を掃除をしてたら父が入ってきました。
「麻里、お前はどんな食器の洗い方をしてるんだ」といきなり怒りはじめたのです。
お茶碗にご飯粒が着いてたと怒っていましたが、私が「それは勇人が洗ったんだけど」と言い返すと「歯向かうんじゃない」と頬を叩かれました。
私が更に「お父さん、何もしないで居るだけじゃ」と父に言い返すと、無言のまま力一杯お腹を殴られて余りの痛みに息もできずにその場に蹲ると「親に楯突きやがって」と蹲ってる私の背中を足蹴りにしてきました。
その時に殺されるかも…と身の危険を感じました。
声も出せないまま蹲ってる私に「親を馬鹿にしやがって」と髪を掴まれて仰向けになって倒れた私は畳に押さえ付けられました。
父は私のTシャツを首もとから破りブラも力任せに引きちぎりました。
その時に忘れようとしていた5年生の時の記憶が甦りました。
咄嗟に露になってる胸を両腕で隠そうとしたら、今度は拳で顔を殴られて、意識が飛びそうになってた。
口の中に血の味が広がるのがわかった。
抵抗する気力も無くなってた。
父はそんな私に「大人しくしてればすぐに済む」とスエット生地のスカートの紐をほどいてショーツめ脱がされて全裸にされると、5年生の時の様に性器を触りはじめて「麻里のマンコ可愛いな、これからお父さんが女にしてやるからな」と舐めたり、クリを指先で弄ってきてた。
膣の中にも指を入れられてた。
長い時間に思えた。
父の硬くなった物が私の中に入ってくるのが分かった。
痛みは有りました。
口の中の痛みより遥かに痛かった。
それより、初めての相手が父親だなんて…
痛みも有りましたが、気持ち悪さも有りました。
「麻里のマンコの気持ちいいぞ」と繰り返しながら硬くなった物を私の中で動かし続けて射精へと気持ちを高ぶらせている父を恥ずかしい奴と軽蔑してた。
ポタポタと父の汗が私の身体に降りかかる。
だらしない顔が見えた。
突き上げられる様に奥まで入れられ父は果てたようでした。
終わった…と思ってたら、自分のした事を正当化する様な事を言ってたけど、実の娘を力づくで犯して居ながら説教とか…
それを踏まえて、また私に伸し掛かってきた。
父親の威厳も何も無くてただ獣になってた。
散々突き上げを繰り返してまた一番奥で果てたらしかった。
半年間力任せに犯されてた。
そして父はまた逮捕された。
父にされた事は誰にも知られてないし、毎回中に出されてたけど幸い妊娠はしなくて助かりました。