家庭内レイプ体験
よく読まれている体験談
しかし「祖父に弄ばれた…」ってタイトルは非道かったですね(笑)。まるでオジイチャンがわるものみたい、世間から抹殺されちゃいます。オジイチャンが化けてでるかもしれない(笑)。
私は今でも祖父のことは大好きですよ。嫌なこととイヤラシいことは全然違うものなんです、イヤラシいことはされてみたい、嫌なことは絶対嫌だ、そんなものですかね(笑)彼奴ならよいけどコイツは絶対嫌だとか。
そんなわけで大発見の後も私は別に祖父を嫌いになったり、まして自分が被害者だとかの感情は全く湧いてきませんでした。ある日家に帰り着くと、また他の家族は不在でした。なんとはなしに祖父の部屋に向かってしまいました。「オジイチャンただいま」祖父は机に向かい書き物をしています。「お帰り」と返したものの背はこちらに向いたまま。「あー疲れた」私は祖父のベッドにパタリと倒れ込みました。暫くすると視線を感じます、ふと見れば凝視する祖父の目とジッと合いました。何ともいえない力のこもった目線。今なら、目で犯す、とか欲情のほとばしるとか言うでしょうね(笑)とにかく祖父が私の身体に熱烈な関心を示していることはよく伝わりましたよ(^o^)
祖父はすぐに恥入るように目をそらしてしまいました。私はベッドに大の字に寝転んで、なんとしたことか大きな枕を顔に被せ完全に隠れてしまいました。なんでそんなことを?祖父を「誘った」(笑)?今でもわかりませんね、女心の不可解じゃないかしら?(^o^)
そして何かパンツの上をなぞり、上下して擦り付け、優しくなぶり始めました。私はジッとして動かず、されるに任せています。勿論視界は真っ暗ですから何が起こっているかは全くわかりません、誰かが指先で、なんてことも全く見えません……ということになっています。ポリティカルコレクトじゃないな(笑)ま、とにかく私が悪いわけじゃない、祖父が何かしてる証拠はない(笑)
びっくりしたのは股間がすこしヌルヌルしてきたことです。オシッコをもらしてしまったかしら?身動きするとすぐさまパンツに包まれた部分への刺激は止みました。私は起き上がり祖父の両肩を掴み「抱っこして」と思わずもふるえ声になってしまいながら、対面開脚抱っこしてもらいました。すでに刺激を受け発動していた感覚が爆発してエッコエッコが最高調となりました。下腹部が熱く渦巻き今までの何倍もの快感に襲われてしまいました。しばらくは動けずに祖父に抱きかかえられたままでした。ようやく祖父の身体から離れることができて、私は床に立たされました。すぐにまた私の身体の内になにか熱いものが渦巻くのを覚えました。「また抱っこされたくなっちゃった」そう言って祖父の開いた脚の中に進んで行きました。祖父は「よいしょ」とかけ声をつぶやき、私の欲望のままに軽々と持ち上げてくれ、開脚抱っこしてくれました。今度は両手で私のお尻を押さえ込み自分のウエストに押し付け、力を込めてオマンコを密着させるのでした。感じやすい部分は一瞬痛みのようにも思え、でもすぐに快感となり、いまはもう快感しかありません、腰から下がとろけるようなエッコエッコ。祖父の首筋にしがみついて、不覚にも漏らしたヨダレを襟の処に擦り付け口をぬぐってしまいました。
読み返すと随分言葉がすっ飛んでしまってますね。興奮しながら書いたんですかね(笑)想像して補ってもらわないと意味不です(^o^)すみません、推敲できれば良いのにね
ま、続けます。
祖父は私を開脚抱っこで抱え上げたまま椅子から立ち上がりました。私はエッコエッコの強い快感に犯され祖父の首筋にしがみついています。そして数歩でベッドにたどり着き、私をその上に寝かせて覆い被さってきました。祖父の身体が重石のようにのし掛かります。祖父の手がお尻の辺りでもぞもぞすると、パンツがするりと腰から引き外されて敏感になっている部分が表にさらされました。それからアソコになにか温かく湿った固いものが押し付けられグイグイと私の柔らかい部分を攻めてきました。「ああ、これがセックスなんだな」と思った記憶があります。なにしろ七十年代は小学校における性教育の元年でしたから(笑)私の身体の下の入り口は、祖父の侵入には少し堅かったのかもしれません、いきなり祖父の勃起はフニャリとなり突き上げは止んでしまいました。もちろん今になれば祖父の不首尾は明らかですが、その時の私は「とうとうオジイチャンとセックスしてしまった」という感慨深い(笑)ものでした。祖父の放った体液が私の股間を流れ落ちるのが感ぜられました。なにしろ生理はまだでしたから妊娠なんてことはカケラも頭に浮かびません、一種のエッチな遊びって感じですかね。祖父は少しして立ち上がり、私の上から離れて側の籠からタオルを取り出すと優しく私を拭き浄めてくれました。初めて嗅いだ臭いはよく覚えています、青臭いような独特のニオイ、その後の人生でもよく嗅ぎました(^o^)
孫の私にそんなことをしても、祖父は口止めするようなことは一切言いませんでした。その点、実に堂々したもので、ある意味男らしい(笑)もちろん私も一切しゃべることはありませんでしたね。何食わぬ顔で「オジイチャンまたね」などと言ったものです。
その秋から翌年にかけて私は「セックス」が面白くなってしまい何度か祖父の部屋に自分から行ってしまいました。祖父が私を誘うことは一切ありません、私がセックス遊びに出向いて行ったものでた。親、特に母の不在を確認して姉や弟のいないときに、そして私の体内で幼い欲望が萌えだした時に祖父の部屋に足がむくのでした。
正直、開脚抱っこの方がはるかに気持ちよかったですね。エッコエッコを何回か味わった後、最後に「セックス」する、それが私と祖父の性生活となりました。不完全ながらの性交でたぶんしばらくは処女のままだったはずですが(爆)
実は処女を喪った日はっきりしません、何度か性器接触を繰り返した後に、本当の性交をしたはずです。祖父の勃起が実際に侵入した時も「あ、オジイチャンが入ってきた」と思ったはずなんですがね(笑)たいした痛みが無かったんだと思います、処女喪失初体験は痛みの記憶らしいですからね。今思うと祖父はコンドームを付けてる様子はなかったな~、可愛い女孫に中出ししてたのかしら(笑)ヒドい~~~~~~
女子小学生妊娠遊び
違うか、女子小学生愛人遊びですね(笑)
それは私の小学四年生最後の頃の日々でした。親、特に母、それから姉弟に気付かれないように祖父との交歓を続けていました。二月の頃だったか寒い時期、母は町内旅行に参加して父も仕事先から合流し三泊四日の間、家は祖父と子ども達だけの留守番になりました。子ども達だけでテレビが見られるのです、チャンス(笑)。九時過ぎからの大人番組をドキドキしながら観ましたよ、いまなら他愛もない場面でも、当時は食い入るように観たものです。布団に入ってからなぜか身内が火照るような心持ちで寝られません。エッコエッコを感じたい、そんな幼い欲望だったかも。夜中、姉弟が寝静まった頃私は祖父の部屋に忍び込んでいました。「寒い」小さい声でつぶやき、祖父のベッドに潜り込んでしまいました。小さい頃からオジイチャンと寝るのはあたたりまえだったじゃない、そんなこと思いながら。言い訳だったのかしら(笑)年寄りは眠りが浅い(笑)祖父はすぐに目覚めて私を抱きしめました。私は祖父に包み込まれ、背中で密着しました。祖父の手で真っ平らな胸を撫で回されると力が抜けてしまいます。お尻からパンツに手を入れられ局部を包み込むようにして愛撫されます。その気持ち良さ。すぐにエッコエッコが来そうです。その時祖父が私を仰向かせました、大きく脚を開かせて割り込んできました。すでにパンツはパジャマと絡みながら足首に下げられています。祖父の温かく湿って固いものが敏感なところに押し当てられます。「あぁオジイチャン入れたいのね」
祖父が中に入ってきて何度か動くとエッコエッコが湧き上がりました。今までになかった強い強い快感のエッコエッコ。下腹部に快感が渦巻き頭が白くなりジンジン痺れるようでした。思わず「アヒ、アヒ」っと声が洩れてしまいます。これが性交による快感を初めて覚えた時でした。そして祖父も復活して強く、その夜中、何度も交わったのでした。
時系列はかなりいい加減ですよ、順番通りなんてことはありません、あとあとの体験が混じっていることも(笑)了解下さい。もっとも子どもの性欲では毎晩なんてことはありません、その夜中だけでしたね。オジイチャンも歳だからそう毎日は無理だし(笑)
ただ私はセックスの快感も覚えて、呻き声を上げたり腰を動かしたりするようになっていました。母が留守とわかっている日、飛ぶようにして帰宅したことがあります。たまたま祖父が玄関で郵便物を見ていました。「ただいま!オジイチャン抱っこ!」そう叫んで祖父に抱きつきました。祖父はランドセルを背負ったままの私を引きずるように応接室に連れ込みました。すぐに短いスカートの下白いパンツを脱がされます。そしてズボンが床に落ちるとソファーに押し倒され覆い被さられてしまいます。入れられるとたちまち快感が湧き上がりました、エッコエッコが来ると「キャーッ」と声を上げてしまいました。応接室てセックスしてしまった、そんな思いがますます刺激的でした。やったあとで今更のようにドアに鍵を掛け、窓にカーテンを引く祖父でした(笑)ソファーに下半身丸出しで座り込むオジイチャン、私は開脚抱っこでまたがり祖父と交わってしまいます。二度めのエッコエッコで頭が真っ白くなりまた「アヒアヒ」と呻きます。祖父はその日やたら元気でした、床に手を突き四つん這いにさせられ、背後から入れられました。祖父は満足したらしく、私を拭き浄めてくれてからパンツを穿かせてくれました。「さあ、オヤツを食べなさい」優しく言われて、初めてオヤツを頂いてないことを思い出しました(笑)。全くオヤツを忘れてセックスとは(笑)小学生が
「祖父の」ズボンが床に落ちて、でしたね、でないと意味不明(笑)
オヤツのクッキーをかじりながら部屋に戻っていた祖父のところに行きました。祖父の膝に腰掛けてポリポリ食べます。食べかけをくわえて振り返り祖父に突き出すと嬉しそうに平らげるのでした。祖父が手をモゾモゾさせるので「今日はもう嫌!」と言って立ち上がってしまいました。オジイチャン可哀想だったかな、残念そうな顔だった
またしばらく間を置いて帰宅すると座敷で祖父に行きあいました。なにしろかなり大きな家だったのです。座敷には七段の雛飾りがだしてありました。ただいまも言わずに向かい合うと祖父が私の肩に手をかけて、意外な力で座敷に押し倒しました。私は腰が抜けたようにされるままになります。雛段の前に据えられた座布団の上に寝かされ、上からのし掛かられました。スカートの下に手を入れられ防寒着のタイツと下着をまとめて引きはがされました。祖父の勃起を入れられるとジワリと快感が湧き上がり、やがて陶酔の歓びの声をあげていました。
この歳になって昔の少女時代の写真を見ても
こんにちは。はじめて読ませてもらいましたが 大変エロ可愛い娘だったんですね。祖父が大変羨ましく思います。しかも少女がヨダレを垂らして…フル勃起しました!また続きを楽しみにしてます。よろしくお願いします。
宅配が来たり宗教が来たり(笑)
閑話休題で子ども時代のファッションでも書きましょうかね。七十年代の少女ファッションは
ハイウエストのワンピースかジャンスカ。白いハイソックス。ウエストには幅広のバンド。これで九割型カバーしましたね(笑)昔のアイドル画像を見ればよくわかります、日本中猫も杓子も同じスタイルでした(笑)しかもだいたい二、三着を着まわしで(笑)女子小学生はだいたい丈が長すぎるか短すぎるか(笑)四年生の私は一学期にはちょうどよかったミニスカが、成長に取り残されて年度の終わりには危険なほどマイクロミニスカになってましたよ(爆)その頃撮ってもらった写真をみると紺色、白レエス襟のハイウェストフォーマルワンピがウエストどころかバストの下あたりにベルトが来ていて、スカートの裾は腰下何センチというくらい上がって、ハイソックスと裾の間に太腿がニョッキリという格好でした、ロリコン大喜び(笑)
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