これは何十年前の話です。
当時、妹小3、私(姉)中3になったばかりの頃、母が急に過労で天国に行ってしまいました。それまでは普通に幸せな家庭だったと思います。父(って呼ぶのも嫌だけど)の消沈ぶりは酷くて、毎日毎日、それまで滅多に飲まなかったお酒を飲みながら母のお骨(納骨しなかった)の前で項垂れてました。
妹は妹で赤ちゃん返りしたみたいに私にべったりになり、
「お腹が痛い」
と訴えることもありました。この頃にきちんと妹と話しておけばよかったと後悔してます。私は私で母に変わって慣れない家事に奮闘中で妹のことは二の次になってました。それでも寝る時は妹が寂しくないように一緒に寝て過ごしてました。
ある夜、目が覚めると隣で寝てるはずの妹がいなくてトイレにでも行ったのかな?ぐらいの認識でまた眠ろうとしたのですが、夜中に妹が1人でトイレ?と疑問に変わり、起き上がって妹を探しました。トイレには明かりがついておらず、洗面台にもいなくて、キッチンにもいなく、母のお骨が置いてある部屋に向かいました。ドアの前に立つと妙な物音が微量にしてきて、そっとドアを開けて覗きました。そしたらパジャマの上をはだけさせて下を履いていない妹が父に口を塞がれて仰向けに横たわり、下半身を出している父が妹の脚の間で腰を振ってました。父が動くたびに妹と父の隙間で赤黒い棒が縮んだり伸びたりしててショックなのと気持ち悪いので私はその場で吐いてしまいました。
「何見てんじゃこらー!!」
と言う罵声が聞こえたと思った時には私は殴られ吹き飛ばされてました。マウント状態で殴られてゲロの味が血の味に変わり耳には父の罵声と妹の泣き声が聞こえてました。数発殴られると自分の部屋に連れてかれ、どこからか持ってきたロープで手を縛られ猿轡をされて下半身を脱がされました。このままでは私も犯されると思って抵抗しましたが脚を広げられまんこを広げられ覗かれ指を入れられました。
「ちゃんと残してあるな」
と私が処女であることを確認するかのような行動をとると父は出ていき洗面器を持って戻ってきました。そして私を勉強机の脚に縛り付けると
「痣が消えるまで出さねぇからな」
と言い放ち再び出て行きました。それから1週間くらい私は犬にでもなったみたいな気分でした。1日に1回、犬の餌入れに入れられた残飯を食べるように強要され、排尿と排便は洗面器。抵抗するとお尻を鞭で叩かれて妹をだしに脅されました。この時に知ったのですが私達の知らないところでは母は父の奴隷だったそうです。私の姿を見ながら
「ママの若い頃を思い出すな」
なんて笑った父によけい殺意がわきました。
父が帰ってきたんだろう時間には必ずっていうくらい妹の泣き声がして
「おねえちゃーん」
って声が聞こえてきました。
私はどうすることもできなくて悔しくて悲しくて情けなくて自分を呪いました。
ようやく顔の痣が消えて自由になっても、私が妹を守ろうとすると、その分、父は妹を乱暴に犯し私に見せつけました。私は目を反らすことしかできなくなって、できるのは父がいない時に妹を抱き締めてあげることくらいでした。妹は私といる時はまだあどけない姿を見せてくれていたのですが、父がいると媚びるような女の姿を見せるようになりました。その姿がまた痛々しくて見てられませんでした。
それからしばらくすると父は麻雀仲間を家に上げるようになりました。お酒を飲みながら麻雀する音は耳障りなものでしたが、父が妹を手放す時間でもあったので私達はその時間を喜び、夜は抱き合って寝てました。
数ヶ月後のある夜。妹と寝てると急に父が入ってきて妹を連れて行ってしまいました。そして入れ替わりにおじさん達3人が入ってきて私を犯しました。パジャマも下着もビリビリにされ、乳首をヒリヒリするくらい弄ばれ、イマラチオにまんこあなるの同時処女貫通をされて地獄の底を見てるようでした。おじさん達は代わる代わる休んでましたが、私は休ませてもらえず、だんだんと意識が朦朧としてきて気づけば外はすっかり明るくおじさん達はいませんでした。ベトベトの体とむせかえるような異臭と血と精液の後が生々しくて絶望感にさいのまれました。妹も最初はこんなだったんだろうか?とか思うと胸が痛すぎて苦しくなりました。
続きはまた今度書きます。