こんなタイトルを語る掲示板があった事に驚きです。話したいことがたくさんありすぎて長くなるかもしれませんが、、。
私が小学校6年くらいまでは幸せな家庭だったと思います。父親は消防士をしていました。母親は主婦でした。いつも学校から帰ると母がおやつをつくってくれたり、私は宿題をして父が帰るのを楽しみにしていたり、父が夜勤の時は面白くなかったり、、、とそんな思い出があります。
しかし、私が小学校6年になれば、父がおかしくなりはじめました。一番最初はこうでした。父が野球を見ながらタバコを吸っているときに、私が父に「どっちが勝ってるの?」と聞いたとき、父は今まで似ないような雰囲気で「ひとがタバコを吸っているというのはリラックスしているときなんだ。話しかけるな」と冷たく言われたのが最初でした。
お父さんは機嫌が悪いのかな・・。とおもいましたがあまり気にせずにいました。そして翌日、いつもなら仕事に行く父がまだ家にいるのです。それが2日、3日、4日、最終的にはそれがずっと連続しました。心配になり母に聞いてみたら、母はお父さんは身体の調子が悪いの。としか言ってくれませんでした。そして母は友達のところでパートに出るようになったのです。母がパートに行ったのはお金がないから・・というのではなく、家にいるのが辛いから。というような印象でした。
それから私が学校から帰ってたら家にいるのは母ではなく、父になりました。父はずっとタバコを吸ってテレビを見ていました。そして刺激的な画面(暴力シーン、官能シーン)を見ると興奮してテレビに怒鳴ったりしていたのです。その頃になると、私も子供ながらになんとなく理解してきました。身体の病気なんじゃなくて、心の病気なんだろうな・・。と。
そんな父とテレビを一緒に見ていたときの話しです。父は相変わらずテレビを見ながら一人ごとを言ったりしていました。しかし突然、「マキ、ここでおしっこしなさい」と言ってきたのです。私は「え?なんで???」と答えましたが、その時の父の焦点の合わない目に凍てつくような恐怖を覚えました。
父は風呂場に行き、洗面器をもってくると、私の前に差し出したのです。私は「オシッコなんてでないよ、さっきしてきたし」といったら、「出るまでここにいろ。それまで動いてはダメだ」と言うのでした。
それから1時間、2時間と経ちました。子供の私は父の冷酷というか人間離れした目が怖くてその場から動けませんでした。時間が経つにつれ、、おしっこしたら解放されるのかな・・。と思いはじめオシッコを出そうと努力しはじめました。
そして「・・・出そう」とだけ答えて父には見えないようにスカートからパンツを下ろし、洗面器の前にしゃがみこんだら、父がすぐ私の前にきて、じーーと私の股間を凝視しているのです。私は少しオシッコを洗面器に出して、すぐにパンツをはいて逃げるように洗面器を風呂場で流し部屋に逃げ込みました。それが最初の虐待?の始まりでした。
また父は絵を描くのが趣味でもあったので、私が学校から家に帰ると、私はそのままコタツのテーブルの上に座らされ、足を開かされることもありました。パンツははいてましたが。そしてその状態のまま、父はモクモクを私の絵を描いたりしていました。絵を描いている時は、絵を書き終わったら解放されるのでまだ楽だったと思います。
それから父が私に対する対応はパターン化してきました。学校から帰ると1時間~2時間くらい、父の命令を聞くという展開になり、それ以降母がパートから帰ってくるときに何もなかったのです。
特に一番つらかったのは、裸の絵を描かれるときでした。私はいつものように学校から帰ると、コタツのテーブルの上で四つんばいにされ、父は私のパンツをざっと下ろすと、お尻とかを手で広げられ、そしてその体勢のままいることを言ってきました。父は画材道具を準備すると、私のあそこやお尻とかをモクモクを絵を描いたのです。特に指を入れられたりとか舐められたりするのがなかった事が不幸中の幸いです。
誰にも相談できないまま、気が付いたら数ヶ月が過ぎ、私は中学1年になりました。生理もきたので生理中は父からの命令がなかった事で安心できる1週間でした。そして中学になって私も少し強くなったのか、父が隠している今まで書かれた絵を処分しようと心に決め、父がタバコを買いに行ってる間に父の部屋に入り、机の置くから絵を20枚近く発見しました。
そこには父は昔から絵を書いてるだけあって、とても上手に私の裸がかかれてました。さらにパンツの裏についているオシッコの跡とか、生えかけた陰毛もリアルに描いていました。私は言葉では表せない気持ちになり、、絵を机になおしました。処分する気にもなれなかったというか。。実際はその頃になればもう慣れみたいなものもありましたが。
そして最後の虐待の日がやってきました。私は少しでも学校にいる時間が長ければいいと思って、学校の陸上部に所属し、夕方まで練習していた時の事です。いつものように家に帰って、(今日は何がまってるのかな)と慣れ半分で家に帰ったとき、父はいつもより既に興奮していました。
いかにも私が帰ってくるのを待ってたように、私をリビングで座らせたのです。そして足を掴んで広げられると、父は新しい何か発見した発明家のように「おお!そうだ。そうだったんだ!間違いない!」と意味不明に興奮していたのです。そして「早速始めよう」と父がいうと、またいつものオシッコかな・・。とおもっったのですが、パンツを脱ごうとする私に、「今日はそのまましなさい」と言ってきたのです。
私はさっさと終わらせて部屋に戻ろうと思いました。相変わらず父が準備した洗面器に制服のまましゃがみこんむと、オシッコを今日に限ってはパンツの上から出しました。父はそれ凝視しています。出し終わった後私は洗濯しようと立ち上がったら、父は「待ちなさい」と私を呼びとめ、顔をオシッコのついたパンツの上に埋めて舌で濡れたパンツを舐めてきたのです。
私は今までにない展開でいや!!!と抵抗しました。父はパンツの生地に吸収されたおしっこをすすりだすように吸って飲んでいました。私はただごとではない、と恐怖を感じました。そして父の興奮は今まで以上で、パンツを脱がすとクリを舐めてきたのです。私は耐えて耐えて頑張りました。すると母が帰ってきて、私はすぐに玄関に逃げて泣きながら母に助けを求めました。
母もこの展開に驚き、本格的に精神病院への入院をさせるようになりました。そして父は病院に入院し、今ではなんとか元も消防士時代とはいえませんが、普通に工場の仕事をするようになるくらいまで回復しています。あの小学校6年から中学にかけての8ヶ月間は、私にとってはあまりにも重く処理できてない出来事の一つです。しかし、父は私にたいする仕打ちを覚えていないのか、一切あの頃のことを話す事もありません。
ただ父がこのまま健康になり、母への負担もなく、私はこのまま無事学校を卒業して誰か優しい人のとこに嫁ぐことが出来たらいいなぁ。と思う今です。