妊娠が22週目に近づき
もうすぐ堕胎できなくなる間近になって
上司が突然いったのです。
「高石、金とか同意者とかは書いてやるから
とにかく病院に行こう。
ホントに産むわけにはいかんだろう?」
怖くなったのか突然そう言ったのです。
私は「お金を出して中絶すればそれで済むものではない。
私の身体は2度も中絶して
取り返しの付かないほど傷付いているんだ!」
と腹だだしく思いました。
でも妊娠が22週目に近づきつつ或る今
上司の申し出を断ることは出来ませんでした。
翌日産婦人科に上司も一緒に来てくれました。
お医者さんに見て貰うと
「もう22週ギリギリなのですぐに手術の準備をしましょう」
と言われました。
産婦人科は男の人にとって居づらい場所です。
その間居心地悪そうにしていました。
「ここで中絶しても上司が反省してくれなければ
同じ事の繰り返しだ。」
と思い恥ずかしかったのですが
上司に反省して貰うために
中絶手術に立ち会って貰うことを提案したのです。
それが私のささやかな上司への反抗でした。
上司は嫌がっていましたが
お医者様が
「妊娠は男の人にも責任があるわけだから
中絶の苦しみを男の人も味わうべき。」
といってくださったので上司も
渋々承諾してくれたのです。
手術は3日間に渡って行われました。
初日と2日目は
ラミナリアという海藻でできた器具を膣口より挿入するし、
子宮口を広げ、後の手術で胎児を掻き出しやすくします。
麻酔をかけずに処置されるので痛かったです。
2日間ずっと生理痛のような痛みがありました。
夜になってもあり、痛くて2日間眠れませんでした。
そんな痛みに苦しんでいる私を見ても
上司は懲りずに毎日来てくれて
手術の日も来てくれました。
私はとにかく
「お腹の子供を殺す。」
と言うことがどういう事か上司に分かってほしかったのです。
3日目手術の日
分娩台に乗って陣痛を起こす座薬を入れて出産させるという方法でした。
ラミナニアを入れられてからも、
お腹の中の上司の子供はは元気に動いていたのですが、
陣痛を起こす座薬の2本目をいれるあたりから元気がなくなり、
今思えばあれが最後の胎動だったような気がします。
そして陣痛も強くなり、3本目の座薬を入れようと、
内診台に乗ったら
「そこまでもう赤ちゃんが出てきてるわよ」
と看護婦さんの声が聞こえ、それからはもう無我夢中でした。
私は必死に息みました。
看護婦さんの
「上手よ、上手よ」の声に導かれ、
上司の赤ちゃんは生まれ出たのです。
破水もせずに羊膜に包まれたままきれいに出てきたそうで
看護婦さんも驚いていました。
21週と3日。34cm350gの赤ちゃんだったそうです。
きっとお腹に宿ってくれた赤ちゃんが
私を苦しませないようにと頑張って出てきてくれたのかと思うと
初めて罪悪感が産まれてきて
涙があふれて止まりませんでした。
上司も隣で中絶の一部始終を見ていて
余りの壮絶な現実のショックを受けていたのか
唖然としていました。
手術が終わり暫く術後の容態を見るために通院してました。
上司は中絶手術がよほどショックだったのか
手術が終わったあとも私のために
食事を買ってきてくれたりして世話を焼いてくれていました。
私はこんな苦しくて屈辱的な事をさせられた上司を
許す気にはなれませんでしたが
「これで地獄のような生活から解放される。」
と安心していました。
望まない妊娠・中絶を三回もさせられ
女として最も恥ずかしい惨めなことをさせられた生活が
やっと終わる。
私は過去の傷よりも未来への安心で
ほっとしていました。
でも私の惨めな生活はこれで終わりではなかったのです。