私(現在30)は痴漢される事に対し、昔からやや強い執着があり、また見られることで興奮する体質、つまり多少の露出癖があります。ちなみに職業は教員です。
もともと、少女時代はこれといって変わった趣味趣向があるタイプだとは自分では思ってはいませんでした。
そんな私が中学は進学校へと進路を進め、小学校の同級生が、歩いて中学校に通学する中、私はバスや地下鉄を乗り継ぎ、毎朝満員電車を乗り継いで学校へ行くという毎日が待っていたのです。
中学時代は絵にかいたような大人しい雰囲気を持つ生徒であった私は、時代が時代というものもあってか、バスの中で痴漢に会う事は殆どなかったものの、それに対して地下鉄の中では記憶する限り、1週間のうち、3,4日間くらいは痴漢にあっていた経験があります。
最も多かった痴漢のパターンは、スカートの上からお尻を触ってくる。これが私が経験した痴漢の85%くらいだったと記憶しています。そして、残りの13%が、スカートの中まで手を入れて、ショーツの上から触ってくる。。そして残りの2%くらいが、ショーツの中まで指を入れてきて、直接アソコを触られる。というものでした。
たしかに、私も初めて痴漢にあった時は、恐怖で声も出ず、とにかくやめてもらうように、相手の手を掴んだり、体を回転させたりという事しかで出来ない様な、そんなか弱い性質の女生徒でした。(イライラしている時とかは、シャーペンで手を刺したりもしていましたが(笑)
しかし、先ほども述べた通り、1週間で3,4日も痴漢と遭遇する毎日を過ごしていれば、人間はどんな事でも反復や継続すればいつかは慣れてくるというものはあり、いつしか痴漢に遭遇しても、(やれやれ、また来た・・・)と痴漢の魔手に無視を決め込む事が出来る強い姿勢の私も発見できました。
そんな中学生活が終わり、そのままエスカレーターで進んだ高校生活に突入する頃には、県内第一や、名門進学校と呼ばれる学校の授業の方も、とにかく詰め込み式で、なおかつハードルの高いカルキュラムを強いられる毎日を過ごす私のストレスのはけ口は、電車の中で痴漢に触られながら、(この人はどこまで攻めてくる人なんだろ)とか(この人、昨日の人と同じかな。でも、この人まだ初心者なのかな。かなりオドオドしながらやってる笑)等と、痴漢に対する分析をすることに楽しみを覚える私がいたのです。
あの頃は本当に今思えば、異質なものがありました。朝の6時から起きて、電車を乗り継ぎ、とにかく勉強勉強。学校が終わったら塾。いつも寝るのは23時くらいになっていました。この生活スタイルは、当時の私にとって人格(性癖)を歪めてしまうほどのプレッシャーとなっていたのだと今では思います。
そして私は4年生大学の中で、教員免許取得の為の教育実習を済ませ、私は今まで生きてきた都会の喧騒から離れ、世間でいう、やや過疎地。という地域の教員となることになったのです。
就職すると同時に、今まで住んでいた実家を離れ、人生初めての一人暮らしを始めました。仕事が始まってからは何もかもが新鮮で、生徒から慣れない「先生~ 先生~」と呼ばれる中、私の新しいスタートが始まっていたのです。
この新しい人生では、痴漢に遭遇することもありませんし、都会独特のけたたましく過ぎていく日常の姿はありませんでした。毎日が常に平安と安寧に囲まれているのです。私の心のどこかでは、(私の人生はここに骨をうずめてしまう運命なのかな)とか、まだ若干20代前半であるにも関わらず、そんな年より臭い事を考え、また別のどこかでは(刺激が欲しい・・)と思う私も存在していたのです。
結局、私は二重人格のような傾向を持っていました。仕事をしている時の私と、プライベートの私が、性癖という部分においては大きな乖離があるのです。仕事をしているときは教員というプライドをもって、生徒に厳しく接しなけれなならない時もありますし、何より自分がまず秩序や規律を守らなければなりません。
私は教員として学校にいるとき、もっとも溌剌と輝いていると思っていました。しかし、プライベートになると、なぜか無気力。休みの日もこれといって特別趣味がある訳でもなく、何か用事があるわけでもなく、ただやっている事は、家でアダルト動画を見て、自慰行為ばかりしている私がそこに存在していたのです。
表の教員としての私。そして裏の自慰行為ばかりをしている私。このギャップには私自身が一番、なんらかの違和感を感じてはいましたが、これも(別に誰かに迷惑かけてるわけじゃないし。)とか(彼氏出来たり、結婚したらきっとやらなくなる)とか肯定的な考えを自分に言い聞かせてました。
こんな私の思考回路は、気が付かないうちに性的な行い(自慰等)は何のためにやっているのか。というと、日ごろのストレスの発散の為にやっていたのです。この構造ストレス社会の中で、誰一人ストレスを感じずに生活をしている人はいないと思います。私もどれだけ都会に比べ、環境に平安と安寧に満ち溢れてるといえども、責任からくるストレスが無いわけではありません。
ただ、一般の人はそのストレスを、スポーツ、文化、趣味、あるいは飲み会等で解消していっているのだと思うのですが、ただ私にはそれら趣味というものがありません。唯一、性的なモノ・・が私のストレスのはけ口になっていたんだと思います。
そんな自己分析をし、要因がはっきり出来る背景を持っている私は、自然と性的な事に対し徐々に過激化していく傾向もわかりました。最初の頃、やり始めていたのが、例えば今のような夏なら、下着が透けるワンピース(本来、ペチコートやインナーを装着した上で着るような服)を着て、街中に繰り出したり。。
用事もないのに、あたかも待ち合わせ等の用事のある素振りをし、店舗へ上がる階段に座って携帯等を触り、目の前の通行人が、私のスカートの中に視線を集めるのを楽しんでみたり。あるいはミニスカートをはいて、自転車にのって適当にサイクリング。どこまでも合法であるのは間違いないと思うのですが、そんな問題行動を起こすようになっていました。
なぜなら、服を意図的に透けさせたり、ショーツを見せたりして過ごした数時間の後、自宅にかえり電マやローター等で自慰した時の感度が、圧倒的に通常の時の自慰の際の感度と別領域である事を知っていたからです。
他にも仕事に慣れない頃にはなかったことですが、慣れてきてからは時には度を過ぎる事もありました。たとえば、仕事へ行くにしても、ショーツを履かずにパンストだけ着用し、スカートで通勤したり、わざと、「教員らしからぬ」過激なTバックショーツで通勤したり、(一瞬くらいならいいや)と、不特定の同僚に見られる恐れがあるにも関わらず、職員室でフレアスカートのまま、しゃがんで書類を段ボール箱に詰める作業をしてみたり。
仕事になれてくるにつれて、今まではっきりと、仕事とプライベートを切り分けていたものが、仕事にまでプライベートの性癖が侵食してくるような時も多々あったのです。
みられることに快感を覚える私は、自分の姿格好には強いこだわりを持っていました。幸い、高校を卒業する事から急に四肢が長くなり、細くなるところは細くなり、そして胸も膨らんできた事もあって(顔立ちに関しての評価は自分からは差し控えます)それなりに女性らしい体つきになってきた事で、「いかに美しく、妖艶に見えるか?」というテーマに関しては、女の端くれとして自分でも取り組んできたつもりではいます。
しかし、私が勤める場所は、学校でありキャバクラ等風俗店ではありません。何をしても、口うるさい監視の目が付いている環境なのです。そんな中で、いかにして自分(の露出癖)表現するかといえば、どこまでいっても合法的なモノでなければなりません。
私は結局、普段の時は下着を透けさせること、響かせること、不自然ではないタイミングでしゃがんで(胸元見せたり、ショーツを見せたり・・)また、運動の時間のジャージ姿なども、あえて一回りサイズの小さいのを買い、胸や尻を強調させるのもひとつの手でした。あとは水泳の授業。これも地味なデザインの水着を装着するのは暗黙の了解ですが、体にピッタリ吸い付くような水着を選んだりもしていました。
日常の中に性的要素を入れていく。これが私の日常になっていたのです。
そんな日常を繰り返していると、やはり男性からのアプローチというものに接するのも時間の問題でした。
次回は体育の野崎先生(女遊びという点で不穏な噂があるイケメン先生)との体験についてお話します。この野崎先生とは最後までやってしまう関係になるのですが、私にとって大学生の時の彼氏の次の人、つまり人生で2人目の経験になる方です。
☆☆もし続編が気になる方がいればコメントください。誰も読んでないのに長々と書くのもなんだかなー(笑)なので♪♪