もう10年も前の話を書かせてください。当時私は22歳のOLでした。私にはお付き合いしている人がいて、彼は9才年上で、私が卒業した高校の先生だったんです。彼には私が19才の時に告白され、私にとって先生は初めての男性でした。私はC県のT町という田舎町に住んでいました。とても不便なところなので、家から駅近くの貸駐車場(と言っても、未整備な空き地)まで自家用車で行き、電車で東京の会社まで通勤していました。彼とは週に2~3回デートしていましたが、いつも車で私の都合のいい所まで迎えに来てくれていました。彼と会える日は混雑した帰りの電車を途中下車できるので、そんなこともうれしかったのを憶えています。
その日も彼はTDNM駅まで迎えに来てくれ、国道沿いのレストランで夕食をすませた私たちは、そのままいつものホテルで交わりました。帰りは私の車が停めてある駐車場まで送ってくれます。真っ暗な駐車場の奥に車を停め、彼はシートを倒します。別れ際、必ず彼は10分ぐらい情熱的なキスと愛撫をしてくれます。その日も帰るのが辛くなるほど、彼の手と口は私の身体を可愛がってくれました。
私が助手席のドアを開けて車の外に出たときでした。いきなり黒い影がいくつか現れたかと思うと、悲鳴を上げるまもなく口にテープが貼られ、気が付いたときには誰かが車の中にいた彼を殴りつけていました。彼はすぐに気絶したようです。手足をテープで拘束された彼と私は車の後部座席へ押し込められ、前には男二人が座って車が動き出しました。何がなんだかわからないまま、ただ恐怖だけが増幅してゆき、林の中の空き地のような所で車が止まりました。すると後ろからもう1台ワゴン車が付いてきていたようで、私だけが彼の車から降ろされました。振り返りながら彼に助けを求めようとしましたが、テープを貼られた口では声になりません。彼はぐったりとしていました。ワゴン車のシートはフラットにされていたのだと思います。私はいくつもの影に囲まれました。あちこちを押さえ込まれているようで身動きができません。怯えている私に男の一人が話しかけてきました。細かいことは憶えていませんが、ずっと前からあの駐車場で私たちが抱き合っていることを知っていたこと・襲うチャンスを伺っていたこと、そして「これから俺達がたっぷり仕込んでやる」という言葉だけが記憶に残っています。仰向けにされている私のブラウスが引き裂かれました。プリーツスカートの留めが外され、パンストが足首から抜けていったかと思うと、ブラがバチンと音を立てて引きちぎられました。もがこうとしたのですが、身体が震えて震えて自由が利きませんでした。男達の笑い声が聞こえる中、ショーツが脚を滑っていきました。あちらこちらから手が伸びてきて、私の身体は揉みくちゃにされました。誰かが「脚を開かせる」と言ったので、私は精一杯身体に力を込めましたが、もの凄い力でこじ開けられました。誰かが懐中電灯で私の顔を照らし、私は目がくらんでいっそう男達の様子が見えませんでした。明かりは身体のあちこちを照らし、私の股間に下がっていきました。裂けるほど開かされた太腿。その付け根を明かりはしつこく照らし、男達がなにやら言い、笑っています。誰かの手が私の局部に触れ、左右に開いたのがわかりました。喉の奥から悲鳴を上げたのですが、鼻から洩れる息にしかなりません。いくつもの影が私のそこを奥までのぞき込んでいるのがわかりました。
やがて一人の男が私の股間に入り、膣口にあてがってきました。この時男の顔が見えました。怖い顔が笑っていました。男は私のあまり大きくない乳房を・・・彼が「掌にぴったり収まるから好き」と言ってくれたその乳房を両手で乱暴につかみながら、ゆっくりと挿し込んできました。野獣のような男の汚らわしい物が、身体の芯を深く、深く貫いています。男が動き出しました。子宮を潰され、膣粘膜をめくり出されてしまうのではないかと思うほどの圧迫と抵抗感がありました。私は恐怖と羞恥の中でだんだんわけが解らなくなっていたと思います。しばらくして男が私の中で射精したのは感じました。膣奥が熱く重くなったような感覚で、粘膜を通して汚らわしい精液が染みこんでくるようでした。たぶん私は身を震わして号泣していたのだと思います。二人目の男は口のテープを剥がし、私の口中に舌を差し入れ、嫌がる私を楽しんでいるようでした。悔しいことに悲鳴を上げたくても、私にはその力が出ませんでした。その後は、次から次へと犯され、精液を注ぎ込まれ続けたのだと思います。気が付いた時には私は彼の車の中で、男達はいませんでした。彼は後部座席で身動きできないまま、私を見て泣いていました。私は彼の拘束を剥がそうとしましたが、脚がうまく動きません。ふと見ると私の性器にはオロナミンCの瓶が突っ込まれていました。私は鈍く擦れるような痛みに耐えながら、それを抜きました。抜け出る瓶の口に続いて、男達の精液がドロッと溢れ出しました。それから後のことも余りよく憶えていません。玄関に土下座している彼、泣き叫ぶ母、気丈に私の世話をする妹、父が休職手続きをしたこと、などが断片的に思い出されます。彼は私の世間体を気にして、「訴えない方がいい」と言ってくれましたが、教師としての自分の世間体を考えたのだと思います。彼は「結婚しよう」と言ってくれましたが、だんだん訪問の間隔があき、そのうち私が電話しないと訪ねてくれなくなりました。それからまもなく、電話しても来てくれないことが何度かあり、「あぁ、駄目なんだ」と思いました。両親も彼の話はしなくなりました。
私は29才の時、両親の勧める縁を受け入れ、結婚。いつの間にか2児の母になりました。主人が求めてくるとき、あの日のことが必ず甦りますが、目をつぶり、身体を固くして耐えます。主人はそれを「いつまでも初々しい」と勘違いしてくれます。
10年経った今、吐き出すように全てを告白できました。