心に残る古い傷が今となって再び痛み始めるとは思ってもいませんでした。
私は、来年31歳になってしまう女です。私には、生涯秘密にしたい事があります。
それは、我が家の中3の康彦の事です。この話には「古い傷」の話をしないといけません。
私が今の康彦と同じ年代の話になります。当時には珍しい寮生活のある学校に入学した
私と中学時代からの友人の優子は、柔道部に入部しました。入部と言っても二人とも
華奢なので当時全国レベルの男子部のマネジャー専門でした。
あれは新人戦の大会で先生以下1.2年生のいない日でした。私と優子は、部内の清掃
の為、学校に残りました。お昼頃、ゴミ捨てから戻ると優子の姿がありません。
でも、かすかに話し声が聞こえる2階の一番奥の倉庫に向かいました。中を覗こうと
したその時です。後ろから何かを頭にかけられて真っ暗になってしまいしました。
そして、私は犯されました。真っ暗闇の中で体中に粘り着き精液や休む暇もなく口と
あそこに入れられる強大なペニス。私には、どうすることもできませんでした。
ただ解ることは、近くに優子が同じように犯されていることでした。私が気付いたとき
には、手足は解放されまだ意識がもうろうとしている全身白い精液まみれの優子と二人
きりでした。
私達は悩んだ、末先生に犯されたことを言いました。夫婦で顧問をしている先生なので
安心して・・・しかし、先生からは、「君たちの将来の為にも忘れた方が良い」と言う言葉
でした。
信じられませんでした、柔道部の部屋の入口には常に鍵がかかっていてその鍵は部員と
先生しか持っていません。まして、新人戦で遠征に行った1.2年生の訳がなく3年生
しか犯人の可能性はありません。でも、証拠も無く疑うことも出来ず彼らは卒業して
いってしまいました。
しかし問題は、その後です。レイプの後遺症等で私も優子も男性不信に陥り、男性と
話すことにも戸惑いが起き、恋愛など出来ませんでした。
そして、一番嫌だったのが妊娠でした。寮にいたせいか気づくのに遅れ、既に下ろせる
状況ではありません。優子も妊娠しましたが、結局は死産だったそうです。
でも私は、男の子を産む事となりました。それが康彦なのです。
父も母も世間体を気にして私の弟として育てることになりましたが、あの憎いレイプ犯が
残したものと言う意識がありながらも私の子供と言うこともあり、やも得ない結果でした。
私は、康彦を産んで間もなく優子と共に地元の高校に編入しました。そして、卒業し
今の会社で賢明に働くことで、あの忌々しい過去を忘れるよう努力してきました。
父や母の薦めもあって、私は都内のマンションを借り康彦と離れることにしました。
康彦の側にいれば、自然と姉と弟を装う関係は出来なくなるので。
あれは、1ヶ月ほど前の事です。深夜、母より電話があり康彦がいなくなったと
言うことでした。慌てて実家に帰ると母が涙を流しながら康彦に出生話がばれたことを
言いました。それは母の親戚筋が母が私を産んだあと、二度と子供が産めない身体に
なった事を話してしまったそうです。いろいろと探しましたが康彦は見つからず、
朝になり自分のマンションに戻ると部屋の中に康彦がいました。
康彦は、「姉さんが、俺の母親だったのか。」「年の差が離れすぎていると思っては
いたんだ」とうつむきながら話し出しました。でも、互いに話が続かず私は、「ゴメン」
と言いながら康彦の顔を抱きました。
康彦は、「俺には、姉さんの血と姉さんを犯した血が流れているんだから」と言い私の服
を脱がしはじめました。それは、強引ではありませんでしたが、私は抵抗が出来ません
でした。恐らく抵抗して康彦を傷つけてはいけないと思ってしまったのかも知れません。
服を脱がされ、赤ん坊の頃のようにおっぱいを吸われるかと思えば、時には噛みとあとは
自然の流れでした。
私は、あのレイプ以後は一度も男性と関係を持ったことがありません。2回目がまさか自分
の息子にされるとは思ってもいませんでした。
康彦は、自分がレイプ犯の血が流れていると言うことに不安を抱いています。
これは私の責任なのかも知れません。私は、康彦と暮らしていこうと思っています。
康彦が卒業したら二人で知らない土地へ行き二人で暮らすつもりです。