小学生時代、強姦されてしまったことは、幸い親にはわからなかったようです。
そのまま私は普通の小学生のように普通に学校に通い、友人と遊び、日々を過ごし
ていました。その後はとくに何もなく、(一度そのときとはまた別の人に車に拉致
られそうになりましたが)やがて私は小学校6年生になりました。
そのころ私の周囲では私学進学熱が高まっており、中学から塾に行くのでは遅い、
いい私立高校に行くには小学校6年くらいから中学の勉強を始めなくては、という
風潮がありました。そして私も友人の勧めもあって、塾に通い始めました。
勉強と言うより、どちらかと言うと違う学校の子供たちと知り合いになれるのがう
れしかったのです。
なにより、大人の大学生・大学院生の先生とお話するのがとても新鮮でした。
自分が大学に進学して塾の講師をやったとき、こんなに子供が先生やってたのかと
あとで思いましたが、当時は彼らがとても大人に見えたのです。
友達とお気に入りの先生はだれ?とか、話をしてたあのころが懐かしい…。
中2のとき、私にも、お気に入りの先生ができました。ちょっとひねくれた感じのX
先生。みんなとふざけて、「今度先生のおうちにお邪魔しに行きたい~。住所と電
話教えて!」なんていってみたら、あっさり教えてくれました。私はうれしくて、良
く先生に電話しまくりました。ちょっとHな内容のはなしをしては、どきどきしてい
ました。子供だったんですね。
そしてある日、先生のおうちに誘われました。
もしかしたらHするかも、とは思ったのですが、そういうことに興味を持ち始めてい
た年頃だったし、今更処女でもないしと(悲しいことですが、事実でしたから…)
お邪魔させてもらいました。
思ったとおり、薬いりジュースを飲まされてそのままHしてしまいました。
気持ちも良くはなかったけど、それでもはじめて嫌いじゃない人とHできたことが私
はうれしかった。
薬なんか入れなくても、言ってくれれば私はよかったのに、とはおもいました。
ただ、初めてじゃないことは言えませんでした。
血も出なかったので「おまえ本当にはじめてか?」と言われたとき、気にしていなか
ったつもりのあのことがさっと脳裏をよぎりましたが、もちろん初めてです、と嘘
をつきました。この瞬間、以前犯されたときは感じなかった悲しみが心に湧き上が
りました。
そして、私たちは付き合うことになりました。
それからしばらくたって、学校で私と先生のうわさが立っていることを知りまし
た。
誰にも言ってないのに、おかしいな?と思っていたら、塾の帰り、いつもの様に塾か
らの帰り、家の最寄のバス停に降りてしばらくした暗がりのところで数人の男子に
囲まれました。
何だ?と訝しく思い、顔をみると同じ学年の男子でした。
彼らは路地の裏に私を引っ張っていくと、
「おまえ、X(先生)とヤッてるんだって?やりまくってるんだって?…処女じゃな
いんだろ、やらせろよ。」
なんて無礼なやつらだと頭に来てふりきろうとしたのですが、そのまま地面に押し
倒されてしまいました。
そこで私は抵抗するのをやめました。女であることが、非力なことがこんなに悲し
いことなのかと思った瞬間、なんだかもう嫌になってしまったし、傷をつけられて
親が悲しむかおなんて見るのがいやだからです。
昔のことが思い出されました。
どうして私ばかりこんな目にあうんだろう?私、そんなに悪い子?私がなにをした
の?これは何の罰?…お母さん、ごめんなさい…。
頭の中でそんな言葉ばかりが回っていました。嫌、嫌、もうこんなの嫌…。早く終
わってくれればいい、早く終わって!と…。
ふとよくみたら、彼らが10人以上いることに気づきました。
連れ込む係と、待ってる連中がいたんです。
みんな若いし、童貞連中ばかりだったので早かったので開放が比較的早く、すごく
嫌な気分で家に帰りました。
母には補講だった、と嘘をつき、いつもの様に勉強して風呂に入って寝ました。
次の日、登校すると私を犯した連中がにやにやしてやってきて、昼休みに男子トイ
レにこいと耳打ちしてきました。私はここで連中に屈したら思う壺だわ、ばからし
いと無視しました。
すると放課後、教室で部活の途中に絵の具ケースを取りに来たとき、後ろから抱え
込まれ、そのままトイレにひきずりこまれました。
うかつだった、一人で出歩かなきゃ良かった…と思いましたが、友人がいて下手に
巻き込んだらよっぽどかわいそうだから、一人で良かったのかとか考えたりして、
…混乱してました。
そのまま、見えるところだとばれるからと腹をけられ、殴られ、ぐったりしたとこ
ろを裸にされ、口につっこまれました。下もぬれてもいないのにいきなり入れら
れ、余りの痛さに涙が出ました。そのときちょっと噛んでしまい、また腹をけられ
ました。
タイルが冷たそうだし、不潔なのがいやで、しりもちをつくのを必死にたえまし
た。
そこをまた以前の様に後ろ向きに手をつかされ、後ろから入れられました。
何人も、何人も私を犯しました。
でも、悲鳴は上げませんでした。体はだめでも、心まで負けたくなかったから。
だからなに?そんなんやって楽しい?と笑うと、また入れられました。
もう夜近くになって、みんな塾があるので開放になりました。
それから毎日そんなことの繰り返しになりました。
私は毎日、彼らにへたくその癖に女を力ずく以外で自由にしたいなんて甘いわよ、
といいつづけ、彼らは私を犯しつづけました。
その一方で先生ともSexし続けました。その一方で犯した連中に負けたくなくて、精
液まみれになって帰ってきて夜遅くまで勉強する…。
そして朝が来る。
そんな日常はまるで悪夢の様でした。
先生には学校でそんな目にあってるなんていえませんでした。
やがて私は精神科に通うようになりました。そして安定剤を何錠も飲みながら生活
をつづけていました。親を安心させる代償は大きかったのです。
そのころはもう私のことは学校では有名で、ごく少数の友人以外私を相手にしてく
れなくなっていました。その中で数少ない女の友人から、とんでもないことを聞か
されました。私が処女じゃないと言ったのは、ほかでもない、X先生だったと。
それを、私と仲の悪かったある女子にX先生が話し、処女だと言ってたがあれは処女
ではない、あんな年で処女じゃないなんてどうせ遊んでいるんだろうと…。
信じられない話でしたが、彼しか知りえないこともうわさになっていたので、信じ
ないわけには行きませんでした。
私は初めて泣きました。
裏切られたんだとおもうより、私が処女じゃなかったことを、恨みました。誰かを
恨むことは出来ません。自分が悪いとただ思いました…。
終わったことだと思ったのに。もう終ってしまった行為を取り消すことは出来ない
から、考えるのはやめようと、思ってたのに。過去は私をこの先も付きまとって、
苦しめるのだろうか?
そして、薬を飲んで自殺を試みました。しかし、薬で死ぬのって大変なことです。
見事生還してしまいました。
目覚めたとき、私は、この世こそ地獄なのだ…と思いました。
なんか自分で自覚しない悪いことでもしてるのかも…。とも。
そして私は、何もかもどうでもよい、ただ、お母さんを安心させることだけ考えよ
うと決心しました。
その後、私は勉強にうちこみ、高校に進学し、大学に進学し、母が望んだ分野のエ
ンジニアになり、履歴書上はそこそこ普通の人生を送っています。
履歴書の隙間では自殺未遂を3回しました。
そして、彼らに復讐も考えました。
でも、彼らも結婚して、子供もいる人もいます。
彼らには確かに罪がありますが、子供や奥さんには私に対しては罪はありません。
家庭を壊して、子供がなくのは嫌です。
今でもうなされていたり、夜中に彼を殺そうとしたりすることがあるみたいなの
で、私自身のなかではいまだ終わっていないのかもしれませんが、
でも、過去はどうしようもないし、それなら死ぬまでの時間の暇つぶしを、楽しく
すごせるようにすべきだと…今は思っています。
なぜかそう言う目にあいやすいのですが、たまたまそう言う境遇に生まれたとあき
らめることにします。境遇を恨むのは、もうやめにします。
ここに書きこんで、メールもいただいて、(本当にありがとうございました!)一
区切りをつけられそうです。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございました。面白くない内容で、す
みませんでした。
長文おわびいたします。
…つぎに生まれかわるということがあるといやだけど、今度は男がいいなぁ…。