私には生まれた時から父親がいませんでした。私が育ったのは山間の村でギリギリバスが通っている程度の田舎です。学校までは1時間半ほどかかるのですが、村に子供はたくさんいました。当時は高校生が4人、中学生が8人、小学生はよく覚えていませんが、20人くらいはいました。高校生は全員男子でした。中学生は3年生が私1人で、ほかの1年生と2年生は全員男子でした。小学生は男女半々くらいだったと思います。男女関係なく歳の近い人同士でよく遊ぶくらいには仲良しでした。
私が中学三年生になった年のことです。
明日から連休という日に部活(陸上部でした)から帰ると、母から明日からの部活を休むように言われました。最後の大会が近いのは母も知っているので、余程大事な用なのだと思い、承諾しました。友達にも休むということを伝え、彼氏と通話してその日が終わりました。
次の日、朝早くに起こされ、村長の家で集まりに参加すると言われました。私以外の子供はおらず、女性は母と私だけでした。
村の社で行われる祭りで生贄役をする、という話でした。すぐに行うということで、社のすぐ横の小川で身を清めました。(フリだけですが。)
お香を焚いた社で連休を過ごすという内容でした。食事は村の人が運んでくれるので心配しなくていいそうで、これでは生贄というより神役ではと思ったのを覚えています。14時から社に入ったのですが、5月にしては社の中は蒸し暑かったです。(山なので外は涼しいのですが)
日が落ちかけた頃、食事の時が来たのですが、村の人は祭りだからかふんどし姿でした。しかしもっと異様なのは村人全員がいるのではと思うほどの人数でした。食事を持った人は見当たらず、あれ?と思って社を開けた人に向かって首を傾げると、村人たちが社になだれ込んで来ました。私を拘束し、服を脱がせました。何が起こっているのか、なぜこうなったのか分からずにいると、村の中学生と高校生が来て、ふんどしを外してペニスを私に向けてきました。私は やめろ とか ふざけんな と言って暴れたのですが、頭を掴まれ、顔にペニスを擦り付けられました。破裂してしまうのではと思うほど硬く熱いペニスを当てられて、余計なことを考えた隙に足を開かれました。力では全く敵わないでしょうし、大人も周りにいるので諦めるしかありませんでした。今思うとなぜあんなに勃起していたのだろうと疑問に思います。口に無理矢理ペニスをいれられ、食事だと言われました。ご近所さんで、小さい頃から仲良くしていた子が1番最初に膣にペニスを挿れたのですが、ご丁寧に潤滑剤をたっぷりかけられており、簡単に挿っていました。息を荒くしながら腰を打ちつけ、腟内でペニスが脈打つのを感じるとすぐにそのまま射精しました。そして抜かずにまた動き始め、すぐに射精しました。大人たちは「おぉ」と驚いていたのか喜んでいたのか分かりませんが、様子をみていました。それが終わると大人たちが私の手にペニスを握らせ、また口にも入れられました。膣に入れているのは誰か分かりませんでした。何人もいるので、当然アナルも使おうとしており、指でなんども広げられました。人数が減ってくると、私の脇にペニスを挟んだり、挿入せずに擦って射精したりと遊んでいました。最後に残った人が帰る頃には朝方でした。ほとんど全員が2回以上出したとおもいます。しっかり外側から鍵をかけられ、逃げられませんでした。服を着ようとしましたが、下着も、Tシャツもショートパンツも精液が付いていて着る気にならず、裸で泣いていました。まだ日があるうちにまた人が来たのですが、社の済で小さくなっている私を見て興奮したのか、三回も射精していきました。2日目の夜にも、沢山の人が来て、その日からアナルも使われるようになりました。前の日よりも激しく、抵抗してもどうせ勝てないので、もういいやと思い、身を任せました。それが連休の間ずっと続きました。その時出来た子供も誰のものかわからず、生まれた子供は別の家に引き取られました。帰ったら母親はいなくなっており、帰ってくることもありませんでした。学校にも行かなくなり、代わりに毎晩のように男性がきて、世を明かし、お金を置いていくようになりました。
後で聞いたところ、16年に一度の祭りだそうで、前の犠牲者は母だったそうです。私の子供は男の子だったので、次は無関係の子になりそうです。