現在25歳のれいと申します。
ずっと忘れられない私の思い出話しをこちらに載せようかと思います。
かなり前なので少し事実と変わってるところもあるかもしれないのでご了承ください。
小○生の6年のとき母は再婚しました。
かなり年上のお金持ちの方で優しくてスタイルまでいい新しい父ができました。
もとの父親は別居していて記憶にないのでそこまで新しい父に抵抗はありませんでした。
というより私の扱いや機嫌取りが上手だったのですぐになつきました。
母は最初は心配してたものの仲良くしてる姿を見て喜んでくれていました。
母とお風呂が卒業できていなかった私は父とも段々お風呂に入るように…
洗ってあげると言われおまんこや乳首をくりくりされることもありましたが特に気にせず「くすぐったい~」と笑っていました。
ぱぱのも洗ってねと言われたのでくっつきながら適当に洗っていました。
その時の私の記憶は男性のお股には固くてビクンビクン動く生き物みたいなものがついてる…でした。
小さいながらに見るのが恥ずかしくてあまり見ていませんでしたが、次第にぱぱのここもきれいにして?と言われたので石鹸をつけてゴシゴシしました。
その度うぅっと言うので面白くて思い切りチュコチュコッとこすり上げていました。
「白いのが出たらパパの負けなんだよ!」
と言われてたので必死にチュコチュコチュコチュコ
パパは白い駅を私にこすりつけてお前も負けにしてやる~!と遊んでました。
ままにバレることはありませんでした。
これはふたりの秘密で約束を破るとほしいものが二度と買ってくれないのと、怖い映画をむりやり見せると脅されてました。
今思うと当時の私は相当子供ですね…
ちょうどその頃母は第2子を身篭っていて里帰りすることになりました。
かなり長く帰ってこなかったのでもしかすると父が早めに里帰りさせたのかもしれません。
ここから本格的な調教が始まりました。
ママが里帰りしたその夜、お風呂でいつもどおり洗いっ子してると
「今日はれいに大人の女の人の遊びを教えてあげる!これはみんな知らないし人に行ったら日本の法律違反で警察に捕まって一生極悪人になっちゃうからね!!」
そう言われ湯船の蓋の上でM字開脚させられ
皮を剥いたクリトリスを優しマッサージされました。
今でも覚えてるのはいきなり頭が真っ白になり強烈な感覚がクリトリスから流れてきたことです。
私は悲鳴を上げました。
「おお!敏感だね笑 これが30分我慢できるようになると1つ成長できるんだよ!ほらしずかにね…しぃ~!」
よくわからないまま自分で口をふさぎクリトリスの強すぎる快感に耐えていました。
「子供でもここは気持ちいいんだな…ビクンビクンしてんじゃん。ほらここで気持ちよくなるのが大人の女の子だよ」
「気持ちかったら気持ちいいっていうんだよ?」
そう言われながらも初めての感覚過ぎて私はあぁぅぁああ~みたいにヨガってたと思います。
明くる日も明くる日もお休みの日は一日中クリトリスをいじめられてました。
正直その感覚になんだか罪悪感を感じながらも気持ちよさに負けてパパいつものヌルヌルしよ~!と自分から誘ってました。
途中からはクリトリスをパパに舐めたり吸ったりされてすっかり快楽の虜になってました。
1ヶ月たった頃には少し触られるだけでぐしょぐしょになる小○生になってしまい、指をオマンコに少しずつゆっくり入れてました。
パパは痛みを感じないようにゆっくりゆっくり時間をかけてました。
半年後第二子が生まれママが帰ってきました。
ママは育児につきっきりになり2階の部屋にこもってました。
父もそれとなく手伝いながらも私を公園に連れて行く~と言い車の中やもう一つの家(何故か離れたところに家がありました。)で私をとろけさせました。
私が中3になる頃には妹も少し大きくなり手が離れて来ていました。
学校での会話や性教育、で私が父としてることはおかしいのではないか?
なんとなくあった罪悪感が日に日に強くなり父を避けるようになりました。
でも母にこの生活は父のおかげだと言われ続けたので相談もできず、私が反抗期かと思われ無理に父と二人で出掛けさせられたりしていました。
もうやめてほしいとやんわり伝えてましたが
「パパで気持ちよくなってるお前をみんなに見てもらうか?」とか
「ホントはしてほしくてうずくような体になってるくせに」と言われ二人きりになったり第二の家につれてかれたときに無理やり脱がされてグチョグチョにされてました。
第二の家の存在はあとから聞くと母は浮気に使ってたと認識していたようで、まさか私ととは微塵も思ってなかったようです。
私が高校に上がる頃にはフェラも覚えさせられ、精液は何度も飲み干し
私のオマンコは父の指4本をたやすく飲み込んでました。
嫌なのにもうやめたいのに父にクリトリスを触られると体に日がついてしまうんです。
奥に入れたことないのに今すぐ奥を硬いものでついてほしい衝動に駆られます。
「そろそろ熟してきたなぁ」
と言いギンギンのペニスをねじ込まれたのは高校2年生のときでした。
初めては痛いと散々友達から聞いていたのに入ってきたときの中を掻き分ける感覚
引き抜くときの掻き出される感覚に強烈な快感を覚えました。
「この日を死ぬほど待ってた!!
これだけ快感教えれば処女でもよがるもんだな!」
汚い言葉で言葉攻めされながら私は床がグチョグチョになるまで愛液を垂れ流してました。
正直パパがもっと汚くて不潔なおっさんだったらこばんでたとおもいます。
初めてうちのパパを見る人は皆口を揃えて若いね!とかかっこいいと言うくらいでパパと気持いいことするとご褒美に好きなものも買ってもらえます。
やめて、パパやめてと言いながらも私は足をパパに絡ませて中だしをせがんでました。
パパは用意周到で生理不順等の話し方を私に教え母と一緒に婦人科でピルを買わせました。
なので父の言葉を借りると
中だしし放題、感度良好なロリまんこの出来上がりです。
あまりにも早い段階で性的な喜びを知ってしまったせいか恥ずかしいくらい私の胸は膨れ上がりFカップ位ありました。
部活はダンスをしていたのでくびれとお尻のラインがきれいとよくパパに褒められてました。
早くこの関係をやめたいのに、体が気持ちよくなりたくて誘われると拒めないこのジレンマにどんどん嫌になり大学進学と同時に家を出ました。
でもあまりにも知識がない私は親を保証人にするために住所を教えてしまいパパがしょっちゅううちに来ては私を犯しました。
彼氏ができてもセックスに満足できず自分からパパを呼んだ日もあります。
何故かパパは妹には見向きもせず(太ってるから?)私ばかり犯します。
れいはかわいい、男ならお前を放っておけないよなど甘い言葉もくれるので段々私も父に褒められるのが嬉しくて頑張って加えたり
制服を着て犯してもらったりしてます。
今は3人目の彼氏がいますが父とのセックスが未だにやめられません。
父は年齢がかなり行ってるのにギンギンで最低でも2回は犯してくれます。
毎回中に出してくれてこのまま私は離れられなそうです…。