今から10年前の話になります。
当時高校1年生だった私は、両親の離婚で母とふたりで暮らすことになり、
少し地方へ引っ越ししました。
土建屋の事務員の職をみつけた母は、そこの社長にアパートの世話や、
引っ越しの手伝いなどをしていただき、新生活が始まりました。
そんなある日、私が高校から帰ってくると、アパートの部屋の中で
ドタンバタン音がします。急いで鍵を開けて入ると、土建屋の社長が
抵抗する母の上に覆いかぶさっていました。
とっさに私は母を助けようと駆け寄ると、社長に簡単に押さえつけ
られてしまいました。土建屋の社長は熊のような大男でしたので、
今思えば当たり前の話です。
そして社長はなぜか逆ギレをします。私と母を正座させて、
「これだけしてやったのにお前たちの態度はなんだ!それなら貸した金を
今すぐ耳そろえて返せ!どうなんだ!返せ!今返せ!」とかわめきました。
「今はまだ返せません」と泣く母。
「じゃあどうすんだ!言うことをきくのかどうすんだ!」と社長はわめきながら
母を押し倒すと、慣れた手つきで自分のチンポを母のマンコに突き刺しました、
目の前で正常位でズボズボ犯される母。巨根が痛いのか苦しそうな声をあげます。
私はもう本当に恐くて動けなくて、ただ時が過ぎるのを待っていました。
すると、母の中でイッた社長が、ゆっくりと巨大なチンポを母のマンコから
抜くのが見えました。
「やっと終わってくれた」と思ったのもつかの間、
今度は私に「ケツを出せ」と言いました。
「娘だけはダメです!」と母が泣きながら止めに入ると、
社長は平手で母の顔を2、3発殴り、バチンバチン大きな音がしました。
母はうずくまって動けなくなり、私は制服のスカートをまくし上げられ、
簡単にパンティを下ろされ、バックから犯されました。
まだ16歳で処女だった私は、あまりの激痛に震えるしかありませんでした。
処女の血とマン汁が混じった音なのか、ぐちょぐちょと自分のマンコから
おぞましい音がしていたのを覚えています。
そしてそのまま地獄の痛さは続いて、マンコの中で巨根がさらに大きくなり、
痛さがピークになった瞬間に中出しされました。
さらにそれで終わりではなく、全裸になるよう命じられた私たちは、
仁王立ちした社長の前で正座させられ、ふたりでお掃除フェラをするよう言われました。
しかもその様子を土建屋の社長は、デジカメの動画で撮りはじめました。
ちゃんとしゃぶらないと、大きな手で容赦なく平手が飛んできます。
私たち母娘は泣きながら社長の巨大なチンポをフェラするしかありませんでした。
私が咥えている時は、母には金玉やアナルをなめるように社長は指示しました。
母が咥えている時は、私が金玉やアナル担当です。
喉の奥まで入れられ何度もえづいて、むせび泣きながら
1時間以上、口マンコ奉仕をさせられ、土建屋の社長は
その日3回目の射精をしました。
開けさせられた私と母の口の中にザーメンを発射して、「飲め」と言いました。
それからチンポに残った精子を吸い出させられて、その日はやっと終わりました。
私にとっても、まだ30代だった母にとっても人生最悪の日でしたが、
この日はまだ序章にすぎなくて、本当の地獄がこれから始まるとは
思ってもいなかったです。
長々とありがとうございました。
思い出したくもないおぞましい思い出ですが、
もし需要があれば、続きはまた書きます。