こういう場があってまじで助かってる。誰にも言えないので、自分の中で押し殺して
しまって置くのだけど、たまらなくなる時があって、こんな風に告ってみると、少し
落ち着く。でも私が、こんな風だからと言って、全部の女性が私とおんなじだと思われたくない。
それはきっと失礼だから。私は特別だから。。きっと変態なんだと思う。
まだ幼稚園に入る前、母は離婚して私を連れて家を出た。その後まもなく、男と住み始めたのだが
その男・・つまり父だけど、とんでも無い男だった。5歳くらいだった頃、初めて父に
イタズラされた。記憶は乏しいのだが、膝の上に乗せられて、性器をまさぐられたのが始まりだった。
私は何をされているのかは分からず、ただ何となく気持ち良いと思った。母と川の字で寝ていたのだが
寝ていると、そっと布団の中でパンツの中に手が侵入してきた。小学校5,6年生にもなると、ずっと
続いていた父のその行為は、何かしら異常なことだとは気が付いていた。でもせっかく家族でいてくれる
父を糾弾する気にはなれなかった。そのころ父は、平気で夜、私の布団に入って来て、生理中だろうが
お構いなしに私の性器をまさぐり、肛門に指を差し込んだ。早熟だった私は、乳房も大きく、父はその乳房も
大好きなようだった。私は確かに・・・快感を感じていたと思う。
中学に入ったばかりの5月。私は初めて父とセックスをした。その頃私はすでに勃起した父のペニスを
触ったり、口に含んだりしていたが、父は無理やり挿入することは無かった。お互いの性器を舐めたり
して満足していたのだと思うが・・その日はきっと私がセックスを望んだのだと思う。私にとって、父は
ただの一人のオスだった。身長も155,6あり、カラダも早熟だった私は、父のペニスをいとも簡単に
受け入れることができた。それから堰を切ったように、毎日のように私達はセックスをした。仕事で昼間は
留守の母をよそに、夏休みなんかは、朝からカラダじゅう父の唾液にまみれていた。ファザーファッカーである
自分は異常であることは、うすうす感じていたので、それを隠すために、勉強は異常なほど励んだ。家で、父に
抱かれている時間以外は、ほとんど勉強に費やした。部活もほぼ幽霊部員だったので、勉強する時間はたくさん
あって、成績はいつも上から5番以内だった。高校は地元でも一番の進学校に進んだ。
高校に入っても父とのセックスは、ほぼ毎日だった。きっと母は気づいていただろう。気づいても知らない顔で
良き母を演じている彼女が大嫌いだった。
高校2年の春、生理が止まり体調が悪くなった。妊娠だった。尿を掛けるタイプの妊娠検査薬で陽性が出たが、
その晩も、父は平然と私を抱き、私の中で果てた。中絶する診察台の上でも、私はなんの感情も無かった。きっと
こんな事がこれからも起こるんだろうなぁ・・・それだけ思っていた。幸いにも、それから高校3年の夏まで
妊娠はしなかった。避妊など一切しない父だったので、きっと幸運だっただけだろう。成績は相変わらず良かった。
進路を決める過程で、地元にまともな国立大学が無く、進学をやめようか迷っている時に、親身になってくれた
担任の女性教師に、父との関係をすべて話した。きっと彼女は私の様子に異常性を感じていたのだろう、涙声で
話す私を、いっしょに泣きながら抱きしめてくれた。私も初めて心の闇を他人に話したことで少し変われたと思った。
彼女は、児童相談所や福祉課、警察に相談もできると言ってくれたが、私は望まなかった。でも父との関係を断つために
東京に進学する気持ちを固めた。父にその気持ちを話すと、目を合わせる事無く、頑張れと一言言ってくれた。
翌春、望んでいたトップ校では無かったが、国立大学の医学部に進学した。東京で一人暮らしを始める事で、私は
変わっていく。。。一人の女医となって生きるのだと決心したはずだった。父との事も、私の心の中に封印して
もう二度とそんな事にならないよう戒めていく・・・
私はある夜、危険だと認識していたはずだったのに、公園を横切って近道をして帰宅する途中、二人組の男にレイプされた。
車の中に引きずり込まれて、3時間あまり連れまわされたのだった。二人とも40から50代の作業員風の男だった。
運転者と代わるがわるレイプされて行くうちに、私の中で何かがショートした。父も建設関係の仕事をしていて、家に帰るなり
その汗臭い体で私を抱いた。その匂いと同じ匂いを、二人の男は漂わせていた。二人の男は、嬉々として私の中で果てた。
後ろ手に縛り、私の白く美しいお尻も凌辱した。父は優しく肛門に挿入してくれたが、男は荒々しかった。痛さなど感じる事もなく
むしろ父の事を思い出して、涙があふれた。首を絞めながら、肛門で射精されている瞬間、このまま殺されても構わないとさえ
思った。拉致された公園で車を降ろされた私は、よろよろと歩いていた。下着とストッキングは盗られていたので、少し夜風が冷たく
感じた。部屋に帰り、汚れたカラダでベッドに横たわるり天井を眺めながら、私は悟った。私はずっと昔から、これと同じことを
父からされていたのだ・・・なのにそれを拒絶しなかった私は・・・・
それからの私は、もう後戻りできないくらいに異常になっていった。出会い系で、父親くらいの年齢の男に、疑似レイプをしてもらったり
一人で6,7人くらいの中年男に犯されるスワップパーティーに参加したりした。そのたびに意識が無くなるほど、快感に溺れて
私はごみクズのようだった。カラダじゅう、男の汗や唾液、精液に汚れて、そのたびに父の事を思い出す私自身を呪った。
ある時は、現実のレイプに遭う為に、街を彷徨った。そう思っている時はなかなかそんな事件に遭遇しないものだ。しかし何度か
彷徨ううちに、現実にレイプされることになる。時として草むらに引きづり込まれたり、車に押し込まれたり、刃物を突き付けられ
公衆便所で犯されたりした。ちゃんと予想通りに、出会い系で会った二人連れにレイプされたりした。そのたびに泣きじゃくる私に
レイプした男たちは興奮を禁じえなかっただろう。でも私は、父を慕う気持ちと犯される喜びで涙していたのだ。自分の意のままに
女を凌辱していると思ってる男たちは、私の操り人形なのだ・・・
今私は警察病院のベッドでここに書き込んでいる。意識不明のまま、運び込まれたのだ。原因はちゃんと解かっている。出会い系で
待ち合わせ、車に乗り込んだ時、缶コーヒーを勧められた。薬が仕込まれていることは匂いで解っていた。私は医学生なのだから。
私は意識を失って行くのも解っていた。このまま。殺してくれてもいいよ・・そんな風に思ってた。心が無くなり目を閉じた私は
人形のように男のなすがままになるのだろう。汚され、凌辱され、そのまま土の中に埋められるかもしれない・・・
数時間後、私は、上半身にセーター一枚、下半身に何も付けていない状態で郊外の公園で発見されたそうだ。最初、死体かと思われて
発見者も気を失ったらしい。傍らで、親身になって話してくれる婦人警官と、高校時代の女教師がだぶった。一生懸命な婦警さんに
申し訳ない気持ちだった。
私は ただのレイプ願望のある変質者なのだから。