レイプ体験談
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私の育った一昔前は秋の収穫祭は村の最大の催しだった。その山村に住んでいるのは老人だけになり、今では過疎地だ。秋祭りが賑やかだった頃が懐かしい。節子さん賑やかだった田舎の秋祭りの話しをしましょう。現在の年齢を教えて下さい。
今では、私の里も秋祭りは神管さんが神事を執り行うだけの行事となり、人も集まりません。年齢は70歳になりました。高木君とは中学卒業後もお付き合いしていました。私のことを母子家庭である母は心配していましたが、友人には彼氏がいるのが自慢でした。当時、男とお付き合いしているのは私だけでしたので友人も彼氏の車に一緒に乗せて貰い、海水浴、花火を見に連れて行ってもらいました。悪戯好きの彼氏は助手席の私の体に触れますと、後ろの席の友人達は運転手の眠気醒ましだよと囃し立てていました。
川瀬節子さんは私の妻と同じ年齢だよ、妻は私と結婚した時は処女だった。おそらく川瀬節子さんの友人も男を知らなくて結婚していると想像します。おませだった川瀬節子さんは彼氏と結婚されましたか。
彼の家には洋裁学校が休みに日は、殆ど泊りで遊びに行きました。彼の家は田舎の私の家とは異なり、小さいお家で二間だけしかありません。夏の夜は蚊帳が吊ってあるのでその二間が開け広げてありました。寝るときはお父さんはランニングシャツとパンツ、お母さんはシミーズでした。私は家から持っていきました寝間着で彼の横で寝ていました。
暑いのと環境が異なり目を瞑っているだけでなかなか寝れませんでした。そんな時、月明りでご両親が交わるのを声を殺して見ていました。ある時、彼もその行為を見ていて私に抱きついてくるんです。パンツを下げられ、寝間着の前を開けられると全裸同然でした。
セックスの悦びを体が覚えたころなので、私も彼の腰の動きに合わせ下から抱きつき応じていました。彼の出るの声が両親に聞こえたのでしょうか、彼が覆い被さっているのを離れた瞬間、両氏と目が合いました。両親に見られたのが恥ずかしくて寝間着を整えました。
翌朝、お母さんからお前たちは若いんだからヤリたいんだろうと言われ、節子の乳も大きくなったなと触って来られました。垂れてはいるがお母さんのお乳には負けますわと見比べている時にお父さんが起きて来られ、何をしているんだと大笑いされました。
彼も私の家で泊まるので、いつ結婚するのと近所の方に問われるようになりました。私も彼との結婚を夢見していました。破局しましたのは20歳の時、彼の家に遊びに行きました時にお父さんに俺にもやらせろーと襲われました。それをお母さんに見つかり、私に泥棒猫と罵られたのです。
結婚しなかったの、その後は彼との関係はどうなりましたか。
川瀬節子さん、懐かしい蚊帳、私も覚えています。私の家族も雑魚寝でした。見ましたよ親のセックス、興奮してチンポを擦りながら俺も母のオマンコに挿入したいと思っていた。
何度も、なぜ急に俺と別れるなんてと手紙が来ました。私も体を許した高木君だけに、お父さんに犯され、お母さんには泥棒猫呼ばわりされたと本当のことは言えませんでした。私の母にも犯されたことを話していませんが、母も何か嫌なことがあったのでしょうか、あのお父さんは私も嫌だったわ、別れて正解よと慰めてくれました。なぜ母が高木君のお父さんをそれほど嫌うのか、二人は会っていないはずなのにとその時は不思議に思いました。見合い話で結婚が決まった後、高木君に報告するためお会いしました。
川瀬節子さんは礼儀正しいですね。彼氏と別れの最後の一発したのかな 。それとお母さんが高木君のお父さん嫌った理由は何だったんですか。
これが最後と哀願され、別れのセックスでした。彼氏のお父さんを母が嫌がっていたのは結婚ら数年後に教えてもらいました。お父さんは私の家にお米を買いに来ていたのです。当時、お米は貴重で皆さん田舎に買いに来られていました。何回かお米を買いに来られるうちに、お宅のお嬢さんとうちの息子がお付き合いしているのを告げられたのです。それから母はお父さんが来られる度に家に上がって頂きお茶を出してあげたりして親密になっていったのです。
母が未亡人なので男の人が家に寄って来ていたのは子供心に知っていました。母の行為らしい所を何度も見ていました。高木君のお父さんともセックスする仲だったと思います。母の嫌気は、お父さんが母を求め頻繁に来るようになったからです
子供の頃、食糧難の時代で町の人が米とか野菜を買いに来ていたよ、物々交換だったな、懐かしい思い出だよ。
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