今から30年前の話です。
当時中学2年生だった私は、毎週金曜日の夕方、
住んでいたボロアパートの隣の部屋へ通っていました。
母子家庭で貧しい生活、母は水商売をしていました。
とても進学費用を工面できるような収入ではなく、
母はある程度信用のできるお客さんに、私を売っていました。
売りをするための部屋は、入ってすぐに台所があり、
麩を開けると、8畳程の和室に敷布団が1枚だけ敷かれ、
枕元に木箱に入ったコンドームが置かれてるだけの殺風景な部屋でした。
金曜日、授業が終わると自宅に荷物を置いて、隣の部屋へ向かいました。
台所のテーブルで宿題をしていると、18時を過ぎたころから
一人、また一人とお客さんが訪ねてきます。
お客さんは30~60代くらいのおじさんで、
人数は少ない日で3人、多い日で6人居ました。
サラリーマンや医者、中には教師もいましたが、
今思えば、みんな紳士的で優しい方ばかりでした。
談笑しながら持ち寄ったお惣菜や弁当を食べて、
19時頃になると誰ともなく席を立ち始めると、
それが隣の部屋へ移動する合図でした。
お客さんは下着一枚だけの格好になり、敷布団を囲むように並びます。
私は敷布団の上で膝立ちになり、一人ひとりにフェラをして回り、
そのあとは淡々と敷布団の上でお客さんの欲望を受け入れていきました。
お客さんは皆さん私の制服や体操服姿にすごく興奮していました。
何度か全裸になったこともありますが、ほとんど制服姿や体操服姿で
何かを着たまま犯されていました。
コンドーム内に出す人も居ましたが、濃紺のセーラー服の胸や襟に
射精して満足げな表情をされる方もいました。
体操服を着たときは、突然ハサミを出して
ブルマの股に穴を開けられました。
びっくりして私は声が出せませんでしたが、
お客さんたちはとても喜んで、列を作って順番に交わって行きました。
大体皆さん2回ずつぐらい出していき、夜の12時前ぐらいに終わることが多かったです。
私を犯しているときは「四つん這いになれ」とか「カーテンを開けて外をみろ」など
とても支配的になるお客さん達ですが、欲望を出し切ったあとは、とても優しくなりました。
精液まみれになった私の顔やセーラー服、スカートをティッシュで拭き取ってくれました。
私を買うお金は母に直接渡していたようですが、
みなさん「お母さんには内緒」と言いながら数千円から数万円を
私のカバンに入れてくれていました。
お客さん達との毎週金曜日の関係は高校進学まで続きました。
高校は寮生活のできる学校を選んだので、それ以降は母とは離れて暮らすことになりました。
とても悲しい青春のように見えるかもしれません。
確かに、とても恥ずかしかったし辛い時もありました
でもお客さんは基本的には変態であっても優しい方ばかりだったので、
それほど辛すぎるという程ではありません。
今では結婚して、子どももいます。
辛すぎるわけではないけど、子どもに同じ思いはさせてはいけないと思っています。