もう20年以上前の話です。
今回の台風で島の事がニュースに出ていたのであの頃を思い出し書いています。
私が二十歳の頃、この島の出身の剛史と知り合い結婚この島に住むことになりました。剛史の両親は亡くなっていて剛史の兄と三人で住む事になりました。
島民は50人ぐらいの小さな島で私が島に行くと三日三晩のお祭り騒ぎで迎えてくれました。
島の人達は殆ど漁師達で男が殆ど、女の人は私以外に10人もいない島で不思議だな~と思いました。
義兄も離婚していて若い男の殆どが離婚経験がありました。婦人部のさなえさんに頑張りなよと声を掛けられた時は何の事かさっぱり分かりませんでした。
島の人達は皆親戚って感じでお祝い事がある度にお祭り騒ぎ、値のいい豊漁の時なんかは一週間も大騒ぎで島の一体感は半端ない感じの島でした。
義兄は青年部のリーダーだったのでウチの家はいつも宴会場になっていました。
そんな島で私は女の子を出産、島で女の子は十年振りらしく又々お祭り騒ぎ流石に私はいい加減にして!と切れました。
子供が中学生になった時、剛史は酔っ払い運転で海に転落死しました。
島中が葬式モードで飲んで暴れて、婦人部の人達は私を心配して四十九日までウチに泊まって手伝ってくれました。四十九日の日、さなえさんに今度の船で島から出なさいと忠告されました。
船は三日後だったのですが意味が分からず、さなえさんに聞くとこの島では海で亡くなった男の妻は皆の共有物になると言うのでした。婦人部のやえさんは男達の処理係をしていると言うのです。やえさんは50過ぎしかも娘がいる私は危険過ぎると言うのです。
耳を疑いました。私はさなえさんの言う通り食料を持ってさなえさんが教えてくれた小屋に娘と隠れて船を待ちました。