秋雨が古びた記憶を運んできました。
昭和20年の秋
太平洋戦争が終結した後も、私は医師団の看護婦として
満州にいました
日本の傷病兵の方々は、
小バエが飛び回る
不衛生なところで
「殺してくれ 」
「生きとうない」
「お国のために自決する」等
皆が悲壮感に襲われていました。
私は
「皆で祖国に帰りましょうよ。 皆さんの帰還を待ちわびてる家族がいるんだもの」と必死な呼びかけをする毎日。
そんな
看護に明け暮れてたある雨の夜のことでした。
消灯で見回りに
いこうとしたところ、田辺二等兵が窓辺でタバコを吸っているのを見かけました
「田辺さん 消灯ですよ。タバコは駄目よ、今回は見逃してあげるけど」
「ありがたい。
雨のせいで物思いにふけっちまって、
…
女房と別れたときも雨だったんだよなぁ…」
田辺さんは徴兵された時に、奥様のためを想い別れたとのこと
「俺にはもうなにもない
この右腕のように」涙目になりながら
少し間を置いて
「看護婦さんひとつお願いがある。」と
突如
左手で
口を塞がれました
「キャッ」
右腕を失ったとはいえ力ではかないません
ハッと、田辺さんのアソコがお尻に当たりました
「騒がないでくれ」倉庫まで連れていかれ
わたしは
下を脱がされ
いきり立ったモノを突き刺されました
「ヒッ」
殺されると思いました
あとはもう
流されるまま
わたしもいつしか泣いていました
田辺さんは
「お国のため
お国のため
堪忍なぁー」
果てるまで
うわごとのように
言ってました
田辺さんを恨みたいのに恨めませんでした。
戦争のせいだと
言い訳したくない
どこに感情をぶつけていいか分からなくなりました。
スイマセン
気持ちが高ぶり
ここまでにしたいと思います
またいずれ投稿させていただきます