湊伸治の両親の異常を書いておこう。
両親は事件当時、共産党関係の病院で働いていた。
妄信的な党員であり、事件後離党させられたものの、何らかの援助が続いていたものと推測される。
湊伸治は3歳になるまでテレビを見せては貰えなかった。父親の教育方針であった。
しつけに厳しくまだ幼かった頃、夜中に酔っぱらって帰ってきた父親に、母親は家庭の決まり事を守らなかったと報告し、子供を叩き起こして体罰を加える事も度々あった。
しかし、子供が小学校5年生の時に読んだ教育書に感化され、父親の体罰は突然無くなった。何をしても体罰を加えられない事に気付いた湊伸治は、家庭内暴力の逆襲へと走った。
どんなに子供が暴れようが「いつか判ってくれる」と自分の顔を差し出すようになった。暴走はエスカレートし、子供部屋は親の踏み込めない「聖域」となった。
湊伸治は両親を殴りつけている様子を録音し、得意げに仲間に聞かせていたという。
恐らくその話も少女は聞かされていた状況で、家族と食事をした際に少女に帰るように促したと両親は言っているが、果たして少女は安心してその場で「はい」と答えられるだろうか。
その瞬間に両親の前だろうが、暴行が再開され部屋に連れ戻されると推測するのが自然である。
しかし両親はこの一件を誇らしげに語り、帰るようにちゃんと言った、と供述している。
この両親の無責任は続く。
木造一戸建て住宅の二階で、性器を破壊され、足を焼かれ顔が倍に膨れあがるほどの暴行を受けていながら、両親はその叫び声が聞こえなかったらしい
(警察の取り調べでも、そう言い続け殺人幇助の起訴を免れた)。
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