moonさん
初めまして。
素晴らしいお話を有り難うございます。
女性は、性に関わることを恥ずかしいと思う羞じらいを持っていて欲しいものです。
それでもなお、性の快感に目覚め、それに翻弄されるという背徳性が美しいと思います。
男としては、「こんなに感じて、恥ずかしいんだね、可愛いよ」と責めたいのです。
目を伏せて首を横に振り、快感から逃れようとする女性を押さえつけ、形だけ縛り、身の自由を奪って
強制的に快感を与えるという状況、そういう言い訳を与えて、女性が「自分のせいではない」と思える
状況を作って、快感に身を委ねて貰う。
そして、そのような本当の彼女の感受性を知っているのは自分だけだし、そうやって女性に無理矢理に
行為を求めるような自分を知っているのも、彼女だけだ、というのが理想だと思います。
このように、夜に彼女に辛い思いをさせるので、昼間は一層優しく丁寧に彼女を守らなくてはならない、
と思います。
こういう性についての考え方が性に関わる文化の違いだろうと思います。
性は悪いことではないのですが、それを「あからさまにする」ということを控えるべきか、そうではな
いか、によって、文化が異なると思います。
性に開放的な女性が。したくなったら、男性に挑むという文化の持ち主もありますが、そう
いう場合、日本では男性が引いてしまうことが多いのは、こうした文化の違いでしょう。
見かけ上、女性は恥じらって男性に主導権を渡すように見えて、実は自分の求めるように男性を捜査して
行く。男性も、自分の欲望を遂げることを目的に女性に挑むので、途中でできなくなるという困った状況
に陥りにくい、という、そういう「表」と「裏」がある話なのではないでしょうか。
これが、育ちの良い知的な家庭に育った「いい子」である女性に、Mっ気がある女性が多い理由でしょう。
そのような女性は私にはおりませんが。。。
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