トラウマ。。。
そんな言葉がそのまま当てはまるのがこの事なのだと思います。
俺が11だった時、隣に住んでいた奥さんは31歳。
普段着に夏はタンクトップで時々ノーブラ。
デニムミニのムチムチ生脚でした。
子供は2人いて、長男が俺の6歳でした。
長男と次男はよく、祖父母は迎えに来て連れて行って、旦那さんが仕事に行っている間、奥さんは一人で家にいることが多かったんです。
奥さんを眺めながらオナニーをすることを覚えた俺は、家の前にある広場で子供たちを遊ばせている時には、それを眺めながらよくオナニーしてました。
外遊びをさせてる間に、お隣の家の電話が鳴ることも度々あって、その度に隣の奥さんは家に帰ってしばらく戻ってこなくなるのでした。
せっかく出そうになっているのに、電話が鳴ると見えない家の中に入ってしまうので、よくがっかりしてました。
12歳になってお隣の奥さんをオナペにすることを常習にしていた俺は、お隣の奥さんが鍵をかけずに外に出ることを知り、タイミングを見計らって浸入しては下着をもらってきたりその場で出してくれことを覚えてしまいました。
夏休み中には毎日のように忍び込んでは洗濯前の下着を弄んでは射精してきたりしてました。
ある日、いつものように浸入していたら突然電話がかかってきて、奥さんが戻ってきました。
俺は慌てて身を隠して狼狽えてました。
奥さんは電話を受けても言葉は何も発せずに耳に当ててました。
ものの数秒で、奥さんはデニムミニをたくし上げてパンティの中に手を入れてモゾモゾしだしたのには衝撃を受けました。
数分に一度、ガクガクと痙攣する姿が見えてました。
一度痙攣するごとにパンティを脱ぎ、タンクトップをたくし上げて黒乳輪の垂れ気味乳を出して乳首弄りも、乳房揉みもしてました。
始めの方には、何度も指を舐め舐めしては股ぐらに手を忍び込ませていましたが、次第にグチャグチャという音を立てていることが確認できました。
15分も経った頃でしょうか、玄関からママ~っという声がして次男が戻ってきました。
奥さんはかなり慌てて電話を切って身なりを整えていました。
尻出し乳出し姿を次男に見られながら、呼吸も衣類も整えてました。
奥さんは息子に、もう少しお外で遊んでてね、ママもうすぐ行くからね。
と諭すように言い、息子を外へ出してました。
その後の奥さんは、息子が遊びの中に入ったのを確認してから、何処から持ってきたのか、デンマを片手に戻ってきてソファの上でオナニーの続きを始めてました。
ああぁ~
きもちいい~の~
誰?誰なの?
もしかして私を知ってる人なの?
今日もおちんぽ硬くしてたわ~
私のまんこの入れたいって言ってたわ~
いいのよ~中に出して~
硬いおちんぽでかき回して~
私のまんこにいっぱい出して~
おっぱいもまんこもたくさん舐めて吸って~
あなたのやらしい舌で逝かせて~
もう何年もセックスしてないの~
まんこも舐めてもらってないの~
毎日何回もオナニーしてるの~
欲求不満のやらしい私を何回も逝かせて~
ちんぽ欲しいの~
ちんぽ欲しいの~
硬いおちんぽで犯されたいの~
きもちいい~
きもちいい~
硬いの欲しい~
逝く逝く逝く~
あ~逝く~~~
その光景を目の当たりにした俺は、トラウマになっていたのだろう。
あれから何年経っても、熟人妻のオナニーが1番のオカズになっている。
ちなみにお隣の奥さんにアタックしたのは中2の終わり頃でした。
しかし、結局あえなく撃沈。
イタデンや覗きや下泥では何度もお世話になりましたが本番は出来ずじまいで、その後お隣さんは2度目のチャンスもくれる暇もなく引っ越して行ってしまいました。
物凄く残念でした。
その後の俺は既婚未婚問わず、必ず関係した女にはオナニーをさせてきましたが、あの衝撃を超える興奮には出会えていません。
人妻さんに露出排泄させたり、野外羞恥プレイが次点の興奮度にはなりますが、あの衝撃を超えることはありません。
つまり、思い出しオナニーが最高という、寂しくもあり、いつでもできることに喜びと手軽さにも感謝はしています。
あの後、あのお隣の奥さんはいったいどんな性生活を送ったのでしょうか。
当時はオナニーだけで、浮気はしていなかったと思いますが、あの欲求不満ぶりではいつか誰かとどうにかなってしまっているのかもしれませんね。
あの身体、あの毛だらけまんじゅう、黒ビラを思い出すと、つくづくあの中で出してみたかったと思います。