母には手淫癖があった。出張が多い会社員の父が不在の夜など、母は必ずと言っていい程に孤独な行為に耽っていた。幼い頃に母の隣で寝ていた私は、何度も母の自慰を目撃している。布団を頭から被って身体を震わせていた母。漏れてくる荒い呼吸音。佳境に入った時の悶え。絶頂に達した時の呻き声。快楽を貪り尽くした後に起き上がって「ちり紙」で陰部を拭う姿。私は、それらを、今でもはっきり覚えている。
母の自慰・・初めはいつも、私を背にした横向きだった。布団の端を股間に挟んで、母は腰をくねくねと動かす。吐息が徐々に上がってくると、母は時折熱い息を吐きだして悶えるのだ。やがて母は俯せになり、丸め込んだ布団の端を股間に押し当てて、尻を上下させ始める。その動作を相当長く繰り返して、息遣いが絶え絶えになる迄追い込むと、ようやく母は仰向けになるのだった。
告白すると、私が自慰を覚えたのは、この動作を真似して快感を得たせいなのだ。
腰を上下に動かす度に「あっ~あっ~あっ」と声が漏れて、母は顔を横にして枕に押し付ける。「あっ~あっ~あっ」何度も腰を揺する母。今思えば、この動作が最高にいやらしい・・両手を股間に押し込んで、母は腰を動かし続ける。「あっ~はぁ~っ あぁぁ~」徐々に吐息は激しくなり、母の布団は激しく上下する。走るランナーのように荒い母の呼吸。「んふっ~ああっ~うふっ~~はあっ~ああっ~はぁ~」布団が上下する度に、母は声を漏らす。「いいっ~いいいいっ~あっ~あああっ~」母の尻は更に高く上下して、
時折全身を硬直させる。そして、ついに母は仰向けになるのである。私は、これほど猥褻な女の動作を見た事がない。40才近くになった女の貪欲さは凄まじい。
仰向けになった母は、自らの行為による発熱に耐えられず、布団を剥いでしまう事が多かった。夏などは、ほとんど全裸になってしまう。パンティーをズリ下ろして、母は、指を股間に這わせ、激しくリズミカルに性器を弄る。弄り続ける。「くっくっく~あああっ~ああああっ~」母の顔を見ると、まるで苦痛に耐えるかの様に鼻筋に縦皺を寄せている。半開きの口からは熱くて湿った吐息が間断なく洩れ続けて、その声に啜り泣きが混ざると。母の行為は佳境に入る。両脚を硬直させて、腰を持ち上げて、尻をくねらせる母。
「あひっ~ひえ~っ あああっ~」悲鳴とも泣き声とも付かない母の声。その声に「ピチャピチャ」という淫液の音が混ざると、母が膣に指を入れている証拠である。母の指は、性器の上部を捏ねる様にしたかと思うと、陰核を刺激し続けて、その間にも、母は泣き声を出し続けて身悶えする。
やがては母は、大きく腰を持ち上げて、果てるのである。この間30分以上も
行為を続ける母は、凄い体力なのかも知れない。私が小学校の高学年になるまで、父が居ない日は母の隣で寝ていた。思えば母が全てを教えてくれた。
女はここまでスケベなのだと・・・