今年40歳になる妻は、若い頃、AV女優をしていました。
同時期には「長谷川ちひろ」さんや「宝生瑠璃」さんがいて、妻は幼く可愛い顔でまるで女子中学生のようでしたが、華がなく、地味過ぎて根暗少女っぽくて、ブレイクはしませんでした。
でも私は、そんなイジメられっ子のような儚いイメージの妻の大ファンでした。
そして、単なるロリータ物では売れなかった妻の作品は、私が抱いていたイメージの方面へとシフトしていったのです。
地味で大人しそうで幼いイジメられっ子、妻は、被虐的なイジメられキャラとなり、レイプ物となり、輪姦される女子中学生とか、アナル開発される女子中学生役になっていきました。
なぜ女子中学生役だとわかるかと言うと、セーラー服が女子高生っぽくない、幼いものだったし、それ以外の制服もワンピースみたいな、私立中学生っぽい幼いものだったからです。
バイブをアナルとオマンコに入れられて痙攣する物や、3㎝はありそうなアナルボールをアナルから引き抜かれて潮を噴いたり、次第に妻の人権さえ無視したような卑劣な作品になっていきました。
そして、黒人男性2人の巨根に、アナルとオマンコの二穴挿入二穴中出しで犯され、白目を剥く女子中学生役でAV女優を引退しました。
この頃、VHSとDVDの端境期で、妻の作品は媒体が2種類ありましたが、後にVHSはDVDにダビングして、妻の全作品20作をDVDで保存しました。
妻と知り合ったのは、細々と開催された引退セレモニーに参加したからでした。
その時、メルアドを掻いたファンレターを手渡したことがきっかけでした。
ひっそりと引退したので、集まったファンは十数人しかいなくて、熱烈なファンは私ぐらいだったから、さぞ印象に残ったんでしょう。
ファンレターを渡して三か月くらい過ぎて、諦めかけた頃、メールが来ました。
妻とプライベートで会ったとき、妻は8歳年下だから21歳になったばかりでしたが、女子高生のように幼い顔をしていました。
着るものがもっと押さなかったら、女子中学生に見えたでしょう。
地味で大人しそうな妻は、この三か月で髪を短くしていて、印象が根暗っぽくなくなってましたが、幼さは強烈でした。
ぷらいべーtで交際を申し込み交際二か月でベッドイン、夢にまで見たロリボディを堪能しました。
「私、20作品しか出てないけど、輪姦物が多かったから、多分50本くらいのおチンチン入れられたけど、それでも大丈夫ですか?」
と微笑みました。
モテないオタクだった私は、当時29歳でしたが、セックスはいわゆる素人童貞でした。
妻は被虐的的な作品ばかりに出てましたが、あれは演技で、大人しくて根暗そうなのはメイクとヘアスタイルの効果だったそうで、本人はマゾではありませんでした。
妻主導でセックス、元AV女優のオマンコは、デリヘルの女の子よりずっと気持ち良かったです。
「私、アナルを苛められてるうち、アナルも感じるようになっちゃったの。」
と最後はアナルで中出しフィニッシュでした。
次回からはお願いして、女子中学生ファッションでコスプレエッチさせてもらいました。
私31歳、妻23歳の時に田舎へ連れて行って両親と兄貴夫婦に会わせ、結婚宣言しましたが、
「ちょっと、向こうさんの親御さんの了解は?未成年でしょ。」
と言われ、妻が運転免許証を見せるまで、未成年だと思われてました。
夫婦生活は、休日は、バーチャル女子中学生との同棲を楽しみました。
もちろんエッチな動画や写真も撮りました。
制服姿の女子中学生のオマンコ検査するお医者さんごっこはとても楽しくて、ピンセットでクリを摘まんで潮噴かせとか、オマンコとアナルに野菜挿入とか、いろいろやりました。
現在、結婚17年で私48歳、妻40歳、高一の娘と中一の息子がいます。
娘は、妻に似て童顔で可愛いですよ。
息子もユニセックスな顔立ちで可愛いです。
その妻も、いまだに二十代で通るほど若々しくて、でも、オマンコはドドメ色で、アナルはポッカリ穴あきです。
アナルは生理の時のハメ穴として重宝してますが、たまに疼くようで、その時は例の3㎝のアナルボールを入れて、一つひとつ、ゆっくりと抜いていきます。
ニュルン!と出る瞬間、妻のヨガリは凄く、愛液を垂らすほどです。
私はアラフィフになりましたが、毎晩妻を抱きますし、妻が求めればバイブやディルドでオマンコやアナルを犯してあげます。
特に、クリキャップで吸い上げて真っ赤に腫れたクリをバイブで責めると、潮を噴きながら白目を剥いてしまいます。
そんな、可愛い妻が快感に酔い痴れる姿は、見ていると嬉しくなります。
無防備に安心して快楽を享受する痴態を見せるということは、私は信頼されているということですからね。
そんな妻を、私はこれからも愛していきたいと思います。