元妻との出会いは22年前、私は建設系の大学を出たばかりでしたが、就職氷河期で、大学を出たものの専門知識を活かせる職業には就けず、それでも正社員だからまだマシと言われました。
一方元妻は高卒で契約社員、今でいう派遣社員でした。
不況のの中、元妻は1年で契約を解除され、肩を落として去って行きましたが、私は妻に心を寄せていたので、携帯の電話番号を渡して、今後も会って欲しいと言いました。
元妻は地味な身なりでしたが、私は素材がかなり奇麗で、化粧っ気が無いだけで、当時私が好きだったAV女優の夕樹舞子さんに似てると感じていました。
元妻はその後、アルバイトを掛け持ちする、いわゆるフリーターになっていて、両親からも冷たい視線を投げかけられていました。
就職氷河期のあの頃、有効求人倍率が1を割る厳しい状態だったにもかかわらず、フリーターにならざるを得ないのは自業自得という風潮があり、元妻は、会うたび悔しいと言っていました。
そんな元妻の20歳の誕生日は、家族には祝ってくれる者もなく、私のアパートでささやかにお祝いしました。
私は、元妻が愛しくて、20歳になった元妻を押し倒して、強引でしたが唇を奪い、そして、元妻の処女膜を生の陰茎で破ってしまいました。
抵抗した元妻でしたが、
「好きなんだ。愛してるんだ。」
と言いながら組み敷き、指で無理やり濡らせば、物理的な気持ち良さに見舞われた元妻は感じざるを得ず、やがて快感に負け、喘ぎ声と共に抵抗が消えました。
私は、半裸の元妻の足を開き、初々しい膣口に生の亀頭をあてがい、沈めていきました。
処女膜が避け、元妻の目じりから涙が一滴、流れ落ちました。
ムードもへったくれもない、最低な処女喪失でした。
それでも、処女をあげた元妻は、私に寄り添いました。
そして、世帯年収が低いにもかかわらず、私26歳、元妻22歳で結婚に踏み切ったのです。
好きだというだけで、結婚した危険な夫婦は、それでも子供を産むにはお金が足りないという経済観念はありました。
なので、毎晩セックスに励みましたが、中に出すことはありませんでした。
中に出したのは、セックス中に元妻に生理が来た時だけでした。
それでも私は、夕樹舞子さんに似た元妻を愛し、抱き続けました。
結婚して4年、私が30歳、元魔は26歳の時、元妻の両親に、
「結婚して4年も経つのに、子供も作れない貧乏夫婦なら、止めちまえ。甲斐性なし。」
と罵られました。
元妻の母親は専業主婦、元妻の父親は、奥さんを養えず共働きしてるにもかかわらず、生活が苦しく子を持てないことに苛立っていました。
元妻の父親世代ではそれが常識なのでしょうが、あの時代、就職できただけでも御の字でした。
そしてついに、元妻は両親に連れ去られ、私と元妻は離婚させられてしまいました。
その半年後、なぜ離婚させられたのか分かりました。
元妻は、地元企業の経営者のオタク息子に見初められていましたが、若くして既婚者だった元妻を息子にあてがうため、経営者が暗躍したのでした。
きっと、多額の結納金が元妻の両親の手に渡ったのでしょう、離婚から半年で元妻はオタク息子の元に嫁いでいきました。
私は元妻を諦め、東北にある故郷に建設系の働き口を見つけ、やりがいのない仕事を辞め、大学時代から12年間住んだ東京を去りました。
遅ればせながら建設系の仕事に就いた私は、なぜ東京にこだわったのか、自問自答しました。
就職した工務店は、公共事業を中心に受注していて、収入は東京にいた時とそれほど変わらず、生活費が安い分余裕が出来ました。
しかし、公共交通が貧弱なので、車が必要な分、経費が掛かりましたが、それでも東京で暮らすよりは圧倒的に楽でした。
そして帰郷して半年後、リーマンショックが炸裂し、私が東京時代に勤務していた会社は、私が辞めた2年後、事実上倒産しました。
私は33歳で地元の27歳の女性と再婚、二女を儲けました。
妻は、元妻のような美形ではなく、垢抜けない田舎娘ですが、気立てが良く、心優しい女性です。
おっとりした性格から、一度男に騙されて、結婚詐欺のような目に遭って、身体を性欲処理に使われた挙句、100万円近い損失を出した経験があり、少し病んでいました。
具体的には、結婚を餌にSМのような凌辱を受けていたようです。
私は、結婚歴があるので妻の女体を丁寧に解し、乱暴に扱われたセックスへのトラウマから解放しました。
結婚して12年の今は、すっかり夫婦の営みが好きになり、色素沈着した陰唇を剥き広げ、私に跨って乳房を揺らし、髪を振り乱して喘ぎ狂うアラフォー奥様になっています。
昨年、妻の父方の本家筋で法事があり、私は外せない仕事で行けなくて留守番していました。
その時、久しぶりにPCでAV情報を眺めていました。
昔、夕樹舞子さんが好きだったっけなあと、エロ画像を見ていたら、夕樹舞子さんが年を重ねたら、きっとこんな熟女になるだろうなと思わせるAV女優を見つけました。
その女優さんは、30代になってからデビューし、若妻役から、今は40代の熟女を演じていました。
少し薄幸そうな印象の美形の熟女、とても魅力的でした。
褄には悪いと思いましたが、その女優さんは私の好みで、しげしげとAVの一場面を切り取った画像を眺めていたら、ふと、フラッシュバックする画像を見つけました。
それは、その女優さんがデビューした30代の頃の騎乗位の画像で、その表情、乳房、手つきや仕草に、元妻の面影を感じたのです。
遠い昔、私に跨って腰を振ってた元妻…年を重ねても、手つきや仕草は変りません。
私は、あのAV女優は元妻ではないかと思い始めました。
先日、東京へ出張がありました。
早めに用務を終え、帰りのあ新幹線までかなり時間が空いたから、15年前まで住んでいた頃の所縁を感じる場所に行ってみました。
勤めていた会社があったビルの前を通り、元妻と暮らしたアパート、商店街、懐かしい風景を眺めました。
元妻の実家の前を通ると、建て替えられたのか新しい家が建ち、表札を見ると元妻の急性とは違う名前になっていました。
私は、元妻の嫁ぎ先の経営する企業をスマホで検索してみました。
すると、ホームページは存在せず、その会社はリーマンショックの煽りで経営難に陥り、部門を切り離して業務の一部を売却、規模を縮小していましたが、7年前に倒産していました。
7年前・・・それは、あのAV女優がデビューした年でした。
間違いなく、あの女優は元妻でしょう。
私は、かつて元妻の家があった場所に佇み、空を見上げ、元妻の名を呼びました。
元妻と元義父母は、全てを失ったのでしょう。
帰りの新幹線、元妻と暮らした4年間を思い出しながら、缶ビールを飲んでいました。
愛だけでは食えなかった元妻との結婚生活、元妻を不幸にしたのは時代なのか、俺なのか、就職氷河期を生き抜いた私には答えが見つかりませんでした。
ただ、言えることは、私が処女膜を破った愛しい女性は、裸で痴態を売る仕事に堕ちたということでした。
今、元妻が一番会いたくない人物は、きっと私だと思うから、これ以上の詮索は一切しないと誓って、新幹線を降りました。
そして、私には守っていかねばならない家族があるんだと言い聞かせ、元妻にもう一度お別れを言いました。