「女子高生コンクリート詰め殺人事件」というAVを動画で見ました。
調べてみると、実際にあった事件を動画にしたものだという事が、分かりました。
平成に生きる日本人なら、絶対にできない、実に惨(むご)たら殺し方をした事件でした。
【事件の一部をコピー・編集しました】
この事件は、加害者が全て少年(未成年)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。
少年の自白に従って江東区の埋立地を掘り返したところ、ほどなく死体の入ったドラム缶が発見される。被害者の少女の死体はボストンバッグに詰められ、コンクリートを流しこまれて固められていた。
死体はすでに腐敗しており顔の見分けもつかなくなっていたが、ひどく痩せこけて皮下脂肪が半分近くにまで減っており、頭髪がほとんどなかった。これは長期間なぶられ続けたストレスにより抜け落ちたものであろうと思われた。膣には小瓶2本が押しこまれたままだったという。
被害者の少女は捜索願いの出ていた高校3年生のE子さんであった。4月からの就職先も決まっており、最後の学生生活を楽しんでいた矢先、彼女はいわれもない不幸に襲われたのである。
なお、主犯格の4人は、被害者の少女を監禁している間にも、表へ出ては強姦事件を繰りかえしていた。
⇒詳しくは 【閲覧注意】綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件の全貌 で、検索して下さい。
事件の通称は「女子高生コンクリート詰め殺人事件」です。
12月2日あたりから、彼らの行為は性的暴力から肉体的暴力に移行していく。つまり殴る蹴る、焼く、などの暴力になっていくのである
こんな状況をC の両親が気づかなかったはずはない。C の父親は息子たちが外出した際、妻に「二階がどうなってるか心配だから、見てきてくれ」と頼まれ、これを断っている。また母親は「まったくわからなかった」というのはどう客観的に見ても有り得ない話だ。呻き声、悲鳴、少年たちの怒声など、階下に響かなかったわけがない。実際のところはC の暴力がこわいのと、世間体のために押し黙っていたに過ぎないだろう。
【編集者の注釈】
事件が発生した当時、日本では、息子の両親に対する家庭内暴力に苦しんでいる家庭が少なくありませんでした。
原因は、息子が幼き頃に溺愛し「暴力をふるってはいけない」ということを、キチンと躾けていなかった事にあります。息子が幼きころには殴られても痛くないので、ほって置いたのす。多くの親は、幼き子供の親に対する暴力を、子供が甘えているだけと勘違えしていました。ところが子供が中学生になると、もう両親ではコントロールすることが出来なくなってしまったのです。
被害者の女子高生が監禁されていた「C」の両親も、そうだったのです。 このため、もし被害者を助けたら自分達親が、息子や盛んに出入りしてる不良達から半殺しにされてしまう事が明らかであり、怖くて助けだすことが出来なかったのです。
併せて世間体が警察への通報を、ためらわせた模様です。
仲間の暴走族連中が集まった際など、ナンパしにいこう、と言い出した者に、AやCは
「ナンパなんかすることねえよ。いま、ひとり監禁してるんだ。よかったら来いよ」
と公言していたらしい。
過度の輪姦により被害者は気を失うこともあったが、少年たちは彼女にバケツの冷水を浴びせ、また犯していたというから異常というより他ない。
そして、最終的には100人近くがこのことを知り、裁判記録に出ているだけで10人近くが強姦等に参加したことになる。
「なんでもするから家に帰して」と哀願する彼女に、彼らは自慰をさせたり、全裸にして「きちがいの真似をしろ」と強制。直径3センチほどもある鉄棒を性器に挿入し何度も出し入れしたあげく、その膣を灰皿代わりに使用した。
12月初め、彼らはE子さんに自宅へ電話させ、「大丈夫だから探さないで」と言うよう強要する。
同月上旬、E子さんが隙を見て警察に通報しようとしたのを発見し、少年たちは激怒した。彼女を殴る蹴るし、ライターで足をあぶって火傷させたり、無理にシンナーを吸引させたりして暴行した。
このあたりから、彼女に加えられる暴力はタガがはずれたようになりはじめる。
12月12日、E子さんは部屋にいた監視役のFに「私はどうなるの? 家に帰れるの?」と問うている。しかしFはそれに対し、「自分はしたっぱだから、わからん」とそっぽを向いた。
これ以降、被害者が受けた暴行は数限りない。全裸でステレオの曲に合わせて踊らせ、全員でいっせいにシャウトの部分で腹を殴る。痛い、と口にするとまた殴られるので彼女が顔を歪めると、Cは「この顔が面白いんですよね」と笑った。
また、肛門に瓶を挿入したり、酒を一気飲みさせたり、雪のちらつく寒い夜に裸でベランダに追い出したり、煙草を一度に2本吸わせ、むせる様子を見て愉しんだりした。
火傷のあとにライターのオイルをかけて点火し、彼女が「熱い、熱い」と言って火を消そうとするのを面白がり、何度も繰りかえしたともいう。
E子さんは「もう殺して」と泣いて哀願した。
この頃からE子さんはろくに食事も与えられなくなった。たいてい1日に牛乳1本。たまに気が向くと食パンを1枚食べさせる程度で、連日の暴行と栄養不良により、E子さんはどんどん衰弱し、トイレに行くにも階段を這っておりる有様だった。が、そのうちそれもできなくなり、牛乳パックに排尿するようになった。
連日の殴打に、あるときE子さんが失禁。座布団が汚れたといってまた殴打された。BはE子さんの別人のように腫れあがった顔を(「頬が鼻の高さまで腫れあがり、目の位置が判別できないほど」だったという)見て、「なんだおまえ、でけえ顔になったな」と言って笑った。
翌日、「面白いから、Aにもこの顔を見せてやろう」とその場にいなかったAを呼び出すと、Aはその変わりように驚いたものの、「なぜか負けまいという気になって」自分も殴打。火傷あとに幾度もオイルをかけては焼いた。
また「おまえはそろそろ殺そうかな、いや、やっぱりやめた」などと彼女を一喜一憂させたり、答えられない質問をわざとぶつけて責めたりなどして、精神的にも追いつめている。この時点から、E子さんの表情から感情の波が消えつつある。肉体的にも精神的にも、もう限界を越えていた。
12月下旬、E子さんはもはや牛乳をわずかに飲みくだすのがやっとの状態になった。一日中寝ているだけで身動きもできないほど衰弱し、顔面は腫れあがり、火傷あとは膿みただれた。もちろん風呂にも入れていないしトイレにも行けないから、膿と垢と尿の悪臭で、彼女はもう完全に少年たちの性欲をそそる存在ではなくなった。
ここに至って彼女は完全に「邪魔」になる。そこにもう人間としての尊厳はない。ただの「モノ」であり、「汚物」であった。
12月下旬、E子さんはもはや牛乳をわずかに
飲みくだすのがやっとの状態になった。一日中寝ているだけで身動きもできないほど衰弱し、顔面は腫れあがり、火傷あとは膿みただれた。もちろん風呂にも入れていないしトイレにも行けないから、膿と垢と尿の悪臭で、彼女はもう完全に少年たちの性欲をそそる存在ではなくなった
ここに至って彼女は完全に「邪魔」になる。ただのモノであり汚物であった
1989年1月4日、Aは賭け麻雀に大負けして不機嫌だった。このまま家に帰ってもつまらないので、B、C、Dと合流することにした
「ひさしぶりに、監禁女をいじめてスカっとするか」
E子さんはC の部屋で、身動きもできずに仰向けに寝ていた。少年たちは、殴る蹴るしはじめた
Aは蝋燭を持ち出すと、彼女の顔面に蝋を垂らして顔一面を蝋で覆いつくし、両瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てた。E子さんは最早ほとんど反応を示さず、されるがままであった
さらにAはE子さんが牛乳パックに排出した尿を無理に飲ませている。B、Cは彼女の顔面を回し蹴りし、E子さんが倒れると無理やり引き起こして、さらに蹴りつけた。E子さんは身を守ろうとする体力もなかったので、そのまま転倒して室内のステレオにぶつかり痙攣を起こした
Aはそれを見て「仮病だ」と激昂
「てめえ、俺の前で仮病使うのか」
そう怒鳴ると、いっそう激しく殴打した。E子さんが鼻血を出し、手足のただれた火傷から血膿がにじみ出たため、「汚い」と言って、自分たちの拳をビニール袋で覆ってからまた殴った
しまいにはその1・7キロもの鉄球を使って殴った。AはこのときになってもまだE子さんの体にオイルをかけて焼いている。が、彼女はわずかに手を動かして火を消すような仕草をしただけで、そのうちぐったりして動かなくなった
2時間にもわたる暴行の末、彼らは「飽きて」部屋を出、サウナに行っている
1989年1月5日、この女子高生は死亡した
主犯格の男たちは、当時の少年法に守られ大した刑罰も受けずに
結婚して子供を産み、のうのうと暮らしています。
重要なのは
① 酒場で事件のことを自慢している。その結果・・・
② 世間の風当たりが強くなると、犯人であることを隠蔽するため、偽装結婚等の手段を用いて改姓している。
③ 「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人であることを被害者に告げた上で、 監禁罪等の犯罪を再び犯していることです。
このことから、犯人達は、全く反省しておらず、また女性を監禁して嬲り殺す危険性が極めて高いことが分かります。
貴方の愛する女性や娘を、いかにしてこれらの殺人鬼から守るか?
それが、今後の課題です!