昭和の景気に浮かれてる頃思春期だった私は、オナニーの
快感にはまり、寝ても覚めてもどこでオナニーしよう、いつ
オナニーしようとばかり考えていた。あの頃は、家に自分の
部屋があるわけでもなく、いつも姉だ母だが家にいたので、
そうそう、オナニーが自由にできる環境はなかった。勢い、
みんなが寝静まった夜、布団に入ってからシコシコやるしか
なかった。狭い家だ。寝るときは姉が隣の布団にいたし、
ふすま一枚隔た隣には父母が寝てるような雑魚寝環境だった
から、いくら気持ちよくなっても派手に声出したり、転げま
わったりできない状況だった。上り詰めて快感の脈動に体が
跳ねそうになって息が乱れてもひたすら布団をかぶって息を
殺し跳ねないように体を丸めて快感を味わうしかなかった。
小学5年で初絶頂感を知ったときまだ精通してなかったので、
何度でも快感の脈動を続けて感じられた。二つ上の姉はその
時中学生だった。ある夜のこと、夜中にふと目が覚めた。そ
のとき姉の寝息がなんかちがい、布団が細かく振動している
ことに気づいた。私は、もしかして女の子もおんなじなんじゃ
ないかとその時直感して、寝たふりを決め込んだ。薄明りの
なか、布団をかぶって姉の方をうかがい見ていた。
それからだ。それまで一緒にふろに入っていたのに一緒に入
れなくなった。小学生のころ姉の陰部はうっすらと黒くなり
はじめているのを目の前にしても変な気にならなかったのに、
その夜の出来事があってから、姉に女を感じ、ペニスが硬く
なるようになってしまったのだ。私が中学生になったとき、
寝るときは男は男同士、女は女同士という暗黙のルールが出
来上がって、姉は母と、私は父と寝るように別れた。父は、
出張や、泊まりが多く、一人でねることになることが多くな
りオナニーもかなり自由にできるようになっていたが、その頃
には精通していて絶頂に達すると精液が飛び出すようになっ
たのでその対策をせねばならず小学生の時のように続けて何度
も快感の脈動を起こすことはできなくなっていた。