義父から銭湯の経営を引き継いで廃業するまでの30数年間、定休日を除くほぼ毎日、夕方と閉店前の時間帯に番台に座った。
銭湯の一人娘と結婚した後もサラリーマン生活を続けていたが、義父が病気で倒れたため、オフィスビルのデスクから銭湯の番台へ異動となった。
送別会では、同僚たちから「お金を貰って女の裸が見られるなんて、羨ましい商売だな!」「俺もアルバイトで雇ってくれ!」などと随分冷やかされたものである。
実際、当時は近隣のアパートに風呂の設備が普及していなかったので銭湯の需要は非常に高く、商売として十分採算が取れたうえに、役得で随分いい思いができた。
20歳前後の女子学生、20歳代から30歳代のOL、新婚世帯の若妻、臨月の妊婦、小さな子どもを連れた若い母親、出勤前に利用するホステスやママ、日頃挨拶や言葉を交わす地元商店街の女将など、無数の素人女性のカラダを拝ませて貰った。
番台からは、当時はグラビアでもご法度だったヘアヌードが見放題だった。
当初は、目の当たりにする生々しい乳房、乳首、乳輪、陰毛、尻に勃起し放しで、番台で溜まった精液をオナニーで抜く日が続いた。
全裸で前も隠さず番台に石鹸などを買いに来る女性客はざらで、胸と下腹部を間近でじっくり観察できた。
形の良い豊乳は稀で、垂れ乳か貧乳が多かった。
黒々とした陰毛からタンポンの白い紐が垂れている客は時々見かけた。
陰毛が薄くて縦筋が見えていたり、稀にラビアの一部が縦筋からはみ出していたりする客もいた。
ミレニアムまでは皆、茫々と陰毛を生やしていたが、それ以降は陰毛を整えている客が増え、中には全て剃り落として縦筋が丸見えの客も見かけるようになった。
パンティを脱ぐときや湯上り後のカラダをバスタオルで拭うとき、尻を番台に向けたまま上体を深く屈める客は多く、ラビアや膣が見えることもあった。
女性客の裸を見慣れてからも、若い娘やイイ女の陰部が見えたときは、オナニーしないではいられなかった。
やがて内風呂がアパートにも普及し、利用客が激減したので今から10年前に廃業。
建物を取り壊した跡地に賃貸マンションを建て、私の座る場所も様々な女性客のあられもない姿を堪能できた番台から、味気ない管理人室に変わった。
全ては銭湯の店主ならではの「役得」だが、もう「時効」だと思うので公開することにした。