30年も前の事です、当時はボロアパートに親子4人で暮らしていました、部屋は一間で小さな台所
だけで風呂も共同でトイレは一応は水洗でしたが共同トイレの和式便器で薄いべニア板で仕切られ
ている程度しかも仕切りの壁の下には隙間ドアの下にも隙間があり個室は2つで小をする方よりも
20センチ程度高く作られているトイレの入り口からは個室は見えない作りでした。
お風呂は五右衛門風呂で殆ど入る家庭は無かったです、家は入ってましたが。
銭湯に行けばお金が掛かります、アパートの風呂はタダです。
五右衛門風呂と言っても湯沸かし器がついているのでお風呂は普通に入れましたが、壁の所々には
穴や修理後があり覗けば見えるので他の家庭は嫌だった様です。
当然の事でご飯を食べるテレビを見る寝るは一間しかないので全て同じ部屋です、寝る時は俗に言う
川の字で寝ます。
父と母の夜の営みが始まると自分は布団の隙間から良く覗き見をしてました。小学校の6年生にもなる
と女の裸に興味深々です。
母の裸は見れますが流石にマンコまでは見れませんそうなるとどうしてもマンコが見たい「見てみたい」
父のチンコが母のマンコに入ったり出たりしている音だけは聞こえます「グチョグチョ」「クチュクチュ」
母の声も昼間聞いた事のない声です「貴方イイ其処マンコ気持ちイイもっと奥まで入れて貴方の精子マンコ
の中に出して」「一杯出して」父も「出すぞ」「お前の真っ黒でビラビラのデカい助平なマンコの中に精子
を出すぞ」と「うんっ」と言いながらバックスタイルで母のマンコに出していました。
自分も其の頃にはオナニーも覚えました、母のマンコに父のチンコが出たり入ったりしているという事は自分
で手で前後にチンコをしごけば同じ事と思いトイレに行きしてみるとチンコが気持ちよくなりあっという間に
先のほうから精液が飛び散りました、其の時に初めて「此れがオナニーなんだ」「スゲー気持ちイイ」と思い
まるでサルの様に暇さえあれば学校でも公園のトイレでもチンコを出してオナニーをしていました。
ある日手でしごくだけでは物足りなくなり女の裸其れもマンコが見たいどうしてもマンコが見たい欲望にかられ
ました。
考えついたのが母がトイレに行った時に後から着いて行きドアの下の隙間から覗く方法でした。
大成功で母の真っ黒でビラビラの大きい其の上に父の趣味で母のマンコには毛が生えていません、パイパンです。
母のエロイマンコから出るオシッコやけつの穴から出るうんこが丸見えでした、病みつきになり母の後からついて
行き覗き終わると其の侭トイレにこもりチンコをしごいてオナニーをしていましたが母では満足出来なくなり何所
か良い覗ける場所はと探して見つけたのがスーパートイレでした。
当時例えスーパートイレでも共同トイレもありました、別々の造りでも中に入れば1つの部屋を薄い壁で仕切られて
いるだけで女がオシッコやうんこをするのは丸聞こえです。
其の上に女のトイレの一部を凸凹にして使用しているので当然床の下には隙間があります、板は張ってあるのですが
男便所側だけしか板が張ってないので穴を空ければ丸見えです。
女のトイレからはまさか穴が空いているとは分かりません、其の頃には中学生になりある程度遅く帰っても大丈夫で
した。
学校から帰ると直ぐに先ず宿題を済ませてからスーパートイレにこもりました、長い時には3時間ぐらいは引きこもり
覗きながら下半身丸出しでチンコをしごいてオナニーをしていました。
何度かまさかという場面にも出会いました。
若い女性と思います、オシッコをするでもなくしゃがみ込み大きく足を大きく広げたら手を後ろに回して中指を立てて
けつの穴に入れたり出したり其の内に声を我慢している様で小さく「ん・・・」「うんっ」と言いながらマンコが広が
り中からドロドロした液体が滴り落ちていました。
もう1人はおばちゃんと思います、ぼうぼうのマン毛をかき分けてしゃがみ込み後ろの壁に寄りかかり大股開きでマンコ
丸見えになり指を1本2本3本入れたかと思ったら4本を入れたり出したり何かを言っている様ですが良く分かりません。
唯、マンコからはグチョグチョと凄い音がしてマンコの中からは勢い良くマンコ汁が垂れていました。
オシッコをしながらもマンコいじりはしてました。
未だ毛の生えそろわない産毛程度で縦一本筋のマンコも足を広げれば閉じていた綺麗なピンク色も広がり中が丸見えで
した。綺麗な子供でもない大人でもないそんな女の子のオシッコは覗きにをしていて最高でした。
後は何十人見たか良くは覚えてません。
幼い幼稚園児の穢れのないマンコから真っ黒で使い込んだマンコまで良く見ました。
オナニーのネタには最高です、罪悪感と見つかったらという気持ちから余計に興奮しました。
今はその様なトイレ存在しませんあれば今でも覗きはしてます。