何十年と前の事です。
俗にいうムッツリ助平と言う情けない野郎です。
S4の頃から助平な事が好きでしたが普段はおとなしく目立たない子供というかんじでした。
たぶん変態なのでしょう女の子ではなく女に興味がありしかも通常ならオッパイとかでしょうが
俺は違い大人のマンコでした。
キッカケは当時は小さな部屋が二間と小さな台所しかなくトイレも共同便所でお風呂も無い
アパート暮らしでした。
部屋が狭いと言う事で真ん中にある襖は外してましたから寝るもテレビを見るも1つの部屋と
いう感じでした。
4人暮らしでしたから寝る時は俗にいう川の字で寝る感じでしたから当然の事で未だ若い親です。
確か未だ母親は30代後半だと思います、父親とは歳が一回り違うので50ぐらいでした。
夜に何となく声とシーツの擦れる音にふと目が覚めてしまい薄明かりの中でうごめく母親と父の
姿に子供ながら「見てはいけない」と感じました。
其れでも気に成り布団を被り隙間から覗きました「ドキドキ」。
掛け布団は足元に寄せて母親の布団の方に父が移動して母親の上に重なり母は足を大きく広げ
その間に父がはいり腰を振ってました。
母親の息遣いも荒く「ハァ~ハァ~」「アァン」みたいな声を出してました。
腰の辺りからも父が腰を腰を振る度に「グチャグチャ」「グチュグチュ」みたいな音でした。
4年生ながらチンコがパンツの中で硬く勃起してました。
気に成って寝れない「お父さんの硬くなったチンコがお母さんのおマンコの中に入ってる」と
思うだけで心臓は高鳴りハラハラ「ドキドキ」でした。
気が付けば朝で何時もの母親が「起きなさいね学校に遅れるわよ」。
俺は母親のスカートの上からの股間の辺りを見てしまいました。
「どうかしたの?」「早く行かないと遅刻するわよ」。
この様な感じで1度覗き見してしまうとまた見たいで気に成り覗いてました。
そうなるとどうしても女のマンコが見たいというよりも母親のマンコが気に成りました。
偶々でしょうがアパートは便所が男女共同でしかも和式便器です。
入ると男用の便器で反対には個室がある。
個室も一段高くなっていてドアの下には床との間に結構広い隙間がありました。
何で今まで気が付かなかったんだろう。
ドアと床の間の隙間をです。
覗けば母親の誰にも見せた事のないであろう恥部から勢いよく出るオシッコの姿が見えると
思いました。
当然アパートですから人の出入りもあります、前の部屋にも母親と同じぐらいの女性がいます。
偶々同級生の女の子もいました。
一番奥の部屋には独身の女性もいましたが偶に彼氏かな?と思う男が朝帰りをしてました。
覗きみをするときには周りには気を配り覗きました。
一番奥の部屋の女性は朝から夜までいない事が多く覗くと言う事は1度もありませんでした。
前の部屋のおばさんは覗いた事があります。
和式便器を跨ぎ勢いよくマンコからオシッコが出てましたが毛がボウボウでマンコがあまり見えません
でした。
同級生の女の子ですがブスです、挨拶ていどで友達とまではいきませんでした。
むろんオシッコ姿は覗いた事はあります。
未だ毛も生えて無いツルツルの筋マンから勢いよくオシッコが出てました。
もちろん母親が最高でした。
初めて覗いたときは衝撃的でした。
マンコに殆ど毛が生えて無いマンコの上の方に少しだけ生えてる感じでおマンコは丸見えでした。
マンコの周りも少しだけ黒ずんでいてシワのあるヒダがあり便器に足を開きしゃがむのでマンコは
丸見えでオシッコがでるとヒダが広がりました。
「ドキドキ」しながらバレないようにとおもぃ心臓が口から出そうなほど緊張し覗きました。
まだそのお頃でもオナニーと言う言葉さえ知らない頃でした。
俺はオナニーと言う言葉も知るのは遅かったと思います確か行為よりも後でその行為の事をオナニー
をすると知りました。
もしかしたらもっと便所で覗ける所があるのかと考えて近くの公園やスーパーなどを探し回りました。
最寄り駅の便所、一つ先の駅にあるスーパーなどです。
見つけました家に近いスーパーのトイレでした。
今まで何度も母親について買い物に行っていたスーパーですがトイレには行った事が無かったです。
見に行くと入り口は男女別々ですが元々は一つの部屋を気きりの板で仕切った程度で高さは2メートル強
程度で個室と同じ材質で床と仕切りの壁の下には隙間が広くありました。
男の個室は女の便所の一つを凸凹に一つだけ使い感じで横は女便所と反対は掃除道具でした。
早々に個室に入ると簡易的なベニヤ板で男の個室側から簡単に塞いである程度でしたから良く見ると
板が簡単に外れるように誰かが細工した後があり音もなく外れました。
外れると隣の女便所は丸見えでした。
便器は都合よく前を向いてましたから金隠しを上手く交わせば丸見えでした。
しかも窓が大きくあり天気の日い日なら外と買わなない程明るいです。
掃除の時間帯もドアの所に時間があり終わると済印が押してあるので何時も同じ時間帯な事が
解りました。
俺は年中此処のスーパーに行き立てこもってました。
休みの日は度は朝から夕方まで母親に何処に行ってるのと言われるほどでした。
未だオナニーと言う言葉さえ知らない頃から覗きをしてました。
おばあちゃんと小さな女の子に興味はなく同年代やお姉さん母と同じぐらいの年齢がねらい目です。
但し覗き見だけでは満足できなくなります。
まさか母親が寝てる間にマンコを見て触り舐めることまで出来る等思ってもいませんでした。
中学になると遅くまでテレビを見ても母親に「早く寝なさいね休みでも起こすわよ」。
と言いながら父も母も先に寝てました。
閨は同じですからテレビは母親の真横にありましたから俺は見る時は母の足元に座り見てました。
明りも消してテレビの明かりだけで音も小さくして見てました。
所が母親が確か蒸し暑い夜で扇風機は廻ってましたが少し暑い感じでした。
母の肌掛けから足が出始めました、当時母親は寝巻のような服でしたから寝ると裾が捲れます。
肌掛けから足が出た時に裾が捲れ上がり太腿まで見えてました。
俺はテレビを見てはいましたが気に成り母親の太腿を見続けてました。
テレビの明かりの中で母親の太腿の奥まで見え綿素材の所謂おばさんショーツでした。
股間まで見えると生地hが二重に成ってるクロッチの下に隠れてるマンコの形が何となく分かりました。
「お母さん起きてるの?」「まさかだよね起きていたらこんな格好は見せないよな」。
所が段々と大胆になり足も開きモロに股が丸見えになりました。
俺は気に成り見続けました。「嘘だよね」「俺が此処にいる事は分かってるね」。
お母さんが腰の所から手を入れて自ら股間まで手が伸び明らかにマンコを触ってる事が分りました。
「夢でも見てるのかなお父さんとしてる夢とか・・・・・・・?」
たぶんそうなんだと思いましたマンコの穴に指を入れている事がショーツの上からでも判りました。
中指が穴に入っいた出たりそのうちに「クチュクチュ」と音まで聞こえ始めました。
初めてしりました女も自らマンコの中に指を入れる事をです。
直ぐに止めはしました、俺がいる事に気が付いたのだと思いますが暫くするとまた足が出てきました。
股を開き先ほど自ら腰の所から手を入れた時にショーツが下に下がりプックリと膨らんだ丘の毛まで
見える所までショーツが下がってました。
股間の所の生地にはシミが出来て濡れてました。
「我慢できない今マンコが見たい触りたい舐めて見たい」になりました。
先ずは寝てる事を確認し「お母さんのパンツって脱がせること出来るのかな?」。
無理ですお尻にパンツが引っ掛かり下せるはずがありません。
股間の所を指で摘まみ上げるともしかしてと思いましたがイザとなると「ハラハラ」「ドキドキ」
気持ち悪いほど心臓がどきどきでした。
ハラハラしながらも股間の所の生地を指で摘まんで上に上げ横に寄せて見ました。
「見えた」「お母さんのおマンコ」「ヒダがありすでに広がり中が見えていて濡れてました」。
「此れが女のおマンコかと言うよりも見たい触りたい舐めたいお母さんのまんこです」。
様子をうかがいながら指でマンコを広げて見ると「クチュ」と言いさらに広がりました。
「穴が見える此処にお父さんの硬く成ったチンコが入るんだな」。
もう限界です、パンツの中のチンコが痛い程勃起してました。
次に自分の指を舐めてマンコの穴に指を入れて見るとヌルっと簡単に吸い込まれるように指が入り
ました。「ヌルヌルで暖かい」。
今度は顔を近づけてマンコの匂いを嗅ぎました初めて匂いましたが「お母さんのマンコの匂い」好き。
今度は「其の儘舌を出してマンコを舐めました」。
独特の味で「お母さんのマンコの味も好き」「其の儘ヒダも口に含んでみました初めての感触で例えようの
無い感触でした」。
今でも覚えてます「マンコの匂いも味もヒダの感触も」最高でです。
あれから何十年と経ち母も今はいません彼女も出来結婚もし離婚もしましたが未だに母親のマンコが
最高です。
但し母親のマンコを触り舐めましたが行為をしながらオナニーを一度もしたことはありません。
翌日に思い出しながら「お母さんのマンコにチンコ入れたい」とか思いながらシコシコしてました。
俺の母親は今でいう、AV女優の深山蘭子さんの様な美人でした。