その着信音にドキッとしてなかなか鳴り止まないことにも、何かいつもと違う空気感を感じとっていた気がします。黙って玄関を開けると同時に、受話器を取る音がしましたが家の中は静寂で空気にも緊張感を感じました。いつものように母の明るい「ハイ。◯◯です。」という声がしなかったことに気づいてしまいました。それでも、受話器を置いた音もしません。居間に近づきながらより重たくなっていく空気と緊張感に息を潜めてしまう私。恐る恐る居間を覗き込んだら、目の前に広がる光景が理解出来なくてドキドキしてました。母は受話器を耳に充てたまま長ソファーの背もたれを跨いで、腰が動いていたんです。背もたれにはバスタオルが掛けてあって、スカートもショーツもソファーの横に脱ぎ捨てられていました。母は無言のままクリちゃんを背もたれのバスタオルに擦り付けています。母は無言ですが、時々吐息が漏れ聞こえているようでした。擦り付け方が早くなったと思ったら、母は小刻みに震えだして背もたれに抱きつくようだに伏しました。静かな部屋の中で、受話器から男性の声が聞こえてました。あの時は分からなかったのですが後になって、男性の方も出してしまっていたのだと思いました。男性の方から電話が切られて、母はふらふらと態勢を変えてソファーに横になりました。そして母の手がクリちゃんに伸びていって、いじりだしたのです。おっぱいを出して触りながら、ハァハァと喘ぎだしてクリちゃんを擦る手が早くなっていました。そして前にも目にしてた、母のオナニーが始まりました。そんな光景に私は高校を卒業するまでに何百回も見かけることになりました。私自身も母が留守の時に、変態電話を何度も受けて母と同じようにしてました。都内に引っ越してからは、変態電話のほかに日々当たり前のように電車でもバスでもとにかく痴漢にあっていました。私にとっては強すぎる刺激に、毎日が憂鬱になっていました。お見合いから結婚して地元で生活するようになって専業主婦になり、毎日の痴漢からは解放されました。淡々と続く生活に刺激を感じることがなくなってきた頃に、また変態電話がかかってくるようになっていました。私にいやらしい言葉を言わせようとする変態電話が多くて、それでも黙って聞きながらオナニーはしてました。いつ頃からか、私は電話が切れた後に変態さんが求めているいやらしい言葉を口にしながらオナニーをするようになっていました。いつもよりいやらしく気持ちよくなれる事に気づいた私は、オナニーをするたびに、私自身が変態に成り切って演じながらオナニーをするようになって、癖にまでなっていきました。夫の転勤で地方都市に行くことが決まったときに、引っ越し前で警戒心が緩んだのか、変態電話を受けてるときについつい、喘ぎ声が漏れてしまってたみたいで、何度か指摘を受けて私は開きなおってしまいました。引っ越し前の電話が繋がらなくなる3日前。夫はすでに転勤先に行ってました。私はもうどうせ繋がらなくなるのだからと、変態電話さんが求めることに応じてしまいました。恥ずかしさを通り越した先に、いままでで比べものにならない気持ちよさが身体中に感じられて、夢中でオナニーをしてしまってました。そんな言葉を言わされて乱れている自分にも、本気になって興奮している変態電話さんにも興奮させられて、3日間に何回もしてしまっていました。味をしめた私は、次の転勤の時も、また次の転勤の時にも繰り返していました。久しぶりの帰省で、実家に帰ってきて思い出してしまって書いています。子供達は祖父母と朝から出かけていますし、今夜夫が合流します。私は午後に昔の友達に会うことになってます。
...省略されました。