私は夏場になるとリンゴの錠前をこの滝壺に投げ入れ、禊によって巫女の霊力を高め、新しいリンゴの錠前を作ってきた。おかげでベーダーと何十回でも戦ってこれた。
ここで話を改める。私には私ではない者の記憶がある。その者が誰なのか私は知っている。私の母だ。そして、その記憶にいるのは母だけではない。母以外の異性、すなわち男がいるのだ。いや、より正確には男というより、10代後半の男の子だ。
記憶の中の母は若く、男の子の年齢的に高校生だろう。二人とも笑顔だ。二人は仮面と鎧の戦士だった。
少年のほうはみかんの錠前でオレンジの鎧武者のごとき戦士に変身して母と共に戦っていた。
二人はこの滝壺にも来ていた。そして、少年はこの場に結界を施した張本人だった。結界は少年が作った金属でできたような多面体のみかんで発生させられていた。少年はそれを滝壺に投げつけた。
やがて母と少年は、一糸まとわぬ裸となった。母と少年は太陽と青空の下の水中で、岩場で、じゃれ合い、そして愛し合った。
そこから私はすべてを察した。この人が私の父だ。
記憶はそこで終わった。私はいつしか滝壺に向かう理由はもうひとつあることに気づいた。この滝壺こそが私という生命の始まりの場なのだ。
すべての生命は海から始まったという歴史を学校の授業や図書館の図鑑で知ったことがあるが、それは正しいことだろう。
人間が水を美しいと思ったり、雨に濡れた大地の匂いに良いものを感じるのもすべての生命に刻まれた記憶なのだと私は思う。
より厳密には言えば母の記憶がある私は普通の人間ではないだろう。それでも私はこの事実を心の中から嬉しく思う。
※元投稿はこちら >>