その日、日中仕事をしていても、ハーレーは何となく不安な予感に悩まされた。
こんな時は、官舎に帰って、宝物の春に癒してもらわねば..。
終業時間と共に、官舎に帰ったハーレーは、そこにタイプで打たれた脅迫状を見た。
もちろん春の姿は無い。
書類が奪われた!
春は?春も拐われたか?
憲兵に連絡を..!
しばらくパニックに陥った後、ハーレーは考えた。
相手は、書類を返すと言ってる。
代わりに渡す日本人の女は何者だ?
ハーレーは収容所に走り、収容された罪人のファイルに目を走らせた。
名前、生年月日、人種、罪名、罪の内容、そして顔写真が貼られているファイルもある。
ハーレーはそこに、20年後の春の顔をした女の写真を見つけた。
そうか!
春は拐われたのでは無かったか!
母親を助けるために、俺のところに来たスパイか!
ハーレーは、その女の釈放命令書を偽造した。
司令官のサインも、緊急を口実に、自分が代理署名した。
ハーレーの考えも単純だった。
指定された場所にこの女を連れて行く。
女を引き渡す。書類を受けとる。
そして、別れて直ぐに、後ろから撃つ。
憲兵から調べられたら、敵の組織を反対にわなに掛けようとしたのと、この女を逃がさない為に仕方なく射殺した、と誤魔化す。
それでもばれたら、後は軍法会議。
俺の経歴は終わりだ。
拳銃をベルトに差し込みながら、ハーレーは、「身分は捨てて良い..。
春が欲しかった..。」
と呟いた。
釈放された春の母親を連れて、ハーレーは夜の闇の中を、指定された海岸に着いた。
闇の向こうに、数人の人影が見えた。
その中の一人は、他の者より背が低い。
人影に近づくと、女は背の低い人影に飛び付いた。
「かな!かな!かなでしょ?」
暗闇の中、女は自分の娘の顔や髪を撫で回して、それが間違いなく自分の娘であるのを知った。
しかし、その少女は感情の無い声で言った。
「いいえ。
私は田中春です。
貴女の娘とは違います..。」
そう言うと、まだ抱き締めようとする母親を振り切って、ハーレーの方へと歩いていった。
大きな声で娘を呼ぼうとした母親は、組織の者から鼻と口を薬に浸した布で押さえられ、意識を失って漁船に運ばれた。
他の人影も、全て消えていった。
「春!春!お前は...!」
ハーレーはベルトから抜いた拳銃を、春に突きつけた。
「マスター。
あの書類です。全部あります。」
春はそう言うと、分厚い中身の入った封筒をハーレーに差し出した。
「撃ってくださっても結構です。」
これまでハーレーが聞いたことのない、春の冷たい声だった。
ハーレーは拳銃を構え、春の眉間に照準を合わせ、引き金に掛けた指に力を込めた。
「マスター。
貴方は、私にこの書類を預けたりしなかった。
厳重にデスクの鍵の掛かる引き出しに要れていたが、メイドの春が鍵を壊して盗んでいった。
そうですよね!」
すごい迫力だった。
わずか14歳の少女から、40過ぎの軍人が気押しされた。
「貴方はメイドを犯したりしていない。
メイドの春は、貞操観念がなく、誰とでも寝るような女だった。
盗み癖もあったので、貴方は立ち直らせようと、たまには鞭を使うなど厳しく仕付けたが、結局裏切られた。
そして春は、ことも有ろうか大きな恩のあるマスターを様々な方法で脅して、ついに仲間の女を逃がすのに成功した。」
「しかし、マスターは最後に春から武器を取り上げ、仲間の女には逃げれたが、主犯格の春は捕まえた。」
春の声は、最初は冷静だったのに、次第に震え、弱々しくなってきた。
「そして..、それでも抵抗したので..、やむを得ず射殺した..。
これで..、良いですか..?」
夜目に慣れてきたハーレーには、春が涙を流しているのが分かった。
「何故、母親と一緒に逃げなかった?」
「違います。
あの女の人の娘は、結婚前に貞操を捨てるような、淫乱な少女ではありません。」
「お前、母親を助けるためといわて、あいつらの仲間に入れられたな!
あいつらから言われて、無理やり俺から抱かれたんだな!」
それまで必死に冷静を装っていた春が、急に肩を震わせ、すすり泣き始めた。
ハーレーは仕方ないと思った。
俺のような心の曲がった変態を、あんな天使みたいな少女が好きになる訳がない。
「わからないんです.。」
春が呟いた。
「何が、わからない?」
「最初は命令されてたから...。
でも、マスターが優しかったから..」
しかし、俺が春を抱く時は、鞭でいたぶり、手を縛り、あの小さな穴に捩じ込んでいたんだ。
何か優しい?
春が泣きながら呟くように言った。
「マスター!
早く、撃って!」
いきなり近くて草を踏みしめる音がして、
「そこまでだ!
二人とも動くな!」
と大きな声がした。
二人に懐中電灯の光が浴びせられ、周囲を敏捷な男達が取り囲んだ。
「情報部だ。
ギリギリ間に合ったようだな!」
責任者らしい男がハーレーに敬礼したので、ハーレーは拳銃を下げた。
「少佐殿、せっかくの貴殿の活躍ですが、残念なからこの少女は、以前から情報部が目をつけていたのです。
身柄は情報部が引き受けます。」
そう言うと、責任者は部下に春を連合するように命令した。
両腕を捕まれた春は、ハーレーの横を通る時、
「このおっさんを、私の色気で落とせなかったのが失敗だったわね!」
と悪態をついたが、それが本心とはハーレーはとても思えなかった。
やがてハーレーは上司の司令官から、叱責と言う比較的軽い処分を受けた。
本来なら、軍法会議に回される筈なのに。
しかし春は、軍事密偵とされ、軍法会議で銃殺刑が確定した。
身分を隠し、ハーレーの家にメイドとして住み込み、何度か主人の財産を盗み出した。
それを見つかって、立ち直らせようとするハーレーから折檻も受けたのに、かえって逆恨みしたあげく、日本軍の工作員と接触し、自分も工作員に仕立てられ、重要書類を盗み、監獄に入れられてるスパイの脱走に手を貸した。
幸いハーレー少佐の敏速かつ臨機応変な行動で、重大な結果は防げたが、その行為は極めて悪質である。
よって本軍法会議は、被告田中春に対して、射殺刑を宣言する。
そう宣言された春は、かえってホッとした表情を浮かべたと記録されている。
ハーレーは、春が何故自分を庇うのか分からなかった。
あれだけ散々弄んだのに。
犯した時も、かなり出血したし、気絶してしまった。
俺が美男子だったり、貴族の若様なら、まだ話は分かる。
しかし、俺はしがない成り上がりの醜男だ。
色々考えたが、ハーレーが最後に行き着くのは何時も、
「もう、あんな酷いことはしなくても良い!
ただ、可愛い春と暮らしたい!」
と言うことだった。
やがて、ハーレーにとって残酷な命令が来た。
立ち会い将校として、春の処刑に立ち会うことを命じられたのだった。
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