「よろしかったら おゆずりしますよ」
いがいな ことばが とびでた。
たしかに よく くんれんされて すばらしいが、
ここまで そだてて、 また こうびも してるだろうし
そこは よろこんぶ わけには いかない。
「ここまで そだてられて、てばなすのは もったいないですよ。
わたしは きょう、 こうして はいけんさせてもらったのが
おおいに べんきょうに なりました。」
「そうでうか。ざんねんですね。
では、どうでしょう。 あなたの どれいと
この ペットを こうかん れんたるとしては。」
わたしは この しんしの いとが よめなかった。
なにが もくてきなのか。 ぜんいなのか。
それとも ただの ひまつぶしの どうらくなのか。
「ごあんしんください。 これの おまんこや あなるには
ゆび いっぽん いれてません。 きれいな バージンですよ。
いたって けんこうたいです。」
なぜ、そこまで するのか わからない。
あまり かかわらないほうが よさそうだ。 そう おもっていると、
めすが わたしの てを なめてきた。
なんとも きもちのよい したざわり。
わたしは おもわず したを もてあそんだ。
すると めすも それに こたえて したを うごかす。
わたしは こころが うごかされた。
この ぺっとの もつ みりょくを もっと さぐってみたくなった。
だまってると、しんしは ほほえんで
「あなたが きにいったようだ。」と いった。
わたしは まだ なんの ていれも いれてない
いんどねしあの どれいと こうかんして
この ぺっとを かうこにした。
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