わたしは こころの かっとうを かかえていた。
くちでは せくしゃる すれいぶ などと いっているが、
じっさいは ほんきで なぐることなど できないのだ。
たとへ なぐったとしても あいての おびえる すがたを
みると こころを いため じせきに かられてしまう。
しょせん わたしは おひとよしな おとこに すぎない。
さて、この やせおとろえた いんどの あんたっちゃぶるは
おふくろに にていて まのあたりにすると
とても なぐるなどという きもちが おこらないのだ。
わたしが こころから しゅくせいにも にた きもちが
わきおこり あいてを まっさつしても いにかいさないのは
おそらく かんじ しなもじを つかってる おんな。
それも しはいかいきゅうで いんてりを じにんした
かんじを しらぬものを ばかにした おんなだろう。
わたしは たーげっとを かえた。
りゃくだつだ、ごうほうてきに ごうだつ
りょうじょくの かぎりを つくし
りょうしんの かしゃくが おきない。
それは やはり ぶんかはかいが てっとりばやい。
そう おもったら わたしは そのての ぐるーぷの
てりとりーへと くるまを むけるのであった。
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