くるまに 3びきの どれいを のせて いえじにつく。
まさか このような ことに なるとは おもっても みてなかった。
かえりの とちゅうに マックと KFCに よって
いえで たべる はらごしらえの たべものを ちょうたつした。
これから だんだんと ひともふえ やることが おおくなる。
その けいかくも どれいたちと ねらねばならない。
いえについて はらごしらえをしたら
さきほどの かんがえは どうでも よくなった。
あらぶと みうちが なくなった どれいを こやに いれ
1ごうと まじわった。
こどもが できるか どうかは どうでも よかった。
ただ やりたいだけだ。 それだけ。
こどもが できようが、その こどもを どうしようが どうでもよい。
もしかしたら どれいとして てばなす うんめいかも しれない。
ちんぽを てっていてきに なめさせる。
この きたない せいきを なめさせて ふくじゅうの こころを うえつけさせる。
もはや にんげんではない けだものの めすとして うまれかわらせる。
こんな きたないものを おいしそうに なめまわすなど
しょうきのさた ではない。 そう、おんなを きちがいに させるのだ。
あたまを おかしくさせて いままでの じょうしきや かんせいを ぶっこわす。
どんな けだいかい おんなだろうが けだものに なってしまうものだ。
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