この小娘、殿様のご寵愛を受けている。
殿様のご寵愛を受けると言うことは、奇跡的な幸運があれば、お二人の召し使い様のように奴隷、家畜を支配できる。
しかし、99パーセントは殿様からの酷い拷問に耐えきれず、早いうちに死んでいく。
そう言う運命だ。
この小娘、身体も小さいし、生真面目過ぎる。
それがご寵愛を受けた原因なんだろうけど、可哀想にあまり長くは生きていけないだろう。
古株の女奴隷は、それ以上はるを虐めるのは止めた。
はるは、全裸で歩かされたが、自分以外の奴隷、家畜も殆どが全裸だった。
ごく希に、白い飾り気の無いショーツ一枚を穿いた者がいる。
身分は奴隷だが、他の労働家畜を監督する権限を持つ者だ。
当然威張っているし、目上から良く見られようと目下の家畜には辛くあたる。
その上に、ほんの一握りの上下を隠す人間らしい服を着ている者が、実質的にこの農場を運営する上級奴隷。
その上級奴隷に取り囲まれて、ただ一人の下級家臣が農場に君臨していた。
どれだけ衣服を着ているか、肌を隠し人間らしくしているかが階級を表す。
ここでは、女性が弱い肌を守るために衣類を身につける、と言う常識は通用しなかった。
住むのは風通しが悪く冬は底冷え、夏は熱気の籠るコンクリートの建物に、幅4メートル奥行き2.5メートルの狭いスペースに、家畜8人の班が詰め込まれる。
家畜が寝るだけでなく、便器など置かれるため、新入りや弱い家畜は満足に寝ることも出来ない。
もちろん布団などは無く、硬いコンクリートの床に直に寝るか、少し才覚のある家畜のいる班は農作業の隙に作った干し草等を敷いたりする程度だった。
食事だけでなく、飲み水も配給でもらうだけである。
炎天下の農作業で、喉の渇きに耐えかねて、仲間入り同士で尿を飲みあうことも行われていた。
食事は量は少ないものの、栄養はそれほど片寄ってはいない。
都の歓楽街から出る残飯や市場で出る野菜くずなどを、毎朝家畜が重い荷車に載せて運んでくる。
それを雑炊のようにくたくたに炊き込み、殆どお湯のような薄いスープを作る。
パンもお粥もない。
スープのみの朝夕2度の食事だった。
だから家畜たちは、監督奴隷の目を盗んで手に入れた実り掛けの農作物を隠して食べようとする。
しかし、それは殿様の財産を家畜が盗んだと見なされ、厳しい罰を受ける。
農場の一角に、そのための拷問、処刑場があった。
些細な罪でも、見つかったら土に掘られた穴の独房に監禁される。
そして、毎週日曜日に公開処刑が行われ、奴隷、家畜は全員強制的に見せられる。
何も知らない新入りは、日曜日に農作業が半日休みと聞いて嬉しがるが、一度公開処刑を見せられたら、その夜から何度も恐ろしい夢にうなされることになる。
もし処刑を目を閉じたりして見なかったら..
それを見つけられた奴隷、家畜は、殿様のご機嫌によっては、自分も同じ方法で処刑される可能性がある。
それを見つけるのが仕事の監督奴隷は、見逃したり見落としたりすれば、自分も下級の家畜に落とされ、処刑される身になる。
ただ、この処刑に殿様がいつもいらっしゃるとは限らない。
殿様がお出でにならない週は、拷問こそ行われるが、奴隷、家畜が死に至る処刑は殆ど行われなかった。
はるが初めて見せられたのは、殿様がお出でにならないため、拷問のみ行われた。
食べ物を盗もうとした家畜が二人。
二人とも最近買われてきた家畜で、要領が悪く、監督奴隷から簡単には見つけられた。
18の娘は鞭打ち30回。
両手を柱に吊られて、全身を打たれ、激しく悶え苦しんだ。
しかし、その鞭は殿様が使われる鞭ではない。
軽く作られていて、打たれても内出血はするが、皮膚が切れたり裂けることは殆どなかった。
幼い12歳の子は三角木馬に股がらされた。
幼くとも、既に一度殿様の一物で寵愛を受けている。
しかし、精神的にも幼すぎ、殿様の前で泣きわめき、農場にと落とされた。
幼い娘を三角木馬とは、世間一般には残酷なのだろう。
しかし、まだ身体に脂肪が乗らず、体重の軽い娘を三角木馬に乗せたのは、鞭で柔らかな肌を打つより情がある刑罰なのだ。
娘も最初の10分間くらいは痛さで泣きわめいていたが、じっと動かずにいる方が少しでも耐えやすいと分かり、苦痛の表情を浮かべながら30分の拷問を耐え抜いた。
他の奴隷、家畜にはとても話せないが、はるは殿様がお出でにならないのが、残念でならなかった。
はるの頭の中では、大勢の奴隷、家畜の前で、殿様から直にあの重い鞭をいただき、あの娘の乗せられたのよりもっと鋭い三角木馬に股がらされたかった。
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