朝から短い女子教育について書きたい。
戦前の教育制度では義務教育(尋常小学校6年)を終えると、高等小学校・中学校(男子)・職業学校(男子)・高等女学校・実践女学校といった、複数の進学先が存在した。
ここで注目したいのは、中学校と高等女学校である。
これらの学校のカリキュラムはほぼ同じものであった。ただ、中学校は軍事教練が課せられ、高等女学校では裁縫・炊事・華道などが代わりに課せられていたという違いだけであった。
ここで注目すべきは、ほぼ同じカリキュラムであるにもかかわらず、男子は「中」学校、女子は「高等」女学校と呼ばれた点である。
男子が「中」であるレベルの内容が、女子にとっては「高等」と呼ばれるレベルということは、女子には学問は必要ないという差別的意味合いに捉える現代の人々も多いかと思う。
しかし、それは当時至って常識として捉えられていたのは事実である。
それはやはり、「女子は学問よりも、良妻賢母として育てることこそ、女子の最大の幸福である」といった考えが大きかったということだ。
男子のための職業学校(商業学校、工業学校、農業学校など)と女子のための実践女学校も同様である。
男子は「職業」。
女子は「実践」なのである。
ここで言う「実践」とは、女子に家事全般を中心に教育するという意味であった。
男子は「職業」を持ち、女子は妻として「職業」を持ってはいけないという考えが強かった証しだ。
男子が金を稼ぎ、女子は男子の金で生かさせていただく…
それが当然だという当時の男女差を、当時の女性は当たり前だと思っていた。
だから、戦前は多産だったのである。
たくさん孕んで、多くの子を産み、家のために献身的に奉仕する…
それこそ、当時の女子の美徳であったことを、当時の学校制度を振り返るだけでも十分理解できる。
しかし日本が太平洋戦争に敗戦すると、GHQの指令により学校制度も現在の6・3・3制に改められた。
男女とも小学校6年・中学校3年が義務教育とされ、それまでの中学校・高等女学校・職業学校・実践女学校はすべて一律に「高等学校」とされた。
そしてごく一部の県を除き、公立の高等学校は男女共学とされた。
私は、女子が女子らしくなくなったのは太平洋戦争の敗戦によるものだと思っている。
日本の伝統的な美しい強さを持った女子らしさを損なわせたのは、GHQによるアメリカナイズされた学校制度によるものに他ならない。
過去の敗戦を問題にしても仕方がない。
学校が女性独特の強さを育てられないなら、我々男性が私生活で女子達に「女子の強さ」を仕込むべきではないか?
私のこの小説は、現在の学校制度へのアンチテーゼとして書いている。
現実の日本では、我々男性が真の「女子の強さ」をプライベートで引き出すよう、女子達に愛と鞭を与えながら育ててやる必要があると、真剣に望んでいる。
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