…その物音が合図になって、気持ちの判断もつかない間に、真由美は急かされるように目の
前のチャイムボタンを押していた。
中からの応答がないまま、真由美はドアノブに手をかけ、早い動作で身体を中に入れた。
畳半畳ほどの、狭い玄関口の前に短い廊下があり、すぐ右側が四畳半の和室で、反対側は
浴室と便所と洗面脱衣になっている。
短い廊下の突き当たりの、右側が細長い台所になっていて、その向こう側に六畳間がある。
台所の反対側に、六畳間がもう一つある。
真由美の住む居宅と、間取りは当然に同じだった。
真由美は中のほうへ声掛けもしないまま靴を脱ぎ、灯りの点いていない暗い廊下に足を踏
み入れた。
台所の奥の六畳間からテレビの音に混じって、人の話す声が聞こえてきた。
誰か客がいるようだった。
浩一とは違う別の声に、真由美は微かな聞き覚えがあった。
先週にこの居宅に呼ばれた時、聞いた声だ。
浩一と同じようながっしりとした体格で、頭の毛が薄く禿げ上がっている、四十代くらい
の年齢の男で、眉が太く鼻も大きい顔には、まるで似合わないような高い声で喋っていたの
で、記憶に残っていたのだ。
坂井とかいう名前で、浩一の会社の上司のようだった。
真由美はこの男に初めて会った時に、浩一からの命令で人身御供になり抱かれていた。
無論、真由美は浩一からの、その卑劣な命令に強く拒絶の意を示したが、
「あんたに拒む権限なんてないんだよ」
の一言で却下され、真由美は古い時代の娼婦のように、感情も何もないまま、初対面の男
に抱かれたのだ。
同じ男がまた、という思いと、一方的に真由美を呼びつけておいて、躊躇を重ねた上に押
したチャイムボタンに、何の反応もせず客と話し込んでいる、若い浩一の傲慢さや横柄さに
も、真由美は内心で憤怒の思いを強くしていた。
台所に悄然とした表情で立ち尽くす真由美に、背中を見せて座り込んでいた浩一がようや
く気づいたように振り返って、
「おう、すまなかたな。つい話し込んでしまっていて。ま、入れよ」
と惚けたような顔で言ってきたのに対して、
「私、か、帰ります」
といったかと思うと、真由美に目もくれることなく、小心そうに眼を泳がせ、脱兎のごとく
玄関に向かいそのままそとにとびだしていった。
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