隔世遺伝というのか、僕の身体の血の中には、祖母と祖父の血が間違いなく
伝達されている。
そのことを、僕はこの十六歳の夏休みではっきりと知った。
二十日足らずのこの村での滞在期間中で、僕は予想も予期もまるでしていな
かった体験を、びっしりと身体と頭の中に詰め込んだ。
祖母と祖父から受け継いだ血の良し悪しの判断は、僕にはどうでもいいこと
で、特に祖母については、普段の清楚で真面目な生活態度と、男を前にした時
の、言葉は悪いが淫猥で淫靡な行為に、切ないくらいに身を焦がしてしまうと
いう二重人格者的な面が、まだ少年の僕にでもわかるくらいに顕著に見受けら
れるのだが、そのことで僕は祖母のことを、激しく嫌悪したり侮蔑したの思い
というのは一切ない。
僕の四倍の年齢を重ねている祖母だが、一人の女性として見ても、身贔屓で
はなく奇麗で素敵だと思っている。
汚らわしいとか不純だとかの思いはさらさらにない。
余分な前置きはさておいて、僕は行儀悪く畳にだらしなく寝転んで、パソコ
ン画面の尼僧の長文日記の、ページを慎重に繰った。
あった。
パソコン画面を流し読みしていた僕の目に、昭子という名前が何回も出てく
るページが見つかったのだ。
日付を見ると、五月二十五日になっていた。
目を二回ほど擦り、僕は少し胸をざわつかせながら、パソコン画面に顔を近
づけた。
五月二十五日
お守り役の竹野が私の名代で、日光の鬼怒川温泉である、この地域の寺仲間
の懇親会に一泊二日で出かけていたので、墓地周辺の見回りをしていたら、昭
子さんに久しぶりに会う。
亡くなっているご主人の月命日の墓参だという。
紺地に白の花柄をあしらった、それほど華美でもない清楚な着物姿が、小柄
で華奢な身体の良く似合っていて、口紅の赤さが際立って見えるくらいの、色
白の小さな顔に、私との思わぬ対面に少し驚いたような表情を浮かべて見つめ
返してきていた。
「…そう、ご主人の月命日で…」
「いつも何かとお世話になっています」
昭子さんに会うのは二カ月ぶりくらいかも知れない。
「今日はお守り役の人が、一泊の旅行に出かけているものだから、墓地を見
廻っていたところです。ごめんなさいね、お墓もしっかり見れなくて」
昭子さんとは、以前からそれほどの親交があるわけでもなかったが、狭く人
口も少ないこの村では、道で会う人すべてが親戚のようなもので、会えば誰か
れなく言葉を交わし、名前もほとんど知り合っている風土の中で、村一番の美
人女性が、この昭子さんであるという風聞は私もよく耳にはしていた。
年齢は五十五歳の私よりも、確か十近くは上だと聞いているのだが、小柄な
体型と、肌理の細かそうな色白の肌のせいもあって、私から見ても外見上はか
なり若く見える感じの人だった。
墓の細道で、挨拶の言葉を交わし終えた後、
「昭子さん、今日は夜の予定は何か?」
偶然だったが、昭子さんに会った瞬間に、浮かんだ言葉を私は口にしていた。
当然のように、彼女は驚き半分に意外さ半分といった表情で、私を見返して
きた。
その時の私の顔の真剣さに、気圧されたかのように、昭子さんはもう一度、
私に訝りの表情を見せて、細い首を傾げていた。
「い、いえ。昭子さんとはほんとに久し振りだし、私の人生の先輩として、色
々とお話しできたら、と思って」
そういった私だったが、実際はつい今しがた、私が今日はこの寺のお守役がい
ないといった時、昭子さんの顔の表情が、微妙に変化したことに気づいたからだ
った。
取り繕ったような薄笑みを浮かべて話す私に、昭子さんは、はっと何かに思い
当たったような表情を浮かべて、黙って私の顔を凝視してきた。
「そ、そうね。私も最近はあまり人とも喋ってないので、住職さんのお話なら
ぜひお伺いしたいわ」
「お寺の精進料理では、美味しくもないでしょうけど、ぜひ」
午後七時と時間を決めて、私たちは別れたのだが、どちらも腹蔵のようなもの
を胸に秘めての、それは別れだった。
そして私の住家のチャイムボタンが鳴ったのは、七時丁度で応対に出ると、墓
地での対面の時とは違って、白のブラウスに濃紺のVネックのセーターとジーンズ
というシンプルな姿で、手に紙袋を下げた昭子さんが、少し気恥ずかしそうな笑
みを浮かべて立っていた。
改めて挨拶の言葉を交わし合い、居間の座卓に招き、私の手料理を振舞った。
食事の時、私も昭子さんも銚子一本だけの酒を飲んだ。
食後の果物を出し、テレビのバラエティー番組を観るともなしに観ながら、村
の話や世間話に興じる二人だったが、どこかで必ず妙な間が開いてしまったりし
て、少し気まずい空気が流れたりしていたのだが、ずっと隠れていた本筋の話を
切り出してきたのは、昭子さんのほうからだった。
「…私のことの話、もう聞いているんでしょ?」
視線を合わさないまま、昭子さんがそれまでとは違う声質でいってきたのだ。
「え、ええ、竹野からこの前…」
正直に私は応えた。
「そう…」
昭子さんは短くそういって、小さな顔を項垂れさせながら、
「ひどい男ね、竹野って」
とまた短く続けた。
「あ、昭子さん…じ、実は私も」
と私がいいかけた時、
「聞いてるわ…」
そういって顔を上げて、私に目を合わしてきた。
「そうですか…聞いてましたか」
「同じ被害者なのね、私たち」
「ですね…」
「どこかに隙があったと思うの、私は」
「それは私も同じですわ」
「…私は愚かなことにね」
昭子さんは少し躊躇うように言葉を切って、
「愚かなことにね、最初に犯された時、竹野に…か、感じてしまったの。ほ
んとバカでしょ」
と自嘲的な声で続けた。
間の悪い空気が、二人の間に暫く流れた。
「昭子さん、今夜ここに泊ってって」
努めて明るい声で、私は昭子さんにいった。
今は間の悪い空気が澱んで、お互いが声を出しづらい雰囲気だったが、もっ
とこの人と話がしたいと私は思った。
私からの突然で突飛な申し入れに、昭子さんは驚いた表情を見せたが、もう
一度甘えるように懇願すると、
「い、いいのかしら?私みたいなのがお寺に泊るなんて」
申し訳なさそうな顔で承諾してくれた。
奥の八畳間に、布団を二つ並べて敷いた。
風呂から出てきた昭子さんに、客用の浴衣の新しいのがあったので、それを
指し出して、私も風呂を使った。
高校時代の修学旅行のような気分に、私は一人勝手になっていた。
二人が布団に入った時、置時計に目を向けると、もう十一時を少し過ぎてい
た。
室の灯りはスタンドだけだが、隣の昭子さんの顔ははっきりと見えた。
私のほうから言葉を切り出した。
「今日、あのお墓で昭子さんに会えて、本当によかった」
「仏様の思し召しだったのかしら?」
「きっとそうだと、私、思ってる」
「…でも、あなたもこれから大変だわね」
「私も決断が鈍くて…」
「私も偉そうにはいえないわ」
昭子さんの布団が小さく揺れるように動いたのを潮に、私は話を変えた。
「昭子さんに竹野がどう話しているのか、わからないんだけど…私が最初に竹野に
犯されたのは、ある檀家さんの強い紹介で、彼がここに来てから二日目の夜だったの。
それも、この家の狭いおトイレの中でだったの…」
「そうなの…」
「裏庭のほうでね。私がおトイレに行くのを一時間以上も待っていたらしくて…」
「た、竹野から…あ、あなたを犯したという話は聞いているけど、具体的にはあま
り」
「あ、あなたになら何でも話せそうだから、聞いてくれる?」
「そ、それはいいけど、話しにくいんだったら無理には…」
「恥ずかしいことでもかまわないの。聞いていてくれたら、私、嬉しい」
「私でよかったら…」
「一人住まいだか、らついうっかりドアの鍵を閉めてなくて、彼が素っ裸でドアを
開けてきた時には、私もう心臓が止まりそうになって」
「…………」
「驚いて、便座から立ち上がった私の片足を持ち上げてきて、横の壁にへばりつか
せて、い、いきなりよ」
「…………」
「いきなりね、わ、私の中に突き立ててきたの。声を出す暇もなかったわ。おしっ
こだったんだけど、紙であそこを拭く直前だったの。…変ないい方だけど、的を得た
っていうのかしら、竹野のものが私の中の…ふ、深いところまではいってきてしまっ
ていて、正直、その場で私、どうすることもできなかったの」
「い、いいにくかったら、もういいわよ…」
「大丈夫よ。でね、私その頃には喉が引き攣ってしまっててね。声が出なくなって
しまってたの。私、身体大きいほうなんだけど、狭い室では逆にそれが仇になって、
何もできなかったの…」
この辺りから、私の心のどこかに、変に熱っぽい風が吹き出してきていた。
男につらぬかれ、犯されている話を続ける自分に、自分が酔い出したような感覚だ
った。
犯されているその時の恥辱の記憶の熱が、心だけではなく、身体の血流を騒がせて
きている感じだ。
隣の布団の昭子さんからの声がないのに、私は気づき、
「昭子さん、もう寝た?」
と問いかけると、
「ううん、起きてるわよ」
返答がすぐにあった。
「ねぇ、昭子さん、そちらへ行ってもいい?」
私は唐突に尋ねた。
少しの間があって、
「い、いいわよ…」
との昭子さんからの返事に、私はすぐに身体を起こし、這うようにして彼女の布団
に潜り込んでいった。
化粧の匂いではない、昭子さんの身体の匂いが、私の鼻孔を突くと同時に、私の気
持ちまで微妙に揺るがせてきた。
「ごめんなさい、甘えてばかりで」
向き合わせた顔に向けてそういうと、昭子さんは私との距離を置くように、私よりも
随分小さな身体をずらせた。
私が甘えるように、また身体を寄せていくと、口元に白い歯を見せて、優し気に微笑
んできた。
「あ、それでね…」
私は思い出したように話を戻し、
「狭いところで、無様な格好で犯されているのに、女の身体ってバカなのね。私、変
な気持ちになってしまって…」
「し、仕方ないのよね…」
「あんな狭い場所で、無様に犯されているのにね。…はっきりいうと、私、感じちゃ
ったの…」
「…………」
昭子さんより身体の大きい私の両手が、知らない間に彼女の背中に廻っていた。
昭子さんを、私が抱きしめている感じだった。
昭子さんの身体から発する匂いが、変わることなく私の鼻先を、妖げにく擽ってきて
いた。
私の腕の中で、昭子さんが少し窮屈げに動こうとしていた。
昭子さんの小さな顔が、私の顎の下にあった。
自分の顔をそこに埋めるように俯けながら、
「昭子さん、キスしていい?」
と私は思いきっていった。
驚き戸惑っている彼女の顔が見えた。
問いかけの返事を待たずに、私は昭子さんの唇に唇を重ねにいった。
昭子さんの滑るような、心地のいい感触の唇を、私は自分の唇に感じ、思わず全身を
震わせた。
重ねた唇から私が舌を指し出すと、昭子さんの歯が、まるで自動ドアのようにゆっく
りと開いた。
私は顔をさらに、昭子さんの顔に押し付けるようにして、自分の舌を彼女の口の中深
くまで差し伸ばしていた。
気持ちのいい昭子さんの息が、私の口の中にも蔓延してきていた。
昭子さんの背中に廻していた、私の手が自然に動き、彼女の浴衣の上から乳房の膨ら
みに触れた。
重ね合った口の中で、昭子さんが小さな子供がむずかるような、短い喘ぎの声を漏ら
した。
「昭子さん、もっとあなたを愛したい、いい?」
離した唇を昭子さんの耳元に近づけて、私は囁くように聞いた。
「た、たくさん…愛して」
まるで若い娘のように、昭子さんは上気した顔に汗を滲ませて、小鳥が泣くような声
で応えてきた…。
続く
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