朝、目を覚ますと祖母の室だった。
まだ開こうとしない目を手で擦りながら、柱時計に目を向けると七時を
少し過ぎた刻限だ。
確か、昨夜眠りについたのは、午前二時過ぎくらいだ。
目が開かないはずだと、もう一度布団に潜り込もうとしたら、室の外で
スマホの着信音がいきなり響いた。
祖母のスマホの着信音だ。
そういえば、昨夜はここで、一枚布団で祖母と身体を抱き合うようにし
て寝たはずだ。
いつも早起きの祖母が起きたのを、当然、僕は知らない。
僕と同じで、祖母が眠りについたのも、午前二時過ぎだったと思う。
それでもう、祖母はいつもの通りに起きて、いつもの通り朝食の用意を
している。
十六の少年の僕には、当然できないことだ。
「雄ちゃん、朝ご飯食べないの?」
室の外から、祖母のいつも通りの普通の声が飛んできた。
仕方なく起きて、まだ眠気の残る目を擦りながら居間に向かうと、祖母
がいつもの顔で、鍋から味噌汁をよそっていた。
「おはよう」
茶碗にご飯を盛りながら、まるで昨夜は何もなかったような表情で、挨
拶の言葉をいってくる。
昨夜のことって、あれは自分が見た夢の出来事だったのか?
思わずそう錯覚してしまいそうなくらいに、祖母の顔や態度、表情は冷静そ
のものだった。
「ご飯、食べるでしょ?」
ほんとにさりげなく、いつもの普通の声と表情で聞いてくる祖母を見て、僕
はまた、大人ってわからんと思った。
首だけ頷かせて、ぶっきらぼうな顔で座卓の前に座った。
真正面にいる祖母から、昨夜を思い出させるような匂いが漂ってきていたが、
僕は素知らぬ顔で、湯気の立つ味噌汁を啜った。
「私ね、今日のお昼から、また隣村の役場まで行かなくちゃいけなくなった
の。帰りは最終の九時頃になるかも知れないから、お夕飯、何か作って置きま
しょうか?」
向かい合っての黙ったままの食事の途中で、祖母が唐突に口を開いてきた。
「そう。ラーメンくらい作れるから」
「椎茸組合がね、役場のほうに何かの要望書を出すというので、そのお供で
行くだけなんだけど、夜に皆で食事するかもっていうから…」
こちらが理由を聞いてもいないのに、申し訳なさそうな顔をしながら、早口
で喋ってきた。
その目が少し泳いでいるような気がしたが、僕からは何も返答はしなかった。
僕も親に平気で嘘つく時が何度もあるが、普段、正直な人間は嘘がつくとす
ぐにわかるというのが、今の祖母だと思った。
この前は隣村で、何年振りかの同級生に会って、話が尽きずに泊ってきたと
いうのが、祖母の口実だった。
室に戻って畳に寝転びながら、僕は頭を巡らせた。
昨夜の夢のような出来事は、一旦、胸の中に閉まっておくことにして、祖母
の今日のこれからを調査するという、突飛な発想が僕の頭に湧き上がっていた。
何日か前の祖母の隣村への外出の時の様子が、ずっと僕の胸の中で微かな疑
念として残っていたのだ。
僕の疑念に具体的な根拠は何もないのだが、その日の前後の祖母の様子に、
何か普段と違うような雰囲気が、ずっと心の隅に残っていたのかも知れない。
その日の前日だったか、祖母のスマホが鳴り、応対に出た時の祖母の顔が
急に曇り、声を動揺させていたことや、日帰りを一泊して帰った時も、妙にお
どおどしたような振る舞いとか、若い僕から見ても、何か落ち着かない素振り
のようだった。
隣村に何かがあると僕は直感し、作戦を考えた。
祖母は昼から出かけるといっていた。
それなら先回りして、祖母より早い電車に乗り、駅で待って、どこへ向かう
のかを後をつけるなりして確かめたらいい、と僕はそう考えた。
無駄な一日になったらなったでいい。
山を歩いてくるから昼ごはんはいらないといって、すたすたと僕は駅に向か
った。
若いので行動力はあった。
第三セクター線の時刻表はチェック済みだ。
隣村の駅まで、列車で三十分はかからなかった。
役場のあるところらしく、駅前には小さなロータリーがあった。
駅周辺に人通りはあまりなかったが、隠れて見張る場所は結構あった。
祖母は僕が乗った列車の一本後に乗ってくるはずだ。
古びた駅舎から三十メートルくらいの距離のところに、少し大きな広告の看
板があり、その裏に僕は隠れた。
やがてお目当ての列車が駅に着いた。
降りてきた客は三人だけで、その中に小さなバッグを抱えた、祖母の小柄な
身体が見えた。
薄水色のブラウスにジーンズ姿だ。
と、駅前の小さなロータリーの、真ん中を割るようにして小走りに、駅舎の
正面に向かう男が見えた。
暑いこの最中に、きちんとしたグレーのスーツ姿だ。
四十代くらいで、細身の体型をした男の顔に、若い僕の頭の中の記憶装置が
すぐに作動していた。
あの夜、寺で祖母の身体を抱き、悶え苦しめた、古村という名前の男だった。
ある程度の予想はしていた僕だったが、これほどに上手くツボに嵌る絵柄に
早々に遭遇できるとは、僕自身もおもっていなかった。
祖母の前に近づいた古村は、労うような動作で、祖母のブラウスの肩に手を
置いていた。
僕は素早くポケットからスマホを取りだし、格好の被写体に向けてシャッタ
ーを押しまくった。
もうこの祖母と古村のツーショット撮影だけで充分だった。
祖母と古村が肩を並べるようにして、駅前のロータリーから出て、建物の角
を曲がって消えていくのを確かめて、僕はついさっき降りたばかりの駅舎に向
けて、少しばかり微妙な表情で歩き戻った。
帰りの列車の中で、窓の外に流れていく景色に目をやりながら、物思いに耽
っているような表情をしていた。
もう後、数日で僕の激動的で激情的な、夏休みが終わる。
しかし、祖母の住むこの村での僕の人生は、まだまだ長く続きそうだと、手
にしたスマホに目を向けながら思った…。
続く
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