「名前って?」
思わず僕は、祖母に問い返していた。
「た、竹野っていう…」
いきなり顔の前に、ナイフを突きつけられた感じだった。
「何がいいたいの?婆ちゃん」
僕の拗ねたような、不貞腐れたような声に、祖母は怖れを感じたかのように、
小さな顔を左右に振って、
「ううん、何でもないわ。ほら雄ちゃんがお寺で覗き見してた時に、その名
前きいているんじゃないのかと思っただけ」
「どうだったかな、憶えてない」
「そ、その竹野のとのことね?…二年前、と思う」
何かを胸に秘めて、祖母の告白が始まった。
僕なりの独断と推測も入れて、下手な小説風にまとめると、概ね以下の通り
になるのだが…。
私は竹野という男から、ずっと以前から狙われていたようだ。
二年前の初夏の頃、一人で駅前の通りを歩いている時だった。
背後から唐突に、自転車に乗った男に声をかけられた。
古びた麦わら帽子を被り、白の法衣に薄水色の袴姿の、私は初めて見る顔だった。
小柄で細身の体型をしている。
その身なりから、お寺関係の人だという推測できたが、私はこれまで一度も会った
ことがないし、言葉も交わした記憶もなかった。
「上野昭子さんですね?」
私の真横に立った男が、まるで警官の尋問のような口調で聴いてきた。
「はい、そうですけど…」
「あの、これ、寺からの届け物です」
そういって男は一方的に私の手に、少し大きめの封筒を渡してきた。
封筒は使い古しの役場専用のもので、手触りの感じでは写真のようなものが、何枚
か入っている感じだった。
封が閉じられていたので、その場では開けず、家に帰って開けてみると、驚きのも
のが入っていた。
写真が十数数、それも全部私を盗み撮りしたものばかりだった。
薄気味悪い気持ちで一枚一枚を見ていくと、私の普段の行動写真ばかりで、家の庭
先で野良着姿で、何かの洗い物をしているところとか、駅前の雑貨屋で買い物をして、
知り合いと笑いながら話しているのとか、籠を下げて畑道を歩いているところとかの、
何ということのない写真に混じって、私自身も驚く場面を写したものがあったので、
薄気味悪さが倍加し、憤りの気持ちが大きく湧いてきた。
私が毎日のように通う畑と椎茸小屋を背景に、私が草を毟ったり、木の枝の束を担
いで歩いているのが、顔の表情がわかるくらいにかなり接写しているのがあり、いつ、
どこから、どうして撮ったのか、被写体の私自身がわからないものばかりだったが、
その中で五枚の連毒写真が、私の驚きを一番大きなものにした。
それは私が椎茸小屋の裏の草むらで用を足している写真だった。
普段なら、椎茸小屋の隅にある便所を使っているのだが、ある一時、その便所の床
板が腐食し使用不能になり、小用だけ人に見られない椎茸小屋の裏の草むらにしてい
たことがあったのだ。
小屋の便所が使用不能ということは、私以外には誰も知らないはずで、私の日々の
行動を常に監視していないとできない行状である。
その連続写真は、私が草むらで中腰になり、モンペの紐をほどいているところから、
草むらに腰をしっかり下ろし、用を足しているところのほぼ全身が正面から写されて
いて、顔の接写と露わになった私の下腹部の放尿の様子が、まざまざとした画像にな
っているのだ。
私が用を足して立ち上がるまでの、卑猥であさましい数枚の連続写真、いやその他
のものを含めて、陰湿極まりない写真に添えて、一枚の便箋が入っていて、そこには
稚拙な読みにくい字で、このネガが欲しかったら、明日の午後一時に墓上の小屋に来
いと書かれていた。
明らかに、これは脅迫という犯罪だ。
犯人は、私にこれを事情もいわず、いきなり渡してきた、あの法衣姿の男に違いな
かった。
そう思うのが自然で、そうするべきと先ず思ったのだが、このことが村の人たちに
知れたら、人も多くいなくて狭い村は忽ち騒然となる。
顔も名前も知らない男だが、どうにかこの愚劣な行為を思い止まらせることはでき
ないか、とふと私は思った。
私に大層な正義感があるということでもなく、私自身、それほど賢くもないのだが、
人間誰でも一時の迷いに墜ちることはあるのだ。
自分でやれる範囲で、この相手を説得してみよう、私はそこで決断した。
そういえば、とそこで私は思い出した。
一ヶ月ほど前の亡夫の月命日に、雨の降る中、墓参りに行った時、本堂前で住職代
行の尼僧と会った時に、尼僧の背後で傘を差し向けていた法衣に袴姿の男性がいた。
その時、顔はよく見えなかったが、小柄で細身の体型をしていた。
高明寺のお守り役をしている人だとわかったが、私とは面識がないので、最近に勤
め出したかも知れなかった。
翌日の午後一時に、私はジーンズと白のブラウスの軽装で寺に向かった。
墓地の上の台地に小屋が建っているのは知っていたが、建物の前まで行くのは初め
てだった。
古びた木造の瓦葺きで、壁は板張りの、倉庫か物置のようで、それほど大きな建物
はなく、周辺は雑草だらけで、普段あまり使われてはいない感じだった。
入口になっていそうな板戸の前まで来ると、まるで中から外を覗き窺っていたよう
に、板戸が気合んだ音を立てて開いた。
中からのっそりと顔を出したのは、昨日の男だった。
声も出さず片手で、こちらへ来いと招く動作をして、そのまま中へ引き込んでいっ
た。
私は少しばかり恐る恐るの気持ちで、板戸のほうへ歩み寄り、顔だけを中へ覗き見
るように入れた。
入口の辺りが土間になっていて、六畳ほどの広さの板間が奥まで続いている。
奥のほうに木箱が幾つか積まれていて、板間の手前のほうは古びたカーペット敷き
になっている。
暗い室内を中央の裸電球が、薄明るく照らしていた。
少し色褪せた白のTシャツと、カーキ色のズボン姿で、小柄な男はカーペットの中央
に胡坐座りをして、忍び込むような足取りで土間へ入った私に、粘っこい視線を投げか
けてきていた。
「俺の名は、竹野」
男の最初の言葉がそれだった。
「上野です」
私も名乗って、足をゆっくりと前に進めた。
男の手に写真のネガを入れてあるような、細長い紙のケースが見えた。
「あんたを盗み撮りしたことは謝る」
「え、ええ。…で、それを返してもらえ…」
私がそこまでいいかけた時、男の身体が脱兎の如くのような動きで、私に体当たりす
るような勢いで迫ってきた。
そのあまりの素早さに、私は何が起きたのかもわからないままに、男の腕に掴み取ら
れ、そのまま引き摺られるようにして、カーペットの上に立たされていた。
男の動きはその後も素早くて、立ち竦む私の手首を捉え、そこに天井の梁から吊るさ
れていた麻縄を手早く二重三重に巻き付けて、もう片方の手も、同じように梁から吊る
されていた縄で括られたのだ。
声の一つも出せない間に、私は二本の手首の自由を奪われるという、不測の事態に貶
められたのだ。
「な、何をっ…」
怒りの表情で、それだけいうのが私はやっとだった。
次の声を挙げようとした私の口に、予め用意されていたと思われるガムテープを貼り
つけてきた。
屋根の梁から吊るされていた麻縄も、男の狡猾な姦計だと確信した私だったが、時す
でに遅しだった。
梁から吊るされた私の足先は、ほとんど爪先立ちの状態で、身体を動かそうとすると、
風に吹かれる木の枝のように、頼りなげに空しく揺れるだけだった。
得もいわれぬ恐怖が、私の全身を重く強く包み込んできていた。
竹野と名乗った男が、勝ち誇ったような表情で、身体が不安定なままの、私の前に近
づいてきた。
小柄で細身だが、私より上背があり、細身でも男の腕をしている。
ぎょろりとした目に比して眉が薄く、味噌っ歯の歯の色が黄色い。
ガムテープで塞がれた口で、私はそれでも叫び声を挙げようとしたが、竹野はそんな
私をまるで無視するかのように、平然とした顔で動いてきていた。
私のブラウスのボタンを、無言で一つ一つ外してくるのだった。
ブラウスの下は、白のブラジャーだけだ。
首から下の、私の肌が露出したのが私にもわかった。
竹野の表情が歪に変化している。
ブラジャーのホックが竹野の手で外され、自分の乳房の膨らみが露呈したことを私は
知った。
竹野の手の動きは止むことなく、さらに続いた。
私のジーンズの前ボタンを、躊躇う素振りもなく外しにきた。
ジーンズは引力に従うように、私の足首まで脆くも落ちた。
下半身が白のショーツだけになる。
それで終わりではなく、竹野の手は、今の私の唯一の守りの壁である小さな布さえも、
躊躇なく下げ下ろし、足首からも抜き去ってきたのだ。
ガムテープの下で、声にならない呻き声を、私はただ空しく挙げ続けるだけだった。
と、竹野が私の目の前で、自分の穿いているズボンを、トランクスもろとも脱ぎ出し
てきた。
慌てて私は目を閉じ、顔を背け、無駄と知って身体を激しく振った。
しかし、その行為が逆に、私の身体と心の中のどこかに、まるで予期していなかった、
背徳的な熱を含んだような感情が、ポッと小さな音を立てて灯らせることになっていた。
私が抗って身体を揺らせれば揺らせるほどに、屋根の梁から縄で吊るされた私の手首
に喰い込んだ縄目の痛さが、私の身体と心の中に、もう何年もの長い間隠れ潜んでいた、
緊縛の愉悦の炎を、図らずも呼び覚まそうとしていたのだった。
最初に私の心が狼狽えた。
こんな非道な仕打ちを受けているというのに、それとは真逆の淫靡で淫猥な、女の感
情が湧き出ようとしてきていることへの、狼狽の思いだった。
剥き出しにされた私の下腹部の辺りに、微熱を帯びた疼きが走ったような気がどこか
でした。
このような恥辱の事態を何一つ想定せず、何の警戒心も抱かずにのこのこと出掛けて
きた我が身の、浅はかさを呪いたい思いだった。
縄で吊るされた状態で、私が目を反らし顔を背けているのを、竹野はまるで無視する
かのように、ほぼ宙に浮いた状態の私の両足を、両手で抱きかかえてきた。
何が起きようとしているのか、漠然とだがわかった。
「ううっ…」
ガムテープをされた口の中で、私は悲鳴のような呻き声をあげた。
私の剥き出しの下腹部の中心に、竹野の男のものが突き刺さってきたのだ。
全身に強い痙攣のような疼きが走り巡った。
同時に、私の下腹部を強烈な圧迫感が責め立ててきた。
嫌も応もない、堪えがたい刺激の襲来に、私の精神は忽ちにして崩壊の憂き目に遭お
うとしていた。
つい今しがたまでの、竹野という男への強い憤怒と侮蔑が、音を立てて瓦解しようと
していた。
いや、そうではない。
竹野のいきなりのつらぬきに、私の心は瞬時に瓦解したのだ。
下のほうから突き上げてくるような、竹野のつらぬきの圧迫感が、私の脳髄近くまで
責め上がってきていることを、私は実感していた。
自分はこれからどうなってしまうのだろうと、茫漠となりかけている意識の中で、私
は思った…。
続く
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