祖母が畑から帰ってきたのは、いつもより少し遅い刻限のようだった。
夕方からNHKで観たい歴史番組があったので、僕は居間で寝転びながらテ
レビを観ていた。
「雄ちゃん、今日はありがとうね」
後ろの台所のほうから祖母の声が聞こえたので、
「うん…」
とだけ僕が短く返事を返すと、
「椎茸小屋の奥の壁が、板が二枚ほど剥がれ落ちていて、それ直してたら
遅くなっちゃった。お夕飯、急いで作るから待っててね」
と、何か変に普通を装ったような声でいってきた。
物事でも考えでも、単細胞の僕はあまり長く拘ったり、引きずったりしな
いのだったが、祖母の繕ったような声を聴いて、また気分を害したかのよう
に黙りこくった。
夕食の副菜に僕の好きなはんぺんとごぼてんの甘辛煮があった。
普段の祖母なら、
「こういう練り製品は、防腐剤とか色々なものが入っているから、身体に
はよくないのよ」
と嗜めるのだが、
「雄ちゃんもここにいるのあと少しだからね」
と、まるで孫の僕のご機嫌を窺うように、にこやかな笑顔でいってくるの
だが、僕は生返事だけして、黙々と箸と口を動かすだけだった。
そうはいうものの、むすっとした表面上ほどには、気持ちは怒ってはいな
いのだが。
夕食が終わり、祖母が洗い物を済ませて居間に入ってきて暫くしてから、
僕は畳から腰を上げた。
居間を出ようとした僕の背中に、
「雄ちゃん」
と今までの柔らかな物言いではない口調の声が響いてきた。
祖母の、何かを思いつめたような声だった。
「何…?」
祖母の表情には気づかないふりをして、僕は振り返った。
祖母は座卓の前で正座して、正面に目を向けて姿勢を正していた。
その視線が見上げるように、僕に向いてきた。
視線が合った時、これまでとは違う祖母の目力の真剣さに、僕は少したじ
ろいだ。
「婆ちゃん、あなたに話があるっていったでしょ」
「あ、ああ…」
忘れてはいなかったが、僕はわざと今、思い出したような表情で応えた。
「…でも、こんな早い時間にする話じゃないから…」
祖母の小さな白い、というか、蒼白の顔に、深そうな躊躇の思いが滲み
出ているようだった。
「…こ、今晩の…十時に、私の寝室に来て」
祖母の、何かを強く決断したような声を聴いて、
「えっ……?」
と僕は思わず問い返したつもりだったが、一瞬、喉の奥が詰まったよう
な気がして、祖母に聞こえたのかどうかもわからないまま、その場に立ち
竦んだ…。
続く
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