パソコンの画面から僕は顔を反らし、畳の上に仰向けになった。
十二月二十二日の日記の先を流し読みすると、まだ延々と続きそうで、これを
綴った尼僧の人の、ある意味、根気のよさと丹念さに、僕は少し感心した。
尼僧の人が若い頃、中学校の教師のような記述があったので、何となくこの長
分も理解できそうだと、僕は妙な納得をし、勝手にこの教師は、多分、国語担当
だったのだろうと推測する。
後を流し読みした内容をいうと、この後、尼僧も含めた八人でのSMショー的な
舞台が始まるのだ。
そこにいる女性で一番年の若い人を、この集まりの設営者である湯川という人
が、布団の上で赤い縄を慣れたような手捌きで、色々な恥ずかしい体型をとらせ
て括り上げる様子とか、五十代半ばの化粧の濃い女性の、豊満な裸身を縄縛りに
して、男が二人がかりで性器具の幾つかを駆使して、淫猥な雰囲気の中で責め立
てる構図の描写があったように思う。
蛇足的なことだが、五十代の女の人の、妖艶な裸身の征服に挑んだ二人の男の
内の一人が、あの竹野だったようで、尼僧の妖しげな拘りの記述があったような
気がする。
そして何といってもそのショーのメインエベントは、尼僧への縄や器具を使っ
た凌辱、恥辱の行為の数々だったようだ。
尼僧は自身のことでもあったせいか、そこにかなりの行数を割いて書き記され
ているようだった。
ここはまたいつか読もうと思いながら、喉が渇いていた僕は畳から起き上がり、
台所に向かった。
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出して飲んでいると、赤い布
で結び包まれた小さな物が視野に入った。
食器棚の横の台座の隅に見えたその物は、祖母が畑や椎茸小屋へ出かける時に、
いつも持っていく弁当だった。
婆ちゃん、忘れてったんだ、と思いながら、今の柱時計に目をやると、十一時
少し前だった。
今朝の祖母との少しずれた会話のせいもあって、何となく祖母の顔が見にくい
ような気がしたが、無意識のうちに僕は赤い小さな包みの弁当を手に持ち、靴を
履いて玄関を飛び出していた。
祖母がいつも出掛ける畑と椎茸小屋は近いところにあるのだが、車の通れない
未舗装の細い道を、一時間近く歩かなければいけない。
山のほうに向かって緩やかな坂道を登っていくのだ。
小学校から中学一、二年の頃、僕は祖母に連れられて何度か、そこには行って
いた。
狭い畑道を歩き続け、狭くなってきている谷の上を目指す。
八月の末でも陽射しはまだ強く、帽子も被らずに来た僕の、運動不足のすぐに
泣き出していた。
汗が顔や首筋から吹き出てきていたが、タオルやハンカチを持ってきていなか
ったので、そのままほったらかしで、草いきれのする細い道をひたすら歩きなが
ら、間もなく終わるこの夏休みのことをふと思う。
十六歳の夏。
ここへ来るまでは、祖母は自分を生んでくれた親の親で、家族として当たり前
にいるものだと、僕は思っていた。
大きな欠落があったことを、僕はこの夏休みの短い期間で知った。
僕よりももっと幼い子が読む、絵本の世界には、絶対にない世界のことも、こ
の目で確実に知った。
祖母は絵本の世界にある、柔和で心優しいだけの人だけではなく、生身の、そ
して生々しい女としての存在意義があるのだということを、僕は知らされたのだ。
はっきりといえることは、十六歳の僕がこの目にした祖母の行為は、ふしだら
という言葉一つで断じることではないということだ。
身内の祖母だからと、擁護するのではない。
これ以上は、高校二年の僕には難しいので、婆ちゃんも女の人なんだ、との結
論をあっさりと出して、目を上に向けると、見覚えのある古びた瓦屋根の小屋が、
高く伸びた雑木に包み隠されるようにして見えてきた。
小屋の周辺の平地が、何が採れるのか、僕は知らない畑だった。
それほどは広くない畑の真ん中の畝に、大きな麦わら帽子を被り、紺地に水玉
模様の入った、いつもの野良着姿の祖母が座り込んで、草を毟っているのが見え
た。
僕より先に気づいた祖母が、驚いたようにその場に立ち上がっていた。
「婆ちゃん、これ」
僕が弁当を包んだ赤い布を翳して、祖母の前まで近づくと、麦わら帽子の下の
小さな顔を嬉しそうに綻ばせて、
「よく来れたわね」
と白い歯を覗かせながらいった。
椎茸小屋の前の、日陰になっている草地に二人並んで座る。
「まぁ、汗だらけじゃない、顔…」
そういって祖母が首に垂らしていたタオルを差し出してきた。
顔と首筋の汗を僕は無造作に手で拭くと、タオルの生地から、祖母の女の匂い
が僕の鼻孔を強くついた。
祖母の寝室の匂いだった。
「あ、水筒忘れてきた」
照れ隠しのような声で僕がいうと、
「いいわよ。この小屋の裏に小さな沢があって、冷たいお水飲めるから」
「じゃ、僕が汲んでくる」
「そう、その小屋の入ってすぐ右側に、コップが二つあるから、それ、持って
いって」
祖母のタオルの匂いのせいか、身体と気持ちが妙にうずうずし出したので、僕
は立ち上がり小屋の戸を開けた。
コップ二つを手にして、小屋の裏に回ると、石と石の間を縫って上から透明に
澄んだ流れ落ちていたので、二つのコップにそれを掬って、祖母のところに戻っ
た。
「あなたのお昼がないわ」
と祖母が顔を少ししかめながらいったので、
「いいよいいよ。僕は帰ってから食べるから」
と返すと、
「じゃ、仲良く半分こにしましょ」
と子供のような屈託のない表情を浮かべながら、弁当箱の蓋を使って器用に小
分けした。
弁当の半分以上は僕が食べた。
自然の緑の中にいると、人間社会のどろどろとしたものは消えて失くなるよう
だ。
時折、ひんやりとした風が吹く草むらに座り、弁当を仲良く分け合っての祖母
との会話は、家にいる時の会話よりもよりも、殊のほか弾んだような気がした。
祖母と孫との屈託のない会話の雰囲気に、思わぬ冷や水をかけてしまったのは
僕の何気ない一言だった。
「昨日、婆ちゃんが泊まった町って、大きな町なの?」
町の名前を聞いても、何が有名なのかも、あまりよく知らないところだったの
で尋ねただけだったのが、祖母の顔が急に曇ったので、僕は心の中で、しまった、
と臍を槌んで悔んだ。
僕に、昨日の祖母の思わぬ外泊を詮索する気持ちは、全くなかったのだが、祖
母の反応は明らかに異質だった。
触れられたくないことに触れられた、という感じだった。
「そ、そうね。何にもないのが特徴の町なのかしらね…」
それからの祖母と孫の会話は、目に見えて和やかさが失墜してしまった。
結果的に、僕は気持ちを少しばかり沈めて、祖母と別れて家路の道を歩いた。
あんなに表情が変わるってことは、婆ちゃんに何かやましいことがあるからじ
ゃないのか?
僕は帰り道の途中に生えていた、雑草の幾つかを足で蹴り潰しながら、家に戻
った。
もう一つ、気になることがあった。
祖母に背を向けて二十メートル歩いた時、
「今夜は…どこにも行かないでしょ?」
と聞いてきたことだ。
僕が夜に家を出たのは、祖母の後をこっそりと尾行し、大人の世界の驚愕の裏
面を見た時だけで、それ以外には一度もないし、出かけるところなどありはしな
いのだ。
気にくわん、とまた僕は関西弁で呟いて、自分の室に引き込んだ…。
続く
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