僕がこの村へ来てから十日が過ぎる。
あの強烈で刺激的な夜から、一週間が経つ。
明日からお盆ということで、今朝の朝食の時、祖母から、
「明日は朝からお墓参りいくから、そんな恰好じゃなくポロシャツくらい
着なさいよ」
と祖母に少し蔑んだような顔をされた。
因みに今日の僕のコーデネーションは、訳の分からないロゴの入ったよれ
よれのTシャツに、膝に穴の開いた古びたジーンズ姿だ。
年寄りには理解不能のコーデなのだと思うが、さすがに御先祖様のお墓参
りにはな、と少し納得しながら、僕は駅前の雑貨屋を目指して外に出た。
抜けるような青空に夏の陽光が燦々と照りつけていた。
斜面の道を歩いていると、また僕の頭の中に、あの一週間前の興奮の情景
が断片的にフラッシュバックしてきていた。
竹野、吉野、古村の三人の男の顔が交互に入れ替わり立ち代わり出てくる
のだが、どの場面にも必ずヒロイン的に現れるのは、小柄で華奢な祖母の色
白の裸身だった。
あの日の夜から、僕は二日ほど僕は二日ほど身体の調子を崩した。
勿論、熱が出て寝込むとかの症状ではない。
平均寿命八十歳のこの時代で、まだ四分の一も生きていない十六歳の僕に
は重過ぎ、過分過ぎる場面の連続で、しかも分別もそれなりにあると思われ
る、大人の男女の情欲的な絡みを、この目で僕は克明に凝視し、頭の中に最
早忘れがたい記憶として刻み込まされたのだ。
恥辱を絵に描いたような緊縛の着物姿。
見知らぬ複数の男たちとの、情欲的な抱擁。
他人の好奇の視線の中で、まるで恋人同士のように熱情的に求め合い、満
願の頂点を迎えた男女。
普通の人間でもめったに体験できない、これらのことを僕は一気に目の当
たりにさせられたのだ。
あの夜暗い山道を這うようにして帰宅した僕は、冷めやらぬ興奮の坩堝の
中に引きずり込まれ、あくる日の朝まで一睡もできなかったのだ。
祖母が作ってくれた味噌汁の味が、何もわからないまま、僕は室に引き籠
ったのだ。
それで身体の調子を崩したのだが、愚かな牡の本能の強い僕は、それから
の二十四時間の間、三回も自慰行為に耽ってしまったのだから、体調不良に
ついては、殊更に前面に出すことはできない。
雑貨店の手前くらいまでいくと、店先で野菜を並び置いていた鉢巻き姿の
店主が僕を見つけて、
「やあ、兄ちゃん、おはよう」
と親しげに声をかけてきた。
「おはようございます。すみません、またいつもの」
というと、
「あいよ、ミネラルウォーターね。でも、買ってくれるお客にこんなこと
いうのも何だけど、駅裏を流れる川の上流の水は全部ミネラルウォーターだ
よ」
と店主はカラカラと笑いながら奥へ引き込んで、五百リットルのペットボ
トル二本を持って戻ってきた。
「あ、すみません。それと、叔父さんに今日は頼みたいことあって来たん
ですけど…」
「俺に?…何だい?」
店主の屈託のない明るい声に乗せられるように、思っていることを話した。
学校の夏休みの研究レポートで、平家の落人が建立したという、あの高明寺
の由緒とか由来について調べたいので、そこの住職と同級生というよしみで、
自分を紹介してもらえないか?と少し真剣な目で頼んでみた。
二、三日前に思いついた計略だった。
この時にはまだ、それほどに深い他意はなかったのだが、何日か前に見た尼
僧の住職とお守り役の竹野との淫猥な関係が、僕の頭の記憶からどうしても消
えずにいたのだった。
「あ、ああ、須美ちゃんかい?いいよ、お安い御用だ。でも待てよ。明日か
らお盆だから、この三、四日ほどはだめだな。あの人の稼ぎどころだからな、
はは」
気のよさげな店主は、そう一気に喋って笑顔を見せた。
少しばかり不純な動機も含んでいる、僕は店主に申し訳ないとも思ったが、盆
過ぎにまたこの店に来ると約束して、身体の向きを変えようとした時、
「しかし須美ちゃんも大変だろうな」
と独り言のように呟いたので、僕は思わず足を止めた。
聞くと、盆で多忙になるこの時期に、お守り役をしていた竹野が、一昨日の夜
に理由もいわずに失踪したというのだ。
これは僕にとっても、大いに気になるニュースだったので、悟られないように
言葉を選びながら聞き直すと、今のところ本当に理由もわからない失踪のようで、
取り敢えず昨日、役場のある村の駐在所には届けたとのことのようだった。
寺のほうは急場しのぎに、都会に住む実の妹の夫がお守り役代行で、昨日寺に
入ったということだった。
そんな状況なら、こちらのほうは無理にお願いしてもらわなくていいですから、
と僕は神妙な顔でいって店を離れた。
家までの坂道をゆっくり登りながら、僕は考えていた。
第一に思うのは、祖母は竹野の理由不明の失踪を知っているのだろうか?とい
うことだった。
ここ一日二日の、祖母の行動や表情には、僕から見てもさしたる変化はないよ
うに思うのだが、人には話すことのできない秘密の肉欲の関係に二人はある。
しかもその期間は、二年ほどとのことだ。
あの夜以降、二人の間にスマホ交流は一度もないのか?
少なくとも、祖母の夜の外出は、あの日以降はないということは僕も知ってい
る。
風雲急な予感がした。
祖母のスマホを、今すぐにでも確認したいと、僕は地団駄を踏むような気持で
思った。
その日の夕食時、今の座卓で向き合いながら、それとなく祖母の様子を窺い見
るのだが、いつもと全く同じ表情で、話す言葉にも何も澱みはない。
次の、決定的ともいえる作戦。
祖母が風呂に入ったのは九時半過ぎだった。
何の頓着もしてないように、祖母のスマホが座卓の上に置いてあったので、僕
は頭を少しちょこんと下げた手に取った。
発着信を調べると、一週間前のあの夜の、午前一時三十五分に着信があった。
次にメール状況を調べたが、この一週間の間には何のやり取りもされていない
のがわかった。
それまでは三日に一度くらいの割合で、メール交換がなされているのに、あれ
以降は何一つ交換されていないのが、不自然といえばそうだった。
一週間前の午前一時三十五分の、着信の録音機能を、音声を少し落として開く。
「…今日のお前、古村というあの若いほうの男に、ご執心だったな」
「そんなことはありません」
「馬鹿いえっ。俺にはわかるんだよ。あいつに抱かれている時、お前の目はひ
どく潤んでたぞ」
「そんなことは…」
「あ、あいつに惚れたか?」
「いえ…」
「こ、今回は俺のほうがドジ踏んじまったようだが、次はもうあいつは呼ばないぜ」
「はい…」
「あの、吉野という親父も、今頃後悔してるだろうな」
「…………」
「金はもらったけど、クソ面白くない日だ」
「あの…もう休みます」
「ふんっ」
会話はそこで終わっていた。
この会話から竹野の失踪理由は推測できなかった。
ただのくだらないヤキモチの能書きだった。
僕は少しほっとしたような気分で、祖母のスマホを元に戻した。
竹野という、寺のお守り役の男の突然の失踪は、小さくはない謎として僕の胸の中に
残った…。
続く
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