紀子には夕方にでも電話しようと思っていたら、学校の昼休みに彼女のほうから、僕
のところにやってきて、今日の四時にスタバでコーヒー奢ってと、一方的にいわれた僕
は彼女の勢いに気圧されたように、うんと首を頷かせてしまっていた。
先に着いていた僕のテーブルの前に、紀子は四時きっかりにやってきた。
紺のジャージの上下に、少し厚手のジャンパー姿で、長い髪は後ろに束ねている。
学校から走ってきたのか、息が少し荒れていた。
「お腹空いてるから、サンドイッチ頼んでいい?…半分こしよ」
旨そうにコップの水を飲み終えると、
「この前の総体、応援に来てくれてありがとね」
と嬉しそうな笑みを浮かべて、紀子がいきなりいってきた。
「えっ、俺行ってないぜ」
慌てた素振りで、僕が顔の前で手を振ると、
「雄ちゃん、スタジアムの一番目立たないところで、子供みたいな野球帽被って、双眼
鏡で観てくれてたじゃん。私、すんごく嬉しかったわ。涙出た」
「そうだったかなぁ。…で、昨日の電話って何だった?」
陸上総体の百メートルで、紀子は都内で三位の成績だったが、学校記録はコンマ何秒か
縮めたらしい。
僕はそこから話を逸らそうと、何度も紀子に昨日の電話のことを尋ねるのだが、彼女は
おかまいなしに、
「…ずっとね、私も走る前から、雄ちゃんのこと、目で探してたんだよ。遠いところで
あのスタジャン見て、ほんと嬉しかった。でも、あの野球帽はサマになってなかったね」
心底から嬉しそうな顔をして話してくる紀子の、輪郭のはっきりとした唇と、白い歯が
妙に眩しかったが、どうにか話を戻させると、来月初めに東北への旅行の誘いの話だった。
紀子の祖父が福島県の浪江町出身で、あの東北大震災の被災者で、今も仮設住宅で一人
暮らしをしているらしく、そこへ紀子が両親と、祖父の様子見と見舞いを兼ねて出かける
とのことのようだ。
七十一歳になるという祖父は、紀子の母方の父親といった。
両親は共に会社の有給休暇を利用して早めに行くのだが、学校のある紀子は祝日と休日
を利用して、後から追いかけるということで、それに同行してくれないか、というのが彼
女からの誘いかけだった。
紀子からの思いがけない誘いの言葉に、僕はすぐには応えられなかった。
最初に、日帰りか?と僕が聞くと、
「東京から浪江町まで三時間ほどだから、それでもいいけど、一泊していい機会だから
宮城や岩手辺りまで足を延ばして、震災の社会見学ってどう?」
紀子は身体を前に突き出すようにして話してきた。
微かに石鹸のような匂いが、僕の鼻先に流れた。
「い、一泊って、お前は祖父ちゃんちに泊まれるんだろうけど、俺は一人でカプセルに
でも泊まれってのか?」
僕が紀子とは逆に、身体を後ろに反らせていうと、彼女は暫く黙っていたが、
「私も雄ちゃんと一緒に泊まるっていったら?」
「そんな度胸もないくせに」
冷やかし気味に僕がいうと、
「ゆ、雄ちゃんが何もしないって約束してくれるんなら」
紀子は口を窄めて、僕の目を睨みつけてきた。
「今、返事しなきゃだめか?」
「ううん、明後日までなら…切符とかの手配もあるし…」
「ホテルとかもな」
「そのいい方って嫌い」
「ま、学校のアイドル様の折角のお誘いだから、前向きに検討察せてもらうよ」
「そのいい方も嫌い」
あくる日、学校の廊下で紀子とたまたま出くわした時、制服の胸に手を当て、人差し指と
親指で、少し大きめの丸を作ってサインを送ってやると、彼女の目と口元が一緒に緩んで、
明るい笑顔になった。
その日の四時頃、思いがけない人からの、短いショートメールが入ってきた。
(会いたい)
紀子の叔母の益美からだった。
文化祭の手伝いで、いつもより下校の遅く鳴った僕は、区立図書館が見え出したところを
歩いていた。
図書館横の公園の芝生に座り、僕はスマホに益美の名前を出し、彼女とは十日前後も会っ
ていないかと思いながら、オンボタンを押した。
周囲に人の往来はなかった。
奥多摩の祖母と同じで、益美もワンコールで出た。
「やぁ、久しぶりだな」
遠い昔に一世を風靡したとかいう、女性歌手に似た派手な顔立ちと、五十代半ばとは思え
ないくらいに、細く括れた腰つきを思い出しながら、僕は少々大人っぽい声でいってやると、
「も、もうあなたに嫌われたのかと思って…」
スマホのボタンを押した時、僕の身体と心の二つに違うスイッチが入ってきた。
「一人なのか?」
「え、ええ、一人よ」
「どこの室にいる?」
「え…?い、今、寝室よ。ゴルフから帰って、ちょっと疲れたので休んでたとこ」
「いいご身分だな。それで暇つぶしに十六のガキを思い出したってわけか?」
「そ、そんなことない。あなたのことは…あれから毎日思ってたわ」
「ふふん、どうだかな。大人は槌つきだから」
「ほ、本当よ。今でも久し振りに声聞けただけで嬉しい」
「こんなガキのどこがいいんだ?あんたのお仲間たちのように、優れたテクもないし、
経験も圧倒的に少ない、俺なんかのどこが?」
「…こ、言葉では上手く言い表せられない、な、何かを、あなたは持っているの」
「俺、学校では全然モテないんだけどね。あんたたちみたいな熟女にしか、モテない
ってのもなぁ…欠陥人間なのかな?」
「肌が合うとか合わないっていうでしょ。どんなにハンサムな男性でも肌を合わせた
ら寒気がするとか、ちょっとした素振りやお話の仕方で、嫌いになるとかって。じゃ、
その逆もあるってことで…それが今の私にとって、あなただと」
「こんなガキだぜ」
「年齢は関係ないの」
電話の向こうで、ぴしゃりと決めつけるようにいう益美の、赤々とした唇と白い歯を
僕は思い起こしていた。
「な、テレホンセックスしよか?」
思い起こした益美の赤い唇から、連鎖的に浮かび上がった言葉を、僕は口にしていた。
「ど、どうするの?」
「ベッドにいるんだったら丁度いいや。俺のいう通りにしたらいいんだよ」
「はい…」
何秒かの沈黙の後の、益美の声だった。
「着てる服、全部脱いで」
「…は、はい」
衣擦れのような音が微かに聞こえた。
僕の下腹部、が眠りから目覚めたように、びくんと震え動いたのがわかった。
「ブラもショーツも全部脱いだか?」
「は、はい」
「そのことを自分の口で、俺に報告して」
また何秒かの沈黙があった。
「ま、益美はブ、ブラジャーとショーツを…全部、脱ぎました」
「片手は乳房、もう一方は益美の身体の下へ」
そう命令をした時、僕の頭が閃いた。
「益美、若い頃にオナニーの経験あるだろ?」
「オナニー?…え、ええ。ず、随分、昔のことだけど…」
「それを今からやって、俺に詳しく報告してくれ」
「私が…?」
「ほんとなら、俺がそこにすっ飛んでって、益美の身体無茶苦茶にしてやりたいん
だけど」
「そう、そういうことが悪びれることなく、さらりといえるのが好きなところ。嘘
が嘘と思えなくなるの」
「何だそれ。褒められてんのか、俺?」
「誰にでもできることじゃないの」
得心したような、しないような気持で、僕は暫し沈黙した。
益美のスマホをハンズフリーにさせて、暫くすると、
「い、今ね…私のおっぱいをね。手で揉んでるの」
「そうか…」
「あ、あなたの顔を思い浮かべて…な、何だか、身体が熱くなってきてる」
「……………」
「ち、乳首が…私の乳首が、か、固くなりだしてる」
「き、気持ちいいのか?」
「ええ、段々…へ、変な気持ちに」
「……………」
「も、もう一つの手、手がね。ち、違うとこに行ってる」
「どこだ?」
「あ、あなたも知ってるところ」
「は、はっきりいうんだ」
「は、はい…わ、私の…お、おマンコを」
益美の声が上擦り出してきているのがわかった。
雰囲気が核心に迫ってきていそうだったので、僕はもう一度芝生の周辺を見渡した。
「あ…わ、私の…恥ずかしい…お、おマンコが」
「どうした?」
「ぬ、濡れてるの…ああ、歯、恥ずかしい」
「ふふん、歳繰ってる割に反応いいんだな」
「ど、どうしよう、私…」
「もっと擦ったら、もっといい気持になるぜ」
「あ、あなた…ど、どうして、ここにいてくれないの」
「行ってやろうか?」
「ほ、ほんと?…嬉しい」
「もっといい声聞かせてくれよ、益美」
「ああっ…わ、私の、ゆ、指が中に入ってる」
「もっと奥まで入れてみろ」
「こ、怖いわ…ああ」
「何を小娘みたいなことをいってんだ」
「ああっ…ほ、ほんとに、あなたが欲しい。だ、抱いて欲しい」
「あのハンサムな舞台俳優を呼んだらいいじゃないか?」
「いやっ、あ、あんなのだめ!」
「俺もそのうち、あんたにそういわれるのかな?」
「ち、違う!…あ、あなたは別」
「若過ぎて経験も少ないし、あんたみたいな熟練を悦ばせるテクもないぜ」
「そ、そんなの何も関係ない。…ね、そ、それより…私!」
「どうした?」
益美の声の上擦りが、一層高くなってきているのが、僕にもわかった。
「ね、ねえ…い、逝っていい?」
「何だ、もうか?…早いな」
「だ、だって…あ、あなたの声聞いてだもの」
「ふふ、お世辞でも嬉しいぜ」
それから一分も経たない頃、益美は僕の鼓膜を破りそうなくらいの、高い咆哮の声を挙げて
果て終えたようだった。
僕が座っている芝生から、二十メートルくらい離れたところにある木製のベンチに、揃いの
黒のツーピース姿の、女性二人が座り込んで談笑していた。
益美の最後の時の声が、まさかあのベンチまでは聞こえてはいないだろうと思っていたら、
「ゆ、雄一さん?」
とスマホから彼女の掠れたような声が聞こえてきた。
「すげえ声だったよ」
「だ、だって…」
「気持ちよかったってか?」
「あなたの声聞きながらだったから」
「俺は中途半端なままだ」
「今から来ればいいのに」
「次のお楽しみにしておくよ」
「い、いつ?」
「あんたを抱きたくなったら」
「憎らしい人。…ああ、そういえば、私が帰宅してすぐだったけど、姪の紀子から電話あ
ったわ。あの子学校でどう?」
「ど、どうって…」
僕は思わず口籠ってしまっていた。
ここで紀子の話が出るとは思ってもいなかった。
一時間ほど前に、僕は紀子と一緒にいたのだ。
「今度ね、福島の祖父の、ああ、私の父親だけど…家族で出かけるんだって」
「あっそう」
そのことは知ってるとは、当然いえなかった。
「あなたたち、正式にお付き合いしてるの?…あの子は私なんかと違って、ほんと初心だ
から、何となく心配で。あ、でもあなたのこと、私に話す時、とても嬉しそうに話すのよ。
もうキスぐらいしてるの?」
あっという間の攻守交代だった。
「お、俺たち…そ、そんなんじゃないよ」
「あなたがあの子の恋人になってくれるんなら、女としては少し悔しいけど、叔母として
は応援するわよ」
これ以上の攻防は不利と読んで、僕は早々にスマホを切断した。
次の日の午後も、今度は祖母からの電話に、僕はまた小さくあたふたとさせられた…。
続く
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