「あなたへ」
このマリンブルーの小さなUSBメモリーを、あなたにいつ、どのようにして渡せるのかと
いう、少し悲しい不安を抱えながら、今から私は書き始めます。
あなたの心の中の苦悩や懊悩を知りながら、あなたとの日々をつつがなさげに、いえ、平
易な言葉でいえば、素知らぬ顔をして応対している私は、正しく悪魔に魂を売り渡した鬼女
なのだと思っています。
私と息子の洋一のことを書きます。
もう私たち親子のことや、私の結婚時のことについてはあなたも既知のことだと思います
ので、あの当時あったことだけを、記憶しているだけ赤裸々に書いてみますので、後の判断
はあなたご自身の判断に、勝手ながら委ねたいと思いますのでよろしくお願いします。
玄関チャイムがふいに鳴り響いてきたのは、雨の激しく降る初冬の午後でした。。
今にして思うと、それは劇場で舞台の開幕を告げる、ベルのようだったのかも知れません
でした。
何の気なしにドアを開けると、雨で衣服をずぶ濡れにした若い男性が、肩を震わせて立ち
竦んでいました。
長髪の下の、男子にしては色の白い顔と少し奥目がちの切れ長の目。
息子の洋一だとすぐにわかり、私は妙に慌てて彼の腕を掴み取り、玄関ドアの中に引き入
れていました。
「どうしたの?」
と私が不安げな声で尋ねたのと、
「か、母さん!」
と洋一が叫ぶようにいったのが、ほぼ同時のようでした。
洋一は玄関口に倒れ込んでしまいそうなくらいに、足がふらついていて、寒さと雨のせい
でか、蒼白で表情も意気消沈しているように見えました。
息子の濡れそぼった腕を抱えるようにして、リビングの長いソファーに座らせると、洋一
はそのまま横に倒れ込んでいきました。
タオルを何枚も持ってきて、濡れた衣服を拭いてやるのですが、雨の中に相当長くいたよ
うで、雨は身体の中にまで沁み込んでいました。
ソファーに気絶したように倒れ込んでいる洋一は、震えた唇を小さく動かせながら、何か
の言葉を何度も繰り返していました。
もうだめだ、と繰り返しいっていたのでした。
着ていた衣服を全部脱がした時、筋状の薄赤い痣のような傷と、お尻の辺りに何本かのミ
ミズ腫れのような跡が見られたのが、私の胸に不吉な予感のようなものを過らせました。
夫の下着とシャツにどうにか着替えさせ、エアコンの暖房を最大にして、洋一がどうにか
意識を正常に戻したのは、四十分ほど経った頃でした。
息子の洋一とは、彼が成人式を済ませた年から、あなたには申し訳なかったのですが、二
ヶ月に一度の割合で、外で会っていました。
洋一が中学に入学した時、三、四歳の頃無念の思いで別れてから、どこでどういう伝手を
使ったのかわかりませんでしたが、初めて私に電話してきてくれて、二人だけで街のレスト
ランで食事したのが最初で、中学の卒業時、高校の入学時と卒業時と節目節目で、あなたに
は本当に申し訳なく思いながら会っていました。
洋一の成人式の後、何日か経ってから、私は昭和の女らしくパーカーの万年筆をお祝いに
プレゼントしたのですが、私と内緒であったことが父親に知られ、ひどく折檻されたといっ
たので、私からもう会わないようにしようといったのですが、そんなことはかまわないと、
気丈にいってくれたのが、私の何よりの喜びでした。
熱いお茶を二口ほど啜って、気持ちがどうにか落ち着いた洋一が、苦渋に満ちた表情でぽ
つりぽつりと話し出した話を聞いて、私はただただ驚愕の恐怖の思いに陥るしかありません
でした。
まだ二十二歳という、大人になりたての洋一に、狡猾な悪意を持って多くの人間が群がり、
資産のほとんどを毟り取られ、さらに加えて知らぬ間に、多額の債務を背負わされ丸裸にさ
れた息子に、悪意の大人たちが惨いとしかいいようのない仕打ちを課していることを聞いて、
母親の私は、何を顧みることもなく、また解決への具体の手法もないまま、救済の思いを強
くしたのでした。
具体的にいうと、洋一の多額の債務の大半を、ある金融会社が立て替え払いで処理し、そ
れを息子に向けて一括で請求してきてきたとのことのようでした。
その債務額は三千万と聞いて、とても一介の主婦でしかない、私に即座に処理できる能力
はないということは、私の頭にもすぐに浮かびました。
夫であるあなたへの相談も当然に浮かびましたが、これはあなたとの結婚前の自分の個人
的な問題で、私に子供がいたということすら知らないあなたに過度な負担を負わせることは
できないと私は思い直し、その思考はすぐに捨てました。
その金融会社がある暴力団組織の一環であることを、洋一は端正な顔を蒼白にして、さら
に怖気の湧くような話を苦しげに話してきました。
「ぼ、僕は…借金の利息代わりということで、そこの組長という男に犯されてしまった」
息子の洋一のこの言葉を聞いて、最初は私は意味がよくわからなかったのですが、詳しく
聞くと、れっきとした男である組長という、三十代半ばくらいのお男に、雄一は女性のよう
に扱われ、女性のように犯されてしまったというのです。
そして今も週に一度の割合で、その組長の住むマンションに呼ばれ、身体を弄ばれている
と、洋一が告白した時、私は自分であることを決意しました。
自分がお腹を痛めて生んだ子供が、目の前の海で溺れかけているのを見過ごせる親は、こ
の世のどこにもいません。
洋一にその組長という男に電話を入れて、私がすぐに変わり、息子の母親と名乗り、債務
の件で話がしたいというと、相手から今からマンションに来いといわれました。
その日の夕刻、私は息子の洋一を、あなたが買ってくれた軽自動車の助手席に乗せて、雨
の降る中を、そのむごい組長が住んでいるというマンションに向けて疾駆していました。
初対面の人を訪ね、無理な願い事を頼むという、負い目のようなものもあって、雨の外で
したが、目立たない色無地の着物に着替えての外出でした。
あなたには、生け花の師匠と夕食に出かけると、嘘のメールを送りました。
何の手立てもあるわけでなく、とにかく人の情というか、気持ちだけを信じての、私の必
死の行動でした。
相手がどれだけ非情で怖い暴力団の男であっても、親が子を思う気持ちを必死に訴えれば、
という儚い思いだけでした。
外観は瀟洒な造りの九階建てのそのマンションは、駅前商店街の裏側の道に面していて、
地下の来客用の駐車場に車を止めて、エレベーターで九階まで昇ると、風采も雰囲気ものよ
くない男二人がドアの前に立っていました。
洋一がその男たちに頭をぺこりと下げて私に、この人たちは金融会社の人と簡潔に紹介し
ました。
二人の男の後をついていき、通路の真ん中くらいのドアの前まで来ると、一人の男がイン
ターホンに向かって、入ります、と大きな声でいって高級そうなドアを開け、私たち親子を
中へ誘いました。
玄関口からの短い通路の先は、十畳以上はある広い応接間になっていて、高価そうなソフ
ァーセットが室の中央に、ガラステーブルを囲むようにして幾つも置かれていて、その内の
一つに髪を奇麗にセットして、薄い色のサングラスをかけた、浅黒い日焼け顔の男が、白の
ガウン姿で、細長い煙草を手にして座り込んでいました。
洋一はその室に入った時から、白い顔をさらに蒼白にして、目もひどく怯えさせて、私の
背後で言葉一つも発することなく、悄然と立ち竦んでいました。
組長と思しき男は、私の全身をサングラスの目で、上から下までを露骨に舐め廻すように
見つめてきていましたが、その目をエレベーターから付いてきた、配下らしきの男たちに転
嫁させて、片手で払い除けるような仕草を見せて、二人の男たちをドアの外に追い出してい
ました。
私は少しだけガウン姿の男のほうににじり寄って、立ったまま、
「洋一の母でございます。息子がお仕事のほうで、何かとご迷惑をおかけしているようで、
親としまして、今日はお詫びにお邪魔した次第でございます」
男の前で頭を深く下げ、私は丁重に陳謝の言葉を述べたのですが、男のほうは半分も聞い
てはいなかったようで、すぐに私の背後で立ち竦んでいる洋一のほうに声をかけ、自分のほ
うに来るように手ぶりを添えて、声をかけていました。
男は洋一の親の私のことなど、まるで無視したような振る舞いで、洋一を自分の近くに呼
び寄せると、いきなり片方の手を取り、ソファーに引っ張り込みました。
バランスを崩した洋一は、そのまま男のガウンを着た胸の中に引き込まれ、私の眼前でい
きなり洋一の身体を抱きしめ、唇を重ねにいったのです。
その素早い動きに私の目はついていけず、改めて目を瞬かせて前を見ると、男の唇で息子
の洋一の唇は、押し付けられるように強く塞がれていました。
男の両腕で抱き竦められている洋一のほうは、その男への恐怖心からか、抗う素振りは一
切見せていませんで
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