その夜、祖母が帰ってきたのは、九時半過ぎだった。
少し小さめの旅行用バッグを、両手で吊り下げるようにして、息を荒くしながら玄関口に
入ってきた祖母は黒の喪服姿のままで、上がり框に腰を下ろすと、
「車でね、稲川さんの気遣いで、隣村の葬儀会場から大きな車で送ってきてもらったの」
と息せき切ったような口調で話した。
冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターをコップに注いで、祖母に持っていってやると、美
味しそうに喉を鳴らして、半分以上を飲み干した。
僕の目は祖母の喪服姿に夢中になっていた。
多少疲れの見える色白の顔の、赤く引いた口紅がその喪服姿のせいか、ひどく妖艶に見え、
水を飲む時に小さく鳴らした喉の辺りにも、熟れた女性らしい艶めかしさが漂っているようで、
若い僕の不埒不遜な下半身に、微妙な刺激を与えてきていた。
「誰か見えてたの?」
僕のそんな思いを一気に掻き消すような、祖母の呟きの声に、
「え…?」
と頓狂な声を挙げて祖母の顔を見ると、祖母の片方の手の指が、下の三和土を指示していた。
僕の靴以外の三つほどの履物が、奇麗に並び添えられていて、
「どなたかが見えて奇麗に揃えてくれていったみたいね」
祖母の静かな口ぶりだったが、僕には充分以上の威圧感になった。
「あ、あの、今日の昼間、お、同じ高校の同学年の女子高生が来てて…そ、それで、昼ご飯
や、あの、洗濯までしてってくれて。ゆ、夕方の列車で帰ったんだけど」
「洗濯まで?…どういうお友達なの?」
上がり框に座り込んだ祖母の前で、予期せぬ災難の襲来に、狼狽えを露わにして、身を竦め
ていた僕に、さらなる危険な質問が飛んできた。
祖母の喪服の妖艶さがどうこうというのが、僕の頭から一気に雲散霧消してしまって。
「あ、そ、その子とは、一年の時、ちょっとだけ付き合ってて。い、今は何もないんだけど」
国会で不祥事を追及されている議員ような、苦しい答弁を僕は強いられた。
「ここで会うって、何か約束してたの?」
「い、いや、たまたまその子と電話で喋ってて、それで妙な行き掛りで、彼女がここへ」
「あなたが普通の男子高校生だとわかったから、私、少し安心したわ」
祖母の詰問がそこで急に止んだ。
それでまた戸惑う僕を視するかのように、祖母は上がり框から立ち、台所に足を向けていた。
台所内をふむふむといった顔で見廻してから、居間のほうに歩いていき、僕は気づいていなか
った、室の隅にきちんと畳まれて置いてあった洗濯物に手を添えて、
「躾のいいお嬢さんのようだわね。安心したわ」
安堵したような表情を顔に浮かべて、祖母は居間の座卓の前に喪服姿の身を下ろした。
高校の同学年の紀子が、ここに来てたということが露見し、僕自身が狼狽えてしまったことも
あり、喪服姿の祖母への卑猥な野心が急に萎んでしまった僕だが、その祖母から今も漂い流れて
くる情欲をそそるような匂いは、やはり心地がよかった。
「お風呂沸さなきゃね」
そういって祖母は居間から自分の室へ入っていき、いつもの見慣れたシャツとパンツ姿に着替
え浴室へ湯を出しにいった。
祖母への、何か未練がましいような思いを抱きながら、僕は風呂上がりの身体を布団に横たえ、
ふと今日が葬儀だった吉野氏を思い出し、持ってきているノートパソコンを顔の前に置き、喪に
服するという意味でもなかったが、彼の遺品になってしまったUSBメモリーのフォルダを開き、あ
るところに焦点を絞り、画面を何回もスクロールさせた。
パソコン画面の隅で時刻を見ると、もう十一時を過ぎていた。
無念にも他界した吉野氏と、祖母の出会いの経緯を僕は探したのだ。
それはサブタイトルで、(思慕の人)となっている章にあった。
(思慕の人)
その人と出会ったきっかけというのは、正直なところ、あまり胸を張っていえることではなか
った。
また、こうして文字にして書き残すことも、大いに気の引けるところだが、断じて悪意からの
ものではないということを、ぜひ理解していただきたい。
私の気心の許せる知人で、古村君という四十代の男がいる。
精密機械製造の開発研究に私が没頭しきっていた頃、同業種で別の会社にいた古村君は、私の
一途一徹な探求心に感服したといって、勤めていた会社を辞めて、私の会社に半ば強引に入って
きた変わり者だったのだが、何故か気心が妙に通じ合って、仕事は無論だが、プライベートでの
交流の深まりが強くなり、私が退職してから現在までも付き合いは長く続いている。
結婚は一度もしていないのだが、それはたまたまいい伴侶に巡り合えないだけと笑い飛ばし、
現に私が妻を亡くして、それまでの仕事一途だった生活から、急反転して色欲の世界に溺れ込ん
だ時も、同じように私に合わせてくれ、独身という気軽さもあってか、何人かの女性とも身体の
関係を持ったりしている男だ。
その彼がある時、私に一つの色欲に関する情報を持ってきた。
年齢は六十代で、人前で縄で縛られると激しく燃え上る、奇麗な女がいるというのだ。
こういう情報は特殊なルートみたいなものがあって、当たり外れが多いのが通例で、私も最初
は眉唾的に思っていて、その紹介者の名前が、以前にあまり愉快でない目に遭わされている竹野
というのを聞いて猶更に嫌気が差したのだが、もう一人の仲介者への義理もあるのでどうしても
同行してくれと頼まれて、車に二時間以上も乗せられて、奥多摩の片田舎まで連れてこられてし
まったのだ。
夜だったのでよくわからなかったが、私は古びた寺の横にある一軒家に案内された。
玄関口に出迎えに出てきたのは、あの竹野だった。
面白くない顔で私は家の中に上がり、奥の六畳間に通された。
座卓の上には二人分の酒席が用意されていて、この家の主と思われる竹野のつまらない口上を
聞かされた後、間仕切りになっている襖戸が、竹野の手で開けられた。
隣室は八畳間になっていて、中央に布団の上下が敷かれていた。
八畳間の障子戸が開き、薄い桜色の襦袢姿の小柄な女性が、畳に足を擦らせて静かに室に入っ
てきた。
女性の襦袢の胸の辺りに、赤い縄が幾重にも巻かれていて、手は後ろ手にされている。
女性の後ろに縄尻を持った、縮のシャツとステテコ姿の竹野が、時代劇の罪人を捉えた目明し
のような目で立っていた。
小柄でか細い感じの体型をしている女性の、色白の小さな顔を見た時、唐突に私の胸が激しく
波打った。
そのことには私自身が驚いたのだが、電気が走るというのはこのことなのかと思いながら、私
はもう一度女性の顔を凝視した。
色白の肌効果のせいか、眉も濃く見え、長めの睫毛のその下の切れ長の澄み切った目が印象的
で、つんと尖った鼻の下のかたちのいい唇が赤い口紅に映え、その輪郭をはっきりとさせていた。
髪は目立たない程度の薄い栗毛色をしていて、ほんわりとしたボア風で、顎も首も細さが際立
って見えた。
私の目と心は、その女性だけに集中していた。
竹野が私と古村君のほうに目を向けて、
「只今より、この女と不肖、この私との拙い白黒ショーの開演とさせていただきますので、ど
うぞごゆっくりとご鑑賞ください」
と大仰な挨拶言葉をいって、布団の上に立ち竦んでいた女性に近づき、細い顎をいきなり手で
捉え込んで、唇を塞ぎにいった。
縄で後ろ手に括られている女性に抗う術はなく、竹野にされるがままだった。
私の前に座っていた古村君も、竹野は兎も角も、女性の美しさというか艶やかさには、少し目
を見張ったようで、何度か私のほうへ目を向けてきていた。
私は竹野と襦袢の女性との絡みを見つめる目を、何度も瞬かせていた。
貪り吸うように舌を晒し、顔を左右に動かせている竹野の唇の責めを、女性のほうは何一つ抗
いも見せず、甘んじて受けているという感じが、この時の私の全身と気持ちまでもひどく興奮さ
せていた。
そこで私は自分の身体の、ある部分の反応に驚いていた。
妻を亡くして暫くした後、何が原因かわからなかったが、私は勃起不全の症状に陥っていた。
そういう趣向の本や女性の恥ずかしい画像を見ても、また実際に女性の身体に接しても、ずっ
と私の下半身は何の反応も示さなかったのだ。
勃起不全解消のための薬剤も色々試したが、効果は皆無で、自分なりにはそれは六十を過ぎた
年齢による衰えと、半ば諦め状況にいた自分の下半身が、竹野とその女性の唇と唇の激しい絡み
合いを見て、突如として蘇ろうとしてきていることに、私は愕然とした驚きを感じたのだった。
敷かれた布団の上で激しく絡み合っていた竹野と女性の顔が離れた。
竹野が何も声を出していないのに、女性は自分から足の膝を曲げて、布団に正座した。
女性のその動きに合わせるように、竹野は自分の穿いていたステテコをブリーフと一緒に脱ぎ
下ろした。
俯いている女性の鼻先に、剥き出しになった竹野の、下腹部の半勃起状態のものの先端が触れ
ていた。
女性の顔が、また誰にいわれるまでもなく上を向いた。
鼻先にある竹野の浅黒い色をした半勃起のものに、女性は自らの意思でもあるかのように、自
分の唇を添えていき、歯を開いて口の中に含み入れていった。
切れ長の目が固く閉じられていた。
それでも小さくて白い顔に、嫌悪の表情は見られない。
その図は、飼育されている動物のように従順に見えた。
目は閉じながら、男のものを口の中に含み入れ、どこかが微かに陶酔している気配が窺い見え
てる感じが、何故か私の下腹部の一点に集中してきていた。
竹野のものがようやく女性の口から離れた。
竹野の意思でのようだった。
女性の口の端から、唾液のようなものが細長く垂れ出ていた。
竹野に肩を突かれ、よろけるように女性の小柄な身体が、布団に倒れた。
布団に横たわった女性の足が、隣の六畳間にいる、私と古村君に向けられていた。
その女性の腹部辺りに竹野が跨り、腰を浮かせながら見えないところで何かをしていた。
襦袢の上から巻き付けられていた縄を解いていたのだ。
竹野がまた動き、女性の足元近くで胡坐をかいて座った。
休むことなく竹野は、女性の襦袢の裾を左右に大きく捲り拡げてきた。
女性の白い素足が露わになった。
息を呑むような白さの足の付け根の奥の漆黒までが、離れた位置にいる私にも古村君にも茫洋
と見えた。
竹野の手はさらに動き、女性の両足を掴みとり左右に大きくおし拡げてきた。
奥のほうで、女性が小さく呻いたような声が聞こえた。
その声にはかまうことなく、竹野が下卑たような声で、
「もっと近くで見ませんか?」
と私と古村君を誘ってきた。
竹野という男は、私は元より好きではなかったが、相手の女性のほうの妖艶な魅力に圧倒され
ていた私はすぐに前のめりになって、間仕切りの敷居を這うように跨いでいた。
彼女の肌に触れてみたいという気持ちになってい
古村君も私に追随していた。
女性の剥き出された細くて白い足と、傍に寄った私との間隔は数十センチくらいだった。
竹野に断りもいわず、私は無意識のような気持で、女性の白い脹脛に手を指し伸ばしていた。
想像通りの肌理の細かい肌質で、感触も滑るように滑らかだった。
女性の艶やかな肌を感じた後、ふと顔を上げて前を見ると、竹野の仕業に違いなかったが、彼
女の襦袢の襟が、元のかたちがほとんどないほど乱れきっていて、両方の乳房があらわになって
いるのに、私は驚きの目を余儀なくされた
華奢な身体に、少し不釣り合いなくらいの膨らみがあることにも、私は驚かされ、目を見張っ
た。
女性の顔に目を向けると、白い顔を横向きにして、自分の手の指を唇だけで噛みながら、私た
ちの視姦に堪えているように見えた。
この後、私と古村君の二人は、八畳間の布団を挟むように座り込み、竹野が無抵抗のままの女
性を、責める体位を忙しく変えたりして、長い時間をかけつらぬいた。
その竹野の責めの一つ一つに、女性のほうは、女として激しい反応を見せ、喘ぎや悶えの声も
間断なく出し続け、私たちの好奇な視線の中で、絶頂の渦の中に深く埋没していったのだった。
竹野とこの女性の関係がどういう関係なのかが、私にはよくわからなかったが、明らかに女性
は竹野の責め立てに女として反応し、女として喘ぎ悶えている。
この日、初めて会った女性なのに、この時の私の胸の中に去来していたのは、奇妙な嫉妬感の
ような感情だった。
私の感覚では、二人の気持ちが通じ合っているとは思えないのだ。
竹野という男に、私はいい印象は持ってはいない。
その個人的な感情は抜きにしても、私には二人の関係に通常性がないというか、不釣り合いな
印象しか持てなかったのだが、いずれにしてもその女性に会えたことは、大袈裟にいえば、私の
これからの人生に、きっと何かのかたちで関わってくる予感めいたものを私は感じた。
いや、自分のほうから能動的に動かねばならないと、車の助手席で私は声に出さずそう思った。
私が今唯一信頼できる盟友の古村君に、今夜の女性の素性を調べてもらうよう依頼して、深夜
の自宅の前で私は車を降りた…。
ここまで読み終えた時だった。
僕の寝室の入り口の襖戸の向こうで、小さな物音がしたような気がした。
戸の向こうに誰か人のいる気配だった…。
続く
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