その日1日、碧の意識は碧の身体から離れてどこかを漂っているかのようだった。
中等部全体での礼拝の時は、理事長先生がお目見えになると生徒会長の碧が号令を掛けて生徒を起立させるのだが、その日ぼんやりしていた碧は、横にいた同じクラスの女の子から肘で腕を突かれてやっと理事長先生が来ているのに気がついた。
やっと掛けた号令も、いつものようにきれい澄んだ口調にならず、全員の起立も礼も着席もバラバラになった。
授業中も、先生の方を向いてはいるが先生の声は耳に入ってこない。
いつもなら先生から質問されたらキビキビと立ってハキハキと答える碧が、その日は二回名前を呼ばれてやっと自分が指されているのに気がつくくらいだった。
クラスの女の子はそんな碧に同情的だった。
生徒会長だし、皆に親切にしてくれてるから、いつも気を張りつめているわよね..。
だから、疲れることだってあるわよね..。
顔色が悪いみたいだけど、もしかして病気とか..、女の子の日がいつもよりきついのかもしれないわ.。
皆は、碧は周りが色々心配してるのを知ると、反ってそれを気にするタイプだと分かっていたから、その日は碧をそっとしてくれた。
そんな学校生活が終わり掛けた帰りのクラスルームの時、碧は担任の先生から、一人で理事長先生の部屋に行くようにと連絡を受けた。
「鞄も持って行くようにとの事です。
今日の貴女はちょっと変よ?
理事長先生も心配されてるみたい。」
ああ、朝の礼拝の時のことかしら..。
理事長先生は碧の母がこの学園の生徒だった時に教えたベテランだった。
母も良い教え子だったらしく、その娘をまた教える事が出来て嬉しいと母に話しているのを聞いたこともある。
碧に目を掛けてくれているだけに、今日のような日に呼ばれるのは嫌だった。
それでも行かない訳にはいかない。
「中等部生徒会長です。」
ドアのノックしてそう名乗った。
「お入りなさい。」
その段階では、理事長先生の声には不機嫌とか緊張とかは感じられなかった。
「失礼します。」
碧は理事長室に入り、理事長先生のデスクの前に立った。
理事長先生は50代半ばで中肉中背の落ち着いた女性。
いつも学園の宗教の聖職者のとして、質素な服を着て眼鏡の奥にはいつも優しそうな微笑みを浮かべている。
聖職者の服を着てなければ、優しい伯母さんとか若いおばあちゃんの様な感じの人だった。
ところが、その日の理事長先生の目には微笑みが無かった。
眼鏡の奥からじっと碧の目を見つめている。
まるで私の何もかも知ってるみたいだわ..。
その日、自分が悪い事をしたと言う認識はあるから、碧は後ろめたかった。
「何故呼ばれたのか分かりますか?」
脅かすで様子でも取り調べるような様子でも無いし、顔も微笑んでないだけでいつもと変わらない理事長先生。
でも、碧の本能が何かすごい不安を感じた。
これって、朝の礼拝の事くらいじゃないかも..?
でも、早朝私がやった事は誰にも見られてない筈だけど..。
理事長先生はもう一度言った。
「自分が悪い事をしたって、自分で分かってますね。」
断定的な口調だった。
「はい..」
詳しく問い詰められた訳でもないのに、碧はそう答えてしまった。
でも理事長先生の仰る悪い事って、何を言うのかしら?
まさか、やはり早朝の事?
「こちらにおいでなさい。」
理事長先生はデスクから立ち上がると、碧を隣の部屋に導いた。
初めて入る部屋だった。
壁にいくつものモニターが設置されている。
その中の一つだけ画像が写し出されていた。
「あっ!」
碧は小さく悲鳴を上げた。
高所から写された画像は、小学部の運動設備の辺りだ。
そこに中等部の制服を着て鞄を持った女の子が一人近づいてくる。
女の子は周りを見渡して様子を伺うと、両手を鉄棒に掛けた。
「ごめんなさい!
本当にごめんなさい。」
そこまで見て、碧はたまらず声を上げた。
「もう写さなくて結構です。
これ、私です。
いけない事をしました。
本当にごめんなさい。」
しかし理事長先生は何も言わずにモニターの画像を写し続ける。
画像の中の女の子は、片足を上げると鉄棒に掛け、さらに身体全体を鉄棒に持ち上げ、遂には鉄棒に股がる姿勢になった。
両手を前に出し鉄棒を握ってるが、やがてその手も放してしまう。
細い鉄棒に完全に股がってしまった女の子は、今度は前後に身体を揺さぶりはじめた。
さらに空いてる両手で制服の上から自分の胸を揉んでいる。
「目を逸らさずに、良く見るのです。
自分のやった事でしょう。」
理事長先生の声は怒った口調では全くないのだが、その声に逆らえない何かがあった。
碧は何かに必死に耐えながら、言われるままに自分の恥ずかしい行為を記録した画像を終わりまで見せられた。
「これを最初に見たのが私で良かったわ。
さあ、前の部屋に戻りましょう。」
理事長先生から促されて、また理事長質に戻る。
再び理事長先生のデスクの前に立った碧は、絶望しか感じなかった。
私は退学だわ。
これまで優等生だった私が、学園内で、それも野外でこんないやらしい事をしたんだって、あっと言う間に皆に広まるわ。
そしてお母さんにもこの事は知らされる。
そしてお母さんがすごく悲しんで..。
私、どうしたら...。
碧は普段の勤勉さや性への関心の高さ等もだが、こんな絶望した時の行動等も多分同じ年齢の女の子に比べたら異常だった。
碧の視線は、まず理事長先生のデスクの上をさ迷った。
それから理事長先生のデスクの横にあるガラス窓の方を見ると、そこから動かなくなった。
その時の碧の表情は、先程モニターを見せられて取り乱した時と打って変わって、落ち着きはらってると思われる程無表情になった。
「生徒会長と呼ばず、碧さんと呼びますよ。
碧さん、この窓ガラスは貴女が体当たりしても割れませんよ。」
理事長の声も、さっきと変わらない冷静さだったが、その言葉は碧が死のうと決心したのを見抜いていた。
「本当に考え方は昔のお母さんとそっくり」
理事長先生がお母さんと言う言葉に、初めて碧は反応した。
「お母さん..」
「そうよ。貴女のお母さんも私の可愛い生徒だったのよ。」
「私、すごく恥ずかしい事をしました。
それでお母さんを悲しませたくない..」
「貴女が死んだら、お母さんはもっと悲しむわよ。
いつもお利口な碧さんがどうしてこんな事も分からないの?」
「だって、だって私...」
そして碧は泣き出した。
大声で、小さな子供のように。
それまで何を自分が我慢して耐えてきたか、やっと分かった気がした。
「お母さんー、ごめんなさいー!お母さんー!」
泣きながらそう言い続けた。
どのくらい泣いただろうか?
やっと碧の泣き声が小さくなった時、理事長先生が言った。
「貴女のね、お母さんもいつも我慢してたのよ。
他の女の子なら、泣いたり喚いたり他の人のせいにしたりするような苦しい時に、いつもじっと自分一人で耐えようとしてたの。」
碧はつい理事長先生の顔を見上げて自分の母の事に聞き入ってしまった。
「詳しい事は今は言えないわ。
でも、貴女のお母さんも貴女くらいの時に、多分ストレスからね、似たような失敗をしたの。
それを見つけたのも私だったけど、その時の貴女のお母さんも死を考えてたのが分かったわ。」
碧の目から死ぬ意志が薄れていくのを確認しながら、理事長先生は続けた。
「碧さん、貴女ずっと泣く事を忘れてたでしょう。
困った時や悩んでる時に、お母さんや先生、友達に頼ろうって気持ちも忘れてたみたいね。」
「貴女のお母さんも、そうだったわ。
そして私の前で今の貴女みたいにいっぱい泣いた。
そして生まれ変われたのよ。
貴女もお母さんのようになれるのよ。」
理事長先生の言う事は、今の碧には言葉としては分かっても、心の中では理解出来ない部門もあった。
私は悪い事をしたんだ。
それなのに泣いて甘えたら赦されるの?
理事長先生は、そんな碧の心を見透かした陽に言った。
「お母さんは体罰を受けたわ。
とても厳しく恥ずかしい体罰に耐えたの。」
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