私には破壊欲求がある。
壊してはいけないもの程、美しいもの程、
徹底的に壊したくなってしまう。
そして、私にとってその対象は私自身だった。
私はどこへ行っても歓迎される。
おまけに何をしても賞賛される。
幼い頃はそれらの理由など考えず、
純粋に感謝し、周囲の人間を
喜ばせようと努力を重ねていた。
しかし、15歳になる頃には気がついた。
私が優れた容姿を持つから歓迎され、
生まれ持った能力が高いから賞賛されることを。
この事実は私に2つの思考をもたらした。
まずは、確信した。
私は限りなく完璧に近く、
美しい存在だということを。
次に辟易した。
私に向けられる歓迎と称賛を。
慣れもあるが、
私にとって普通の事を絶賛されることが
とにかく鬱陶しくなった。
そんな私の胸中に気づかず、
なおも歓迎と賞賛を寄越す周囲の人間を、
私は内心で見下し、
自身の目的の為に利用するようになった。
面白い事にこれも上手くいってしまう。
周囲の、いや、一般的な人間にとって、
私といることそのものに
大層な価値があるようで、
誰もが容易く私の駒になっていった。
私はさらに周囲の人間を見下した。
ただ、見下すという行為は、
私の人生において致命的な失敗だった。
見下している人間には、絶対に見下されたくないという強力な観念が生まれたからだ。
その結果、私は自分の人生の操縦桿を失った。
『見下している人間には』という観念の下、
思考・行動をせざるを得なくなってしまった。
この頃から自分を徹底的に壊したいという
欲求が生まれ、大学1年時には意識が眩むような
猛烈な欲求になっていた。
そして、滝のブログ『地獄快楽SM調教部屋』を見つける。ブログ内の動画を再生し、自分と重ねた。
美しく完璧な自分が、世界中に惨めな痴態を晒すことを想像しただけで、今までのセックスやオナニーでは得られなかった多幸感と開放感に包まれていく。
やっと自分を徹底的に破壊できる。
そう思った私は、
滝に独白という形でメールを送った。
メールの書き出しはこうだ。
『私には破壊欲求がある。』
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