田植えの神事のおかげか、佳苗は妊娠した。
7月の終わりころの朝、炊き上がったご飯を混ぜようとした時、急に吐き気を感じて庭に飛び出て吐いてしまった。
翌朝も同様のことがあり、気がついた義母から「つわりではないか?」と言われた。
佳苗は、「もう少しはっきりしてから。」と希望したが、義母は「間違いない。」と夫に話してしまった。
40歳を過ぎていた夫は大変喜んでくれた。
早速神様とご先祖に報告し、母子共に健康であるよう祈った。
話を聞いた集落の皆も「あのお祭りで子供を授かったのだ。目出度い事だ。」と喜んでくれた。
奥さん同士で集まって話す時は、「あんた、あの夜は一晩中可愛がってもらったんだね。」「あれだけ見事な身体を見せられたら、旦那さん、たまらなかったろうね。」「あんたの裸を見たせいで、あの晩はうちの旦那も張り切ってくれたよ。」と露骨な会話を聞かされた。
秋になり収穫時期に佳苗の腹も膨らみ、稲刈りで忙しい中でも、腹帯の儀式が行われた。
朝から風呂を沸かし、義母が佳苗の身体を洗ってくれた。
「自分でします。」と遠慮したが、義母から「しきたりだから。」と言われると、もう言うことを聞くしかない。
「あんたもしきたりを良く覚えておいて、子供の代に教えるんだよ。」と言われながら、背中だけでなく、乳房、お腹、足からお尻、そして
性器まで、義母が持つ手拭いで拭かれた。
昼過ぎに集落の鎮守の神社に、集落の世話人、奥さん達が集まった。
天気も良く爽やかな秋晴れだった。
佳苗は、白い長襦袢姿で神社の拝殿の中央に正座させらされた。
神主の代理として集落の長老が祝詞を上げ、まず佳苗がお祓いを受け、さらに全員がお祓いを受ける。
腰帯が神前に上げられ、入念にお祓いがされた。
神前から下げられたお神酒が注がれた杯が佳苗に渡されたが、妊婦に替わって夫がそれを飲んだ。
その後、神前から下ろされた腰帯を佳苗に締める儀式が始まった。
佳苗は立たされ、まず長襦袢が義母と近所の奥さん達から脱がされた。
下の汗取りと赤い腰巻きも取られ、その下の洋式のズロースも下ろされた。
ズロースを足から抜き取るために片足になる時は、義母が「私の肩に手を置きなさい。」と言ってくれたし、近所の奥さんも後ろから脇を支えてくれた。
全裸になった佳苗は、両手で胸と下を押さえて隠そうとしたが、義母から言われて手を下ろした。
左右や後ろから、来てくれた人の佳苗の裸を見て、わざと囃し立てる。
「どっしりとした腰だ。これなら元気な赤ん坊を産むだろう。」
「たわわな乳房だわ。いっぱいお乳が出るわね。旦那さんに揉んでもらいなさい。でも強く吸われるのは赤ちゃんに良くないからね。」
「5ヶ月に入ったにしては、腹の膨らみが大きいようだな。腹の子供は順調らしい。旦那から可愛がってもらう時は、重さが掛からんように四つん這いが良いだろうな。」
「肌の潤いも、毛の艶も良いみたい。つわりは酷くなかったようね。旦那さんのあれも飲んであげてるかしら。」
「腹が膨れても、まぐわいが出来ないわけじゃない。いや、ますますきれいになってるから、これでは旦那が可愛がらずにはおれまい。」
「あまり激しくなければ、してもらった方がお互いに良いのよ。お腹の赤ちゃんも、お父さんお母さんが仲が良い方が嬉しいだろうからね。」
このように、わざと新たな妊婦をからかいながら、妊娠中も活発に動き、夫婦中が順調にいくようにと教えるのも、この行事のもともとの目的だったのではないか。
それから参加してくれた女性全員が、佳苗の膨らみが目立ちはじめた腹を撫で擦ったあと、義母と三人の奥さん達が腹帯を巻いてくれた。
温かい手でお腹を撫でられるのは、佳苗にとって心地よかった。
毎晩夫から撫でてもらっているが、集落の奥さん達が自分のお腹の赤ちゃんを祝福してくれる気持ちが伝わるようだった。
気がつくと、神社の境内には、学校が終わって帰る途中の小学生の女の子が二人いて、佳苗の膨らんだお腹をじっと見ていた。
もう高学年のようだから、妊娠や出産の意味は分かってると思うが、それでも普通の違う状態の女体を見て、不思議に感じたのかもしれない。
腰帯を巻いてもらった佳苗は、ズロースから順番に着せてもらい、最後に集まってくれた皆へ頭を下げて夫から付き添われて家に帰った。
その夜も、昼前明るい光の中で妻の裸体を皆に見られた興奮に、夫は佳苗を愛してくれた。
一見乱暴な四つん這いを後ろから襲われる体位も、夫はあまり激しく突かずに加減してくれ、佳苗は安心して夫に身体を任せ、自分も心地よい快感感じると共に、終わった後の満足した夫の安らかな寝顔を見て幸福を感じた。
このあたりでは、夫が妻を裸にして恥ずかしがらせるのは、夫婦の愛情と興奮を高め、妻を可愛がることに通じる、と思われていたようだ。
晩酌の時に、裸で酌をさせるのはごく当たり前だった。
それが妻が50歳を過ぎた熟女でも同様だった。
「貴女のところの旦那さんは、奥さんに情が濃いね。」とかえって羨ましがられたものだった。
佳苗がしたように集落皆へ晒される機会は滅多にないが、ごく親しい仲間内では、妻の裸を見せ合うような機会もあった。
この辺りでは、冬に新鮮な鹿肉が手に入った時は、男は妻を裸にさせて自分の横で足を広げさせ、鹿肉の刺身をまず妻のおまんこに着け、それからおろししょうがを着けて食べると言う風習があった。
猟師仲間で獲物が獲れた時は、数人が集まって酒盛りと言うことになるが、その時は猟師の妻が、それぞれ裸で夫の側で足を広げることもある。
そこでは更に露骨に、お互いの妻の身体、それも性器の色や形についても話題にされた。
ただしその際にはかなり厳しいマナー的なものがあり、お互いの妻を誉めるのは良いが、貶すことは許されない。
だから、年配となってあそこの形が崩れ色が黒ずんだ女性に対しても、「旦那の情が濃くて、こんな旨そうなおまんこになってるんだな。」「それだけ奥さんも情が深い。」等誉めてやることがルールだった。
しかしお互いに見せ合うまでであって、乱交や夫婦交換まで至ることはなかった。
そこが人間集団を維持していくけじめだったようで、その一線を越えた者は集落の中から排除された。
まだ家を存続させるという道徳、価値観が強かったから、寝盗られての妊娠などは考えられなかったのだろう。
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